介護をめぐる家族・人間模様【第28話】

「あなたたちは甘えている」介護者の家族会で娘世代を怒り出した父親

2014/04/05 19:00
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Photo by yo___ko from Flickr

 特別養護老人ホームの入所待機者が52万人との報道があった。保育所の待機児童と似た構図だ。いまや保育所に入る「保活」なる言葉も登場する時代。遺言や葬儀の用意をする「終活」がブームだが、死んだ後よりも、どこでどうやって死ぬかの方が問題だ。死ぬまでの「終活」も考えねばならない。人間、最後まで忙しい。

<登場人物プロフィール>
設楽 八重子(47) 夫、長男と都内で暮らす
渡辺 勝成(76) 介護の必要な妻と二人暮らし

■愚痴を言い合える場が広がっていった
 専業主婦だった設楽さんは、数年前実母を介護して看取った。その後、介護経験を生かしたいとヘルパーの資格を取得し、訪問介護の仕事に就いた。そこで在宅介護をしている家族が心身ともに疲弊していく様子を目の当たりにし、何とかしたいと考えるようになった。大学時代心理学を専攻していたこともあり、介護をする家族が悩みを話せる場を作ったのは3年前のことだ。

「最初は、デイサービスに行っているちょっとの時間に、お茶でも飲みながら息抜きをしてもらおうと、好きなことをおしゃべりしてもらっていたんです。それが次第に口コミで参加者が増えてきました。するとご主人を介護している奥さん、親御さんを介護している娘さん、義父母を介護しているお嫁さんなど、立場が違うとわかり合えない場面も出てくるようになってきました。姑世代の前では、お嫁さんはなかなか本音が言えませんからね(笑)。それで奥さんグループ、娘さんグループ、お嫁さんグループに分けてみたんです」

 すると、それまでただ愚痴っていただけの参加者に変化が表れた。毎日の介護で疲れている人同士が、同じような悩みを持つ人と話すことで元気になったり、互いにアドバイスし合ったり、あるいは人にアドバイスすることで自分の気づきになったりと、設楽さんも予想していなかったうれしい変化だった。設楽さんも心理学を生かして話の進行を助けたり、時には介護経験者としてアドバイスしたりしている。

「最近は、介護をする男性が増えてきているせいか、これまでこうした場に出てこられなかった男性が目立つようになっています。ただプライドが邪魔するのか、なかなか女性のように自分の気持ちを正直に出すことは難しい面もあるのですが」

 これまで男性のグループは作らず、設楽さんたちスタッフが男性参加者と個別に対応するようにしていたが、そろそろ男性介護者のグループを作ってもいい頃だと判断し、最近男性グループができた。ぎこちないながらも、軌道に乗ってきていると感じ始めていたある日。奥さんを介護している渡辺さんが、何を思ったのか“親を介護する娘さんグループ”に入っていた。

■娘さんは、本当は負担なのではないですか?
「渡辺さんも、たまには若い女性と話をしたかったのかもしれません。若いといっても40代から60代ですが(笑)。まあ遠慮してもらうほどでもないだろうと、私もアドバイザーとして横に座って聞いていたのですが……」

 娘や嫁のグループは、いつもかなりテンションが高めだという。その日も、最初のうちは男性が入っていることに違和感があったようだったが、親を介護する大変さで大いに盛り上がった。すると、それまで黙って聞いていた渡辺さんが突然“娘”たちを叱り出したのだ。

「『あなたたちは甘えている』っておっしゃるんです。『自分を育ててくれた親に対して、その言い方はなんだ』。『うちの娘は離れて暮らしているけれども、2日に1回は必ずやって来て、食事を作り置きして、掃除や洗濯までして帰ってくれる。それは親孝行な娘だ』と、お説教を始めたんです」

 盛り上がっていた娘グループは水を打ったように静まり、気まずい空気が流れたという。それはそうだろう。日頃の介護でたまった思いを吐き出すためにやってきたのに、父親世代の、それも赤の他人に説教されたのではたまったものではない。設楽さんは事の展開に面食らいながらも、冷静に渡辺さんを諭した。「いや、それは違うと思いますよ」と。

「『確かに渡辺さんのお嬢さんは偉いです。でもお嬢さんにも、自分の生活があるでしょう。2日に1回、電車を乗り継いで実家に通って、家事や介護をするのは、それは大変ですよ。お嬢さんも本当は、もう少し負担を減らしたい、休みたいと思っていらっしゃるのかもしれません』と、はっきり言いました。あとで、ちょっと娘さん側に肩入れしすぎたかな、と反省しましたが」

 渡辺さんは、それ以上反論しなかった。設楽さんは、渡辺さんを娘グループに入れた自分の判断が間違っていたのではないかと自問自答していたのだが、数日後、渡辺さんの娘さんから電話が来たという。

「『父に意見してくれて、ありがとうございます』という感謝の電話でした。渡辺さんから『今日こういう場で、お前のことをこう言われた』と。『その時はそんなはずはないと思っていたが、家に戻って冷静になって考えてみると、確かにお前に負担をかけ過ぎていたのかもしれない』と謝ってくれました。これまでヘルパーさんが入ることを渡辺さんが嫌がっていたそうですが、これから検討してみるとまで言ってもらったそうです」

 典型的な昭和の父親である渡辺さんが、設楽さんの言葉をこうも素直に受け入れたことに驚きを覚えた。それほど劇的に人は変わるものなのか。設楽さんは笑いながら否定した。「いえ、人間は簡単には変わりません。正直なところ、こういった集まりにも限界を感じていたところだったんです」。設楽さんには、気になっていた女性がいた。認知症になった実母の介護で行き詰まっている女性だったという。独身だったが、介護のために仕事も辞めてしまい、生活面でも困窮するようになっていた。しかし、設楽さんやほかの参加者のアドバイスに耳を傾けることもなかった。設楽さんも小まめに働きかけていたのだが、とうとう会にも顔を出さなくなったという。

「いくら私たちがこういう場を作っていても、来てもらわないことにはどうしようもない。そういうもどかしさもある中で、今回の出来事は私たちにとってもうれしいことでした。渡辺さんの例は、本当にたまたまかもしれません。でも同じような立場の人同士で愚痴を言い合うのもいいけれども、時には違う視点から見ることも必要なんじゃないかと思うようになりました。介護でなくてもそうですよね。悩みはその世界にどっぷり浸かっている時は、それしか見えないから抜け出せない。一歩引いてみると、意外とちっぽけな悩みだったと気づくこともあるじゃないですか」

 家にこもっている男性介護者を、どう外に出すか。問題はそこなのかもしれない。

最終更新:2019/05/21 16:06
『怒りについて 他二篇 (岩波文庫)』
外に出て無駄話で発散されるものもある
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