介護をめぐる親子・家族模様【第8話】

「ゴミ屋敷同然でした」女性経営者が知った、一人暮らしのお得意様の本当の姿

2013/04/07 16:00
Photo by ajari from Flickr

 東日本大震災から2年が過ぎた。という書き出しも食傷気味だろうが、お許しを。報道側が意識的に取り上げているせいかもしれないが、被災地では介護士や看護師を目指す若者が目立っている。折しも、ホームヘルパー2級取得の資格要件が2013年度から変更される。筆記試験が課せられ、スクーリングの日数も増えることから、駆け込み受講が増えているようだ。「資格を取っておいて損はない」とヘルパー養成講座に通う人も、介護職を目指す被災地の若者も、志に貴賎はない。介護の道に進んだ人が誇りを持って働ければ、介護の質の向上にもつながるだろう。希望を持って介護の道を選んだ若者が「こんなはずじゃなかった」と思うことのないようにと祈るばかりだ。

<登場人物プロフィール>
菊地 裕美(48) 北欧の手工芸品輸入販売ショップオーナー。北海道在住。独身
沢村 紀美子(77) 菊地さんのショップの得意客。名古屋在住

■北欧の伝統手工芸に惚れ込み、起業へ

 菊地さんは、北欧のある狭い地域でしか作られていない伝統手工芸品を輸入販売する会社を経営している。その手工芸品との出会いは、20年前。メーカーの営業職だった菊地さんが北欧出張に行った時のことだ。北欧はすでに何度も訪れていた菊地さんが、ふと思いついて観光客があまり行かない山あいの町まで足を延ばした。そこで出会ったのが、現在販売している手工芸品だった。レースでも織物でもない。見たことのない繊細で精密な美しさに圧倒され、それらの作品を作っている女性たちを訪ねて行った。伝統工芸の大方の例に漏れず、その手工芸も衰退の一途をたどっていて、昔ながらの技術を持っている女性は50代より上の世代に限られているという。

 それから菊地さんは何かに突き動かされるように、休みのたびにその地域に通った。最初は見知らぬ東洋の女性に警戒心を持っていた女性たちだったが、だんだん後継者のいない悩みや、作品を作っても内職程度の収入にしかならないといった現実を打ち明けてくれるようになった。そしてついに菊地さんは会社を退職し、その手工芸品を輸入販売する会社を作ってしまったのだ。「運命の出会い、ですかね。私の場合それが男性ではなくて、この手工芸品だった」と笑う。

 毎日少しずつ針を動かしていても、作品を作りあげるには早くても数カ月、大作になると数年かかるものもある。菊地さんは技術と手間に見合う対価を払いたいと考えているので、商品は数万円から数十万円になる。そこで、日本人が好むようなデザインを考え、それまではテーブルクロス程度しかなかった商品の種類を服飾品にまで広げていった。こうして、日本でもファンが少しずつ増えていった。そして会社設立から5年後、東京の某大手デパートの手作りフェアへの出店が、客層を一気に拡大することになった。

「作品と値段の性格上どうしてもお客様の年齢層は上がりますが、世の中にはこんなにお金持ちが多かったんだ、と驚きました。外見は意外なほど地味なんですが、人とは違うものや自分の好きな物になら、悩むこともなく何十万円という商品を即決されるんです。それも現金で」

 このフェアの成功で、菊地さんは全国の大手デパートでの催事やフェアに呼ばれるようになる。フェアがきっかけでお付き合いが始まったお客様の1人が、沢村さんだ。

■ゴミ屋敷は自分の店の商品で溢れていた

 沢村さんは名古屋でのフェアには毎回、必ず初日にやってきて100万円以上の買い物をしてくれる10年来の上得意客だった。それが、昨年秋のフェアに沢村さんの姿はなかった。

「お元気だったとはいえご高齢なので、何かあったのかと心配でした。ケタ違いのお得意様ですから、正直、沢村様がいらっしゃらないとか売り上げにかなり影響するんです。現金な話ですが、次回以降デパートからお呼びがかからなくなってしまのではないかと不安もよぎりました」。

 沢村さんから菊地さんに連絡がきたのは、フェアから1カ月後のことだった。

「ご病気で入院されていたとのことでした。ようやくお電話ができるようになられたとはいえ、まだ具合はかなりお悪いようでした。沢村様は一人暮らしでしたから、これからのことを考え、妹さんがいらっしゃる仙台に移って療養されるとのことでした。仙台でもフェアはやるので、少しよくなられたらいらっしゃってくださるよう申し上げたのですが、きっと無理でしょう。高齢のお客様が多いうちの店は、こういうリスクが大きいんだと改めて実感しましたね」

 名古屋を引き上げるにあたって、自宅の荷物をどうしようかと心配していた沢村さんのために、菊地さんはこれまでのお礼の意味で手伝いを申し入れた。忙しい合間を縫って名古屋に向かったのは、昨年末のことだ。

 顧客リストを頼りにたどり着いた沢村さんの自宅は、高級住宅街ではなく昔ながらの住宅街にあった。中でも一際古く、手入れも行き届いていない家が沢村さんの自宅だった。

「目を疑いました。これまで1,000万円以上のお買い物をしていただいているお客様のお宅とは思えませんでしたから」

 そして、沢村さんから預かった鍵で中に入った菊地さんは、さらに衝撃を受けた。室内は、「ゴミ屋敷」同然だった。足の踏み場もないほどのゴミで溢れかえっていたのだ。いや、ゴミというにはあまりにも悲しい。菊地さんが人生をかけるように打ち込んでいる北欧女性たちの作品も、一度も使われることなく、買ったままの状態で積み上げられていたのだ。

「自分の仕事に誇りを持っていたんです。北欧の女性を援助し、文化を広めるという社会貢献のような気持ちもあったんですが、不遜だったなぁと落ち込みました。結局は商品が売れればいいと、お金を持っていらっしゃる方を利用しただけだったんじゃないかと」

 沢村さんは仙台で闘病中らしいが、その後連絡はない。もう連絡もできない状態なのだろう、と菊地さんは言う。

「政府が高齢者が溜めこんでいるお金をなんとか吐きださせようと、孫への教育費を非課税にすると発表しましたよね。それと同じ。私も割り切って考えようと。お金持ちの高齢者が、お金を使わないで溜めこんでいても、誰も得しない。それなら、その結果が『ゴミ屋敷』でも、お金が生きて回っていけば幸せになる人も増える。沢村様も、少なくともお金を使った瞬間は幸せだった、と思いますからね」

 菊地さんは、北欧の女性が伝統手工芸を学べる学校を建てるという夢の実現に向けて、今年もすでに3回目のデパート巡業中だ。

最終更新:2019/05/21 16:09
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