「タレント本という名の経典」

小島慶子の「コミュニケーション術」から読み取る、「女に嫌われる女」像

2013/09/01 19:00

 しかし、相手が女性となると、コジケイの腰は一気に引ける。突然、女性に無視されだしたというエピソードでは、コジケイは「無視する側よりも、無視される側で良かった」と、その女性を非難せずに、自らを納得させるに留まる。女子会に関しては、延々と害悪論を展開している。「ほとんど女子会に参加したことがない」というコジケイだが、女子会とは「裏で悪口を言い合ったり、夫の年収や出世、子供の学校を比べ合う」ものと断定する。「女子会楽しいよ」という人は、コジケイにとっては「帰属集団がなければ、人生の落伍者だと思っている人」と一方的な憐憫の情を投げかける。このように、コジケイの女を敬遠する姿勢は一貫しているわけだが、コジケイは自分が同性に好かれないことを自覚しており、その理由を「女性の集団は、抜け駆けなしの監視システム」「少しでも違いが生まれると攻撃を仕掛けてくる」、つまり、自分が秀でているので嫉妬されていると考えているようである。

 コジケイの女子会嫌いと、同性が苦手なことは根っこの部分でつながっている。コジケイは女子会を「噂話とくらべっこが嫌い」な自分の価値観にそぐわないと書いているが、ポイントは「嫌い」という言葉である。奇しくも、コジケイ自身が本書の中で「嫌いということは、興味を持っていること」と書いているが、実はコジケイは「噂話と夫の出世や子供の学校の話題」に興味があり、それを聞いて不愉快な気分になるのは、「夫や子供ネタ」で負けたくないからで、つまり嫉妬しているのは自分なのである。上述したコジケイの女性像、抜け駆けを許さない、攻撃を仕掛けてくるのは、実はコジケイ自身である。

 そんなコジケイを直木賞作家の朝井リョウは、Twitterで「林真理子並みの野心の持ち主」と表現した。林真理子の『野心のススメ』(講談社)から借用しての表現だと思われる。「有名になりたい」「作家になりたい」と願い、現在の地位を築いた林の努力の軌跡は、ある種、誰かを蹴落としてきたこと。野心と負けず嫌いはほぼ同義である。『野心のススメ』は、現在43万部を超えるベストセラーを記録しており、多くの女性の共感を集めたことがわかるが、野心家でありながら、女性に支持される林と、「週刊文春」(文藝春秋)の「嫌いな女子アナ」ランキング14位にランクインした コジケイ。その違いは何なのだろうか。

 コジケイの野心的な性質を匂わせるのは、本書に書かれていた「オフ会礼賛」に見て取れる。 自身のラジオリスナーのオフ会の写真を見て、「本当に楽しそう、仲が良さそう」「番組が終わっても、こういう人間関係が続いていくだろうことがうかがえる」と述べていた。写真を見ただけで、なぜそこまで判断できるのか疑問である。女子会はダメだけど、オフ会はいい。この違いは、その会において、コジケイがどこに位置するかで決まる。女子会はコジケイも時に聞き役となり、夫や子ども競争では「負ける」可能性もあるので、ずっと主役ではいられない。しかし、オフ会では、自分の発言を基にファンたちが交流するので、主役はコジケイであり、「負ける」こともない。

 負けたくない、自分が中心でいたい、という気持ちは、多少の差はあれ、誰もが持つ感情だが、それを出さないことが嗜みとされている。林真理子はそれを全面に出し、敵も多かったことだろうが、直木賞を取るなど結果をきちんと出しため、露出の「罪」は相殺され、武勇伝化された。それではコジケイはどうだろう。「お仕事は縁」と発言するコジケイは、林のように野心を露わにしない。しかし、どんなに自虐的なことを言っても、結局は自分に自信があることは、39歳で発売した水着写真集からもよくわかる。

『失敗礼賛』
コジケイが当選したあかつきは、サイ女からお花贈るよ!
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