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収監間近、懲役6年! 羽賀研二を呪縛する「極貧への恐怖心」の半生

2013/09/03 19:00
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昔付き合ってた人の顔を見ると、「なんでこんなのと!?」って思うよね

 今年の3月28日、最高裁判所において詐欺および恐喝未遂の罪が確定し、今後6年近くを刑務所で過ごすこととなった羽賀研二。

 事件の内容は、2001年に経営破たんした会社の未公開株を不動産会社社長に売りつけ、3億7,000万円を騙し取った罪。さらに06年には返済を求める訴訟を起こした社長に、暴力団関係者らを使い1,000万円の支払いで請求権を放棄するよう迫ったというものだ。この現場に羽賀はいなかったが、電話で報告を受けるなどしていた。

「執行猶予なしの実刑判決というのは、彼が有名人としてのブランドを利用して騙し、さらには暴力団関係者を使い追及を逃れようとしたことが極めて悪質であると、裁判官が判断したからでしょう」(地方紙社会部記者)

 通常は実刑が確定すれば、釈放中だと3週間以内に収監されるが、今現在に至っても羽賀が収監されたという話は伝わってこない。

 かつて羽賀が巻き起こした梅宮辰夫・アンナ親子との騒動、実業家としての失敗と成功、そして犯罪者への転落。波乱に富んだ人生を歩み続ける羽賀の生きざまを振り返ると、そこには一筋縄ではいかない過酷な体験があった。

 沖縄で米兵の父と日本人の母親の間に生まれるが、父親の記憶は皆無に等しかった。

「父親は彼が生まれてすぐ本国に帰国し、羽賀母子に何の援助もしなかったため生活は困窮していたようです」(同)

「幼稚園の頃の家は、知り合いの電気店の廃屋同然の納屋。風呂とトイレは母屋で借りる。祖母は内職、母親はスナックで働き、夕飯が店の乾き物だったこともあったとか……。また暗くジメジメした室内にはカビが繁殖、おかげで羽賀と祖母は体調を崩すほどだったとか。羽賀も小学2年から中学卒業まで新聞配達を続け、家計を助けていたそうです」(同)

 極貧で母親は水商売、本人は容姿端麗なハーフ、それゆえ子どもたちの中では目立つ存在だったのか、小・中学校時代は相当いじめられ、3回も自殺未遂をしたほど生活環境はつらく厳しいものだったという。しかし、そんな羽賀にも幸運が舞い込む。沖縄市内のジーンズショップで働いていた時に、たまたま訪れていた東京の芸能プロダクションの社長にスカウトされたのだ。高校3年生の時だった。

「生活は豊かになり、世間にもイケメンタレントとして認められ、今までの地獄のような生活とは別れることができた。しかし、彼の中では極貧への恐怖心というものがくすぶり続けていた。その反動から派手な生活を送り、借金を抱えてしまったんでしょう。タレントとしての知名度を利用しながら、複数の女性をパトロンにしていたとの話もあります。そして94年、梅宮アンナと交際を開始。これもアンナではなく、梅宮家の数十億円の資産が目当てだったといわれています」(週刊誌記者)

 贅沢な生活を送るために使い込んだ2億円以上の借金を返済すべく、梅宮家の資産を狙っていたのだ。この件は周囲にも漏らしており、それを察知した梅宮辰夫に「稀代の悪党」と罵倒された。

「沖縄での飲食店経営に乗り出すも失敗。結局、アンナにも浮気の現場を目撃され、彼には愛情がないということがわかり、99年に破局してしまいます」(同)

 アンナとの交際中に、タレント桜庭あつことの浮気が発覚。世間の目は厳しく、タレントとしての活動を縮小せざるを得なかった彼は、宝石販売業に乗り出す。

「最初は客を呼び込む看板だったんですが、自身も販売員になったところ、売り上げトップに。その後、販売会社は年商30億円へと急成長しました。マダム相手のスキンシップ営業が功を奏したんでしょう、女性を扱うのは彼の得意中の得意ですからね(笑)。彼いわく『500万円の宝石を売ることは簡単』だったそうです」(同)

 02年には芸能人の長者番付29位にランクインするほどの好調ぶりを見せ、目黒に3億円の豪邸も購入。

「01年にはすでに例の詐欺事件を起こしていたわけですから、実際の懐具合がどうだったかわかりませんね。04年には数億の借金を完済したと言ってますが、その金の出所も果たして宝石販売業の売り上げやタレントとしてのギャランティのみかは疑わしいものです」(前出・地方紙記者)

 しかし、羽賀の幸せもそこまでだった。

「06年には暴力団を使い、返済を迫る会社社長を脅迫。翌年に逮捕とわずか1年での転落劇でした。偽証まで駆使した法廷も最高裁までもつれ込みましたが、今年の3月に実刑6年が確定したわけです」(同)

 どん底まで落ちた羽賀、しかし彼を献身的に支える存在もある。

「06年に結婚した女性は羽賀の逮捕にも動揺することなく彼を信じ、仕事のない夫の代わりに飲食店で働き続けたとか。11年には一人娘と夫と共に沖縄に移住。それも脳梗塞を患った羽賀の母親を介護するためです。このために彼女はヘルパー2級と重度訪問介護従業者という資格を取得したほどで、周囲は『羽賀のためにここまで……』と驚いていたそうです」(同)

 道を踏み外してしまった羽賀。収監を待つ彼の目には、果たして真の幸せが何なのか見えているのだろうか?

最終更新:2013/09/03 19:52
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