有名人のお墓、いらっしゃ~い!

対話を求めるファンが集う祝祭空間に! あの有名人のお墓はやっぱり凄かった!

2010/09/19 11:45

 今年も、お彼岸シーズンが到来。憧れだったあの人のお墓へ出掛けて、想いの丈や感謝の気持ちを伝えるには絶好の時期です。そんなお彼岸な今に行っておきたい、「有名人のお墓」を全二回でご案内。(前編はこちら)

■死してなお、監視カメラで保護されるhideの墓参り

 「お母さんみたいな人」、墓前で会ったファンの方はhideの印象をこう語った。hideは1964年横須賀生まれ。いわずと知れたX JAPANのギタリストで、X JAPANの解散後はhide with Spread Beaver名義でソロ活動を開始、順調に活動していたものの98年に急逝。遺骨は神奈川県三浦市の三浦霊園に納骨された。京浜急行三浦海岸駅からバスで10分、そこからさらに徒歩10分。そうしてようやく出会ったhideの墓は、非日常的空間だった。

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 色とりどりの花が飾られ、墓所にも関わらず祝祭的だ。お世辞にも交通の便が良いと言えないこの場所に、平日にもかかわらず埼玉や千葉から数組のファンが訪れていた。

 我の強いX JAPANのメンバーの中においてファンのhideへの信頼は厚く、TOSHIの脱退によるX JAPAN解散の際、ファンに対するけじめとしてラストライブの開催を説得したのもhideだったという。また難病を患った少女との交流はファンなら誰でも知っている逸話だ。なるほど「お母さんみたいな人」という印象も納得できる。

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(左)墓碑には息子・秀人に対する両親からのメッセージが。「ねむる」に充てた
「永眠る」という言葉が印象深い。(右)墓碑にはギターのレリーフと、輪廻を
思わせるhideの遺作「HURRY GO ROUND」の歌詞が刻まれている。

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墓石にはhideと刻まれ、dの真ん中に黒曜石が配されている。
ファンはこの前に座りながら目の前で眠るhideと対話している。

 hideの葬儀の弔問客は5万人近くに上り、戦後最もファンが集まった式だったともいわれる。熱狂的ファンによって後追い自殺が相次ぎ、警視庁の要請でX JAPANのメンバーが自殺を止まるよう記者会見を開く騒ぎにまでなった。そんな熱烈なファンたちも、管理事務所の方に聞くと、ここではとてもマナーがいいとのことだ。永くこの場が保てるようにファン同士で呼びかけあっている。

 ただ、全員が完璧にマナーを守れるとも限らない。hideの実家である松本家から「お願い」の札がいくつも貼られていた。札にデザインされたhideは煙草を吸っているが、尾崎豊の墓のように煙草を香炉に供えている様子はなかった。これもマナーだろうか。

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(左)監視カメラが設置されている。今回の墓参りの中で、監視カメラがあったの
はhideだけだ。(右)丘の上にあるhideの墓からは、三浦海岸を望むことができる。

 海は生命、そして母性の象徴。ここはhideにとてもぴったりな場所のように思えた。

・三浦霊園
・最寄駅:京浜急行三浦海岸駅

■ストックな姿勢が墓にも遺る、松田優作の墓参り

 死後20年経っても、「龍平・翔太の父」と呼ぶ人は誰もいない。唯一無二の俳優、それが松田優作だ。松田優作は1949年山口県下関生まれ。あの『太陽にほえろ!』(73年)のジーパン刑事はなんとデビュー作だった。同年スクリーンデビューも果たし、その後は生き急ぐかのように映画の世界を駆け抜けた。ハリウッドデビュー作である『ブラック・レイン』の撮影の時点ですでに癌に侵されており、映画公開直後の89年に膀胱癌で死去。享年40歳。その時ロバート・デ・ニーロ主演、ショーン・コネリー監督作品のオファーが来ていたとされる。そんな松田優作の墓は東京都福生市の西多摩霊園にある。福生駅からバスで10分。墓は山の上にあるが、わざわざ来る価値はあるはずだ。

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 この墓に向き合った瞬間、鳥肌が立つ。大きくもない、華美な装飾も一切ない。あるのは「無」一文字だけ。松田優作は偏執的な役作りで知られ、映画『野獣死すべし』の主演を務めた際には痩せて見えるように10kg減量し、さらに上下4本の奥歯を抜いたという。この墓がそんなストイックな松田優作そのものの様に感じてしまった。

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 松田優作と同じく、日本が誇る映画人小津安二郎の墓石にも「無」の一文字が刻まれている。小津が亡くなったのは松田優作14歳の時なので、交流はなかったはずだがこれは偶然なのだろうか。

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(左)墓石の裏にだけこっそりと「松田優作」の名前が刻まれている。
(右)香炉には煙草が。

 『太陽にほえろ!』のジーパン刑事の殉職シーン「なんじゃあこりゃあ」の続きを覚えているだろうか。ジーパンは「死にたくない」と何度か呟いて倒れこんだ。煙草を咥え最後の一吸いをしようとしたところで力尽きた。この線香代わりの煙草は、最期の一吸いが叶わなかったジーパン刑事に捧げているのかもしれない。

・西多摩霊園
・最寄駅:青梅線 福生駅

■定番の墓に兄とともに眠る、勝新太郎の墓参り

 勝新太郎の葬儀には祭壇に東京タワーが組まれたという。妻・玉緒と喧嘩したときはカーテンを開けて窓から見える東京をタワーを指差し「東京タワーが見てるから」と言って喧嘩を収めたという。勝新太郎の墓はそんな東京タワーの近く、田町にある蓮乗寺の中にある。

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 同時にここは勝新の兄・若山富三郎の墓でもある。勝新は情の人で、家族に対する愛情が強かった。若山富三郎の納骨式の際、泣きながら若山の骨を食べた話は有名だ。96年の父・杵屋勝東治の納骨式のときも泣きながら骨を食べていたそうだ。

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 勝新兄弟の墓はとても見つけづらい。墓石には本名の奥村の名前しか刻まれてないからだ。しかも父・杵屋勝東治こと奥村実の名前しかない。ビルの谷間にあるこのお墓は薄暗く質素な印象で、「兄弟」と呼び合うほどの親友・石原裕次郎の墓と比べるとちょっと寂しく感じる。

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昨年勝新の十三回忌が行われたら
しく、わりと新しい塔婆に中村
(奥村)玉緒の名前も見ることができた

 豪快な性格で知られる勝新はエピソードに事欠かないが、最も有名なのはパンツ事件だろう。90年にホノルル空港で下着にマリファナとコカインを隠していたとして現行犯逮捕された事件。逮捕後の記者会見では「もうパンツを履かない」と発言したことが話題になった。昨年から今年にかけて酒井法子、押尾学、JAYWALK、清水健太郎、田代まさしなどなど芸能人の薬物事件が相次いだが、時代が違うとはいえここまで豪快に言い放てる人はもういないのだろう。

・蓮乗寺
・最寄駅:山手線 田町駅

(大熊信)

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最終更新:2011/03/13 22:12
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