【messy】

モラハラの世代間連鎖に絡め取られた母娘 “モラハラ家庭で育った私”と決別する日

2016/04/07 20:00

「お母さん、カウンセリング行きなよ。私、探すから」

年明けだったろうか、遠方に住む母と電話で3時間話した末に私がした提案。根本的解決にはつながらないだろうけど、母には遠慮なく吐き出せる“場”が必要だ。そう思った。

◎モラハラ夫である父が支配する家庭

私はモラハラ家庭に育った。家庭内モラハラのベクトルは、いろいろある。夫から妻へ、妻から夫へ、親から子へ。我が家は夫から妻へ、つまり父から母へだ。

きわめて男尊女卑思考が強い父は、母を家政婦かつ子育て係かつ介護要員と認識しているようだった。専業主婦である母が家のことを担当するのは自然だとしても、その働きに対する父からの“感謝”や“敬意”が決定的に欠けていた。母を顎で使い、口ごたえを許さず、ときに罵倒し手を上げた。

父は家庭に君臨する絶対専制君主であり、父の機嫌が家庭を支配した。子である私も激情型の父の顔色をうかがいながら過ごしたものだ。

◎モラハラの世代間連鎖におびえ、鎖をぶった切ると決めた

そんな家庭に育った私は、「大きくなったらお父さんのお嫁さんになるの!」という幸せな家庭の象徴みたいなセリフを一度も口にしたことがない。思ったこともない。むしろ、「父親とは違うタイプの人と結婚しよう」と固く心に決めていた。

有名な話なのでご存知の方も多いだろう。モラハラの世代間連鎖――モラハラ夫婦の両親を見て育った娘は、同じようにモラハラ男性を配偶者に選んでしまう可能性が高いという学説がある。世代間連鎖をはじめて知った時は震えた。何を隠そう、母の両親、つまり私の祖父母もモラハラ夫婦だったのだ。古い時代は家父長制の名残りがあり、どこの家庭もある程度父親が威張っていたものだというが、聞く限りでは祖父の行為はその範囲を逸脱していた。母はモラハラの世代間連鎖をまさに体現してしまっている。

じゃあ、娘の私はどうなるの?

私は結婚しないほうがいいのかもしれない、父と同じタイプはいやだと言いながら同じような人を選んでしまうのかもしれない。頭が真っ白になった。でも、私は世代間連鎖をぶった切ると決めた。そんな学説、私が反証してみせるとばかりに、徹底的に慎重に男性を見る目を養おうとした。自信満々に自分の価値観ばかりを一方的に話さないか、過剰な束縛をしないか、やたらと人を見下さないかなど、10ほどのチェック項目を設けて、モラハラ男性を避けるよう自分の中のセンサーみたいなものを鍛えた。

結果、私が配偶者に選んだ男性は父とは全く違うタイプの男性だ。専業主婦だった頃の私が体調を崩せば「洗濯物がたまっても家が散らかっても人は死なないから、とにかく休んで」と言う(それ普通じゃない? とお思いかもしれないが、私の実家じゃ考えられなかった)。夫は「誰かが家の中でビクビク緊張して、言いたいことを我慢しなきゃいけない家庭は絶対にいやだ。みんながホッとできる空間を作りたい」という私の切実な願いに共感を示してくれて、結婚式のときに作った自己紹介シートの「相手に約束してほしいこと」の欄には、「何事も我慢しないこと」と書いてくれた。一生分の幸せを使い果たしたんじゃないかと思って涙が止まらなかった。

母は、優しい男性が娘の伴侶となったことを心底喜んでくれて、暮らしの中のちょっとしたエピソードなんかを話すと「ほんとにお父さんとは違うねえ」なんて笑っている。娘としてはちょっと切ない笑いだ。

◎モラハラ夫婦の間に足りないものは何なのか

こうして無事、モラハラの世代間連鎖はいまのところ断ち切れているものの、両親のモラハラ問題が解決したわけじゃない。東京で夫と平和に過ごしていても、ふと両親に思いを馳せると、心に暗い影がさす。

母も、娘がもはや30を過ぎ、“妻”という立場を共有できる関係になったこともあって、子供の頃よりも遠慮なく弱音や愚痴を吐いてくるようになった。母の方からしか話を聞いていないので欠席裁判で不公平ではあるけれど、父は歳をとって丸くなるどころかますますややこしくなっている。

長年両親を見てきた一人の人間として、あの夫婦間に何が足りないんだろうと、最近は客観的に考えるようになった。今更ではあるが、父は人格破綻者ではない。立派に仕事で身を立て、家族を養い、(私の知る限りでは)外に女を作ることもなく、真面目に生きてきた。子供の教育には熱心だったし、旅行にもたくさん連れて行ってくれた。自営業者である自分の職業を、無理に子に継がせようとしなかったことにも感謝している。娘の結婚式では号泣していた。救いようなく性根が腐ってるわけではない。ただ、母に対する“思いやり”と“敬意”が決定的に欠落している。家族でない、周りの人に対しても傲慢な部分はあるが、多少は守るべき体裁や外面が存在する。しかし完全な身内であり自分が養っている「弱者」である母には、自制も働かない。どんなに近い仲でも、いやむしろ近い仲だからこそ、思いやりと敬意は絶対に必要なのに。

思いやりが欠けるとどうなるか。母が昔、少し静養を必要とする病気にかかったとき、父はいたわるどころか「子供をつれて実家に帰れ」といった。足手まといだと言わんばかりだった。

敬意が欠けるとどうなるか。父方の祖父を看取ったのは、母だ。10年近い祖父の闘病を子育てしながら1番近くで見続けたのは、母だ。その祖父が亡くなった時、父から母へ「ありがとう」のひと言はなかった。

些細なことかもしれない。でもこれらは氷山の一角で、一時が万事なのだ。ときに人格否定さえされながら、思いやりも敬意も与えられない日々を何十年も過ごした母。目を背けてきた小さなヒビや歪みは、いまや溝のように深くなっているようでもあり、同時に鎖のように2人をがんじがらめにしているようにも見える。しかも悪いことに、父が地元に根付いた仕事をしていて周囲は知り合いだらけなので、ちょっと誰かに愚痴を漏らすわけにもいかない。

◎考えられる解決策と、それを阻む現実

そこで娘の私が聞いてるわけだが、電話での会話に、愚痴が占める割合がだんだんと増えてくる。内容も、なんだか聞いていて心がえぐられるような話になってくる。

ついに、私は常々考えていたことを言った。「お母さん、もう別れたら? 帰る実家が無くなっても、それでも親が苦しみながら暮らしてると思うより、バラバラでも風通しよく暮らしてくれてる方が嬉しい」と。

母は声を抑えて泣いたあと、言った。「それも考えるよ、でもね、いざとなると不安なのよ」何が不安なのかと聞くと、やはり1番は経済的なこと、次は老後の体の心配だという。

モラハラ被害に合う女性が離婚に踏み切れない理由は、一般的にも経済的事情が多い。子供がいないならまだしも、子供を抱えてしかも専業主婦の場合、よほど実家が裕福でもないと、生活に困窮することが目に見えているので辛くても離婚に踏み切れない。女性が経済的にパートナーに依存しないことは重要だと、こういう場面でも思い知らされる。

そして老後の体の心配とは、つまり日々の生活や介護の心配だ。1人暮らしじゃ病院に付き添ってくれる人もいない、看病してくれる人もいない。いやな夫の老老介護でも、一人よりはましだと言う。でも、子供の誰かの近くに住むなり、同居するなり、ホームに入るという手もある。それを伝えると、「とにかく子供に迷惑をかけたくない」というセリフが返ってきた。ちょうど今、祖母の介護問題で母と叔母の関係がややこしくなっている。だから、自分が原因で、自分の子供たちがいがみ合うのを避けたいんだろう。

そういう諸々の要素を勘案するといやな夫でも添い遂げるしかない、と諦めの境地みたいなものに達しつつ、日々のつらさは耐え難い……そんな母の心境がみてとれた。

そこで私が発したのが、冒頭のセリフだ。母には“話す場”が必要だ。共有してくれる人が必要だ。私は話を聴くけれど、やっぱり母は相手が娘だということを最後まで忘れてなくて、“越えてはいけない一線”を意識している。娘の父親である夫への悪口を言いつつも、微妙に言葉を選んでいる。でも相手が職業カウンセラーなら、なんのしがらみも無いから、呪詛の言葉でも好きなだけ吐いたらいいし、泣こうが喚こうがちゃんと聞いていてくれる。とりあえず吐き出せて、共感してもらえて、もしかしてちょっとでも気持ちが楽になるヒントでもくれればラッキーだ。そのくらいの楽な気持ちで行ってみたらいいよと提案してみたら、母は同意した。

私はその日のうちに、通える範囲で、出来るだけ地元から離れたカウンセリングルームをピックアップして母にメールしておいた。少しでも楽になってくれればと祈るような気持ちだった。

◎ひっそりと、でも確実に存在する私が克服すべき歪み

でも、私は気づいている。

自分が、本来一番すべきことから逃げていることに。

母の愚痴を聴くのもいい、出張で上京する父とたまに食事して機嫌よく帰ってもらうのもいい。

だけど、全く効果無しかもしれないけれどもしかしたら1番効果的かもしれなくて、でも意識的・無意識的にずっと避けていること。それは私が両親を前に「お父さんのやってることはモラハラで、娘として両親が切実に心配だ」と正面切ってきりこむことだ。

多分、“思いやり”や“敬意”をいまさら身につけろといっても無理だ。でも、娘から切実に訴えかけられたら、妻に対する当たりをやわらかくしようかとほんの少しは心が動くのではないか。真剣に考えてくれはしないだろうか。……その可能性に思い当たらなくもないのに、私はそれから目をそらし続けている。

つまり、私も父が怖いのだ。もう30をこえて、よそへ嫁いでも、正面切って父に抗議できない。ビクビク顔色をうかがって過ごしていた少女の頃と、根本的に何も変れていないのだ。論理的に考えたら、私が父を怖れる理由は何もない。キレられたって縁を切られたって生活は脅かされない(私に夫婦の事情を話したことについて母が責められてしまうリスクはあるが)。単に、モラハラ家庭で育ったゆえに育まれてしまった歪んだ恐怖心を、私が克服できていないのだ。

声を震わせながらでも両親を前にして毅然とこの話題について意見できたとき、私は“モラハラ家庭で育った私”と、やっと決別できるんだと思う。
(吉原由梨)

最終更新:2016/04/07 20:00
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