『美容整形と<普通のわたし>』著者インタビュー(前編)

美容整形はなぜ批判されるのか? 整形患者の「普通になりたい」願望の深淵

2013/12/14 16:00
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『美容整形と<普通のわたし>』/青弓社

 ひと昔前に比べ、身近なものになったような印象を受ける「美容整形」。しかし、いまだに「整形した」と公言する人は少ない。人はどんな思いで顔や身体にメスを入れるのか、そして、理想の形に変えることで得られるものは何か。「人間は身体を加工する動物である」という前提のもと、実際に整形した人に聞き取り調査をし、美容整形と身体について論考した『美容整形と<普通のわたし>』(青弓社)の著者で文化人類学者の川添裕子氏に、美容整形の現在についてお話を伺った。

――タイトルに「普通のわたし」とあります。日本では美容整形を受ける理由について、「普通になりたい」と語る人が案外多かったとのことですが、その言葉を聞いてどう感じましたか。

川添裕子氏(以下、川添) 「普通」が「普通になる」という動詞になっている点が気になりました。「きれいになる」だったら、プラスのマークを付けることですからわかりやすいですよね。しかし、「普通」は、「特に変わっていない」とか「ごくありふれている」といった意味です。その状態に「なる」とはどういうことかと考え、研究の中核の1つにすえました。

――「普通になりたい」という言葉の裏には、実際に自分の身体が「人並みじゃない」と捉えているということでしょうか。

川添 確かにそうですね。自分の容姿を「普通じゃない」と捉えている方が多かったです。ただ、本心では美しくなりたいと思っていても、声高には言いにくい状況ゆえの発言かもしれません。特に私の調査は2000年前後に大学病院で行ったので、その影響もかなりあると思います。また、突然飛びきりの美男美女になってしまったら、整形したことが周囲に知られてしまうので、わからない程度という意味で、医師に「普通にしてほしい」と依頼する場合も考えられます。一方で、「整形大国」として知られる韓国では、「自信をつけたい」とか「きれいになりたい」とストレートに言う人が多いようです。

――ほかの国ではどうでしょうか。

川添 フェミニスト研究者のキャシー・デービスによれば、オランダの女性患者にも「普通になりたい」という声があります。デービスは、「普通」とは形態がどうというよりも、その人の経験、アイデンティティの問題だと言っていますが、キリスト教プロテスタントの「カルヴァン主義」的伝統の影響も指摘しています。カルヴァン主義では、ふしだらと過剰が忌避されるので、「きれいになりたい」では共感を得られないけれど、「普通になる必要がある」ならば許容され、そうすべきだということになるというのです。このオランダでは、美容整形も保険診療で受けられたのですが、対象部位が「正常の範囲外」にあると診断されなくてはなりませんでした。しかし実際には、主観に頼る面も結構あって、客観的な診断は困難でした。

――本書に掲載されている資料「国別美容整形件数」で1位(310万5,246件、2011年)のアメリカはいかがですか。

川添 本で引用した統計は形成外科医による施術ですので、実際の数字はもっと大きいはずです(「アメリカ美容[形成]外科学会」によると2011年の会員による美容整形件数は約920万件)。アメリカは地域差も結構あると考えられます。例えば、ハリウッドの住人と郊外の住人とでは生活スタイルが違いますよね。それから美容整形についての全国的な統計が毎年公表されています。市場型医療という点からみると、「消費者」に安心感を与える戦略ともいえます。ホームパーティ的に女性たちが集まって医師にシワ取りをしてもらう「ボトックスパーティ」も話題になりました。

『美容整形と<普通のわたし>(青弓社ライブラリー)』
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