サイ女の「文壇ゴシップ劇場」

安部公房、没後20年に「子どもを中絶」と暴露され、愛人と実の娘がド修羅場に!?

2013/10/03 21:00
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『安部公房とわたし』/講談社

 『砂の女』『箱男』(いずれも新潮社)など数々の名作を世に送り出し、1993年に死去した作家・安部公房。没後20年となる今年7月、安部との20年に及ぶ愛人関係を暴露した、山口果林著『安部公房とわたし』(講談社)が発刊され、世間を騒然とさせた。

交際当時、安部と山口の関係を伝える報道もあったが、その出会いから接近、関係を持つに至った時期など、関係者以外は知る由もない愛人生活が赤裸々に綴られている本書。出版関係者の間でも問題作とうたわれているが、「自叙伝」という山口の思惑とは別に、怒りをあらわにする人物が存在しているという。

 『安部公房とわたし』は、桐朋短大に通う学生だった山口と、同校の教授だった安部との出会いからスタートする。すでに妻子ある身だった安部だが、2人は幾度となく逢瀬を重ね、山口が23歳で安部の子どもを身ごもり、中絶したことまで明かされ、密会に使ったラブホテルや喫茶店などの店名まで克明につづられている。

「すべてが20年以上も昔の話ですが、そのインパクトは抜群。しかし本書の出版に関して、安部の遺族に対して一切の許諾や連絡がなかったことから、一部関係者の間では懐疑的な声も上がっていました。さらに今回明らかになった、安部の死因が前立腺がんだったという部分については、安部本人の意思で伏せられていたとあって、遺族の逆鱗に触れてしまったようです」(出版業界関係者)

 当時公表された安部の死因は、心不全だった。しかし本書ではハッキリと「前立腺がん」と書かれており、闘病の様子も繰り返し書かれている。

「そのことに安部の娘は激怒し、講談社から一切の書籍の版権を引き揚げると息巻いています。当初はそれこそ『作者と出版元を訴える』とまで言っていましたが、それほどまでに、今回の勝手な暴露が許せなかったのでしょうね」(同)

 23年もの蜜月関係、闘病生活……このたびの出版がなければ、今後も一切公になることはなかったはず。死後20年が経過した今、実の家族と愛した女性が対立をすることになろうとは、安部はどのように感じるのだろうか。

最終更新:2013/10/03 21:07
『安部公房とわたし』
安部公房の下半身ゴシップを報じる日が来るとは
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