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「米軍向けの性風俗を」発言は「一般女性を守るために風俗嬢を利用する」ことと同義 なぜいつも女性が犠牲になるのか

2016/05/27 20:00

今回は、沖縄で起こった元海兵隊員によるレイプ殺人事件を受けて、何回かにわけて世界の米軍基地における性犯罪・暴力事件、そして本土と沖縄の構造的暴力の問題について書きたいと思います。

日本には現在米軍基地が30カ所以上あるほか、演習場や住宅施設など米軍関連施設が全国に存在しています。その中でも、沖縄の負担が特に大きく、沖縄県は日本に占める面積は1%以下であるにもかかわらず、米軍基地・関連施設の74%が集中しています。

多くの人が知るように、沖縄はもともと琉球王国という独立した国であり、本土の日本人とは異なる言語・文化を持つ民族でした。近代に入ると日本は琉球処分として琉球の植民地化を推し進め、名前も沖縄県としました。

第二次世界大戦中には壮絶な沖縄戦を経験し、たくさんの犠牲者を出しました。第二次世界大戦の終結のためにサンフランシスコ講和条約が締結され、日本は第一次世界大戦以降に膨張政策により奪取した地域を返還しなければならないという取り決めを交わします。琉球が併合されたのは1872年から1879年のことなので、この対象とはならないはずですが、アメリカ政府は、沖縄県は独自の国であるとしてアメリカ軍政下におきました。その後、沖縄に置かれた米軍基地は、朝鮮戦争、ベトナム戦争など冷戦によって、前線基地として規模が拡大していき、同時に米軍による事件・事故も増加しました。

当時の沖縄県の人々にとって、反安保・米軍基地の全面返還・本土復帰は切実な願いでした。1969年に沖縄県は本土に復帰しますが、米軍基地の全面返還は果たされませんでした。

沖縄で起きたレイプ殺人事件を考える際に、隣国の韓国にある米軍基地を参考にすると意外な共通点が見えてきます。

韓国は日本の敗戦による解放後、米軍の占領下におかれました。1948年には大韓民国が成立しますが、1950年の朝鮮戦争勃発により韓国に多数の米軍施設が設立され、ベトナム戦争など冷戦の拡大により、在韓米軍の規模は拡大していきます。しかし、2002年に締結された韓米連合土地管理計画により多数の基地や関連施設が韓国に返還されています。在韓米軍基地は在日米軍基地ほどの規模ではないものの、その存在はいまだに周辺地域に大きな影響をもたらしています。

両者とも、日本による侵略・植民地化を経て、連合軍(米軍)の統治を受け、冷戦に巻き込まれるようにして現代まで続く米軍基地問題に悩まされてきた点は共通しています。さらに沖縄の米軍基地と在韓米軍基地は「女性」の視点から見ても共通点があります。それが米軍相手の性風俗ビジネスの存在です。ただし、その語られ方には沖縄(日本)と韓国で大きな違いがあります。

韓国では日本の植民地期に港湾都市を中心に売春所が興隆しましたが、解放後はアメリカ軍が接収しました。例えば仁川市の場合では、アメリカ軍相手に1000人ほどの女性が売春を行っていましたが、事実上、韓国政府が管理しており強制的な性病検査、同意を得ない強制的治療などが行われ、命を落とす女性もいました。当時の韓国政府は「韓国を守ってくれる米軍を慰安するあなた方は愛国者だ」としていました。つまり韓国政府は「無垢な女性」「処女の女性」を米軍から守るための「肉体の門」として彼女たちを利用していたのです。Grace Cho氏の研究やJin-Kyung Lee氏の研究は、1940年代から50年代において、30万人を超える「米軍慰安婦」がいたとしています。また、韓国の複数の新聞が、1960年代の韓国で米軍相手の売春に従事していた女性は2万から3万名にのぼると報道しています。2014年6月には、元「米軍慰安婦」の女性122名が損害賠償を求めて国家を相手取る裁判を起こしました。弁護団は、国家が事実上、米軍基地における売春を誘導・拡大・管理・成長させたことは大韓民国憲法・法律に反するものであり、基本権の保護を怠ったと主張しています。

翻って沖縄の場合、こうした動きは今のところ見られません。

玉城福子氏の研究によれば、日本の敗戦まで、沖縄には日本軍向けの慰安所が136カ所設置されており、そこには朝鮮人、台湾人、沖縄人、大和人(内地の日本人)の女性たちが慰安婦をしていました。そして実態は同じ慰安婦であっても、強制連行された「朝鮮人=慰安婦」と「日本人(沖縄人、大和人)=娼婦」という描き分けが沖縄の住民たちの間で行われてきたことが指摘されています。当時、日本軍は慰安所の設置に際して、「“一般女性を守るため”の『慰安婦』」というレトリックを用いて、沖縄の住民を説得しました。沖縄に対する民族差別により、沖縄の女性たちが日本軍兵士によって強姦される恐怖が、この描き分けに「正当性」を与えました。そして、沖縄の人たちは、沖縄の女性と「慰安婦」を分断するレトリックを受容したのです。沖縄の人々にとって、慰安所とそこで働く「慰安婦」という自分たちとは「異質」の存在は、個人の家屋接収の原因であり、地域の風紀を乱すものであり、沖縄の人々にとって「共感不可能」な存在でした。しかしその一方で、慰安所の存在は、日本軍による沖縄の人々への差別や暴力、そしてそれに対する恐怖を象徴するものでもありました。慰安所の存在は沖縄の「犠牲」を描くものでありながら、「慰安婦」は朝鮮人であり、沖縄人・日本人女性ではないという、多重の描き分けをすることで、慰安所・慰安婦は沖縄の人々にとって「共感可能」「共感不可能」のはざまに位置づけられていたのです。

2013年に、橋下大阪市長(当時)が2013年に慰安婦問題について「米軍の風俗業の活用を」と発言し、その後撤回したことがありました。今回のレイプ事件を受けて、橋下元市長は再び「米軍向けの性風俗を作れ」という暴言を吐いています。このような発想は「国家権力にかけて守るべき無垢な乙女たちがいる。彼女たちを守るためには、そうでない商売女たちを利用すればいい」と言っているのと変わりません。 国家権力が、女と女を描き分け、国民にとって「共感可能」「共感不可能」の境界線を設けようとする発言です。

橋下氏が提言するまでもなく、沖縄には米軍相手の性風俗ビジネスが多数存在します。しかし、そこで働く女性たちは、「無垢な女性を守るため」「米軍の性欲や暴力のはけ口になるため」にその仕事を選んでいるわけではありません。そんな必要もありません。あまたある仕事の中で、さまざまな理由によって、その仕事に携わっているだけで、 日本人女性を守るとか、無垢な女性を守るとか、そんな大義名分を背負っているわけではありませんし、そんな必要もありません。

そもそも、民間の女性をレイプ・殺害するような男性は、米軍であれ、日本人であれ、異常な暴力性を持っている人間です。そんなものは性欲ではありません。そのような暴力性を持つ者が性風俗サービスを利用したら、きっとサービス提供者の女性たちに暴力をふるいます。そうなったとき、彼女たちは商売女だから国家権力が守る必要はない、となるのでしょうか? 橋下氏の感覚では、守る必要はないのでしょう。何しろ、無垢な乙女を守るための肉体の門として、性風俗店の女性が存在していると思っているのですから。

私たちは「民族意識」「国家意識」にとらわれて生活しています。沖縄の人であれば、「日本人」としての意識と、「沖縄人」としての意識の両方を持っている人、どちらかを持っている人、どちらとも違う意識を持っている人などがいることでしょう。もちろん、国家や民族を意識しない人もいるはずです。しかし、戦争や軍隊といった、国家権力、国家の威信、日本対アメリカ、日本政府対沖縄県という対立構図が持ち込まれることによって、私たちは自己や他者に対して「日本人」「沖縄県民」などの望ましい姿を思い描いてしまいます。たとえば、米軍にレイプされる純真無垢な日本人(沖縄人)というイメージです。

このような描き分けは、対立構造の視点が変化することでイメージも変わっていきます。例えば、日本政府対沖縄県という対立構造になれば、沖縄県の性風俗店で遊ぶ内地の男性は「沖縄県民の女たちを凌辱する内地の男たち」に、性風俗店で働く女性は「内地の男たちから沖縄の純真無垢な乙女を守るための肉体の門」と、変化するのです。

純真無垢な乙女ではなく、性風俗サービスで働く女性であれば、相手が本土の人間であれ、米軍であれ、本当はレイプされていても、それを訴えることもできません。「私たちの純真無垢な乙女」「敵の男」という構造の裏では、「純真無垢な乙女」「売春婦」と女を描き分けることが常に行われているのです。

皮肉なことに、韓国では日本軍従軍慰安婦の存在が、軍隊による性暴力の問題や女を描き分けることに対する民衆の感度を高め、軍隊相手の性売買に国家権力が介入すること、個人の性が国家や「無垢な女性を守るため」に利用されることの暴力性について、女性たちが自ら声を上げる状況を整え、元「米軍慰安婦」による裁判が起きたといえるかもしれません。

私が今回の事件を見ていて感じるのは、単純に日米安保条約の是非、米軍の暴力性、日本政府の沖縄に対する搾取・欺瞞といったありきたりな議論ではなく、もっと「なぜいつも女が犠牲になるのか」「なぜ女が犠牲になると、ほかの女を犠牲にすればいいという議論が出るのか」ということを考えることの重要性です。こうした根本的な議論をせずに表面的に取り繕うだけでは、日本政府とアメリカ政府がどんなに防止策がどうのこうの、返還やら移転がどうのこうのと言っても、いつまでたっても同じような事件が起こるでしょう。

次回は、世界の米軍基地をめぐる問題について、書きたいと思います。

【参考】
玉城福子、2011年、『沖縄戦の犠牲者をめぐる共感共苦(コンパッション)の境界線 : 自治体史誌における「慰安婦」と「慰安所」の記述に着目して』
米山リサ、2006年、「二つの廃墟を越えて—広島、世界貿易センター、日本軍『慰安所』をめぐる記憶のポリティクス」富山一郎編『記憶が語り始める』東京大学出版会
上野千鶴子、1998年、『ナショナリズムとジェンダー』
Cho, Grace (2008). Haunting the Korean Diaspora: Shame, Secrecy, and the Forgotten War.
Lee, Jun-Kyung, Clough, Patricia, 2007, The Affective Turn: Theorizing the Social.
이영훈、New Daily、2009年、『그날 나는 왜 그렇게 말하였던가』
여성신문、2016年5月15日、『파주에 미군 위안부 보건증 소지자 4천명 넘어…국가가 관리』
OhmyNews、2015年10月21日、『미군 성접대가 애국” 정부가 ‘위안부’ 부추겼다』

最終更新:2016/05/27 20:00
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