慶應義塾大学・ヒサヨ先生の「あの頃の少女たちへ」第2回

世界一“気にしない”少女キャンディを通して感じる、今の自分と少女との距離

2012/07/29 17:00
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『キャンディ・キャンディ』/中央
公論新社

とおーいとおーい昔に、大好きだった少女マンガのことを覚えていますか。知らず知らずのうちに、あの頃の少女マンガが、大人になった私たちの価値観や行動に、影響を与えていることもあるのです。あの頃の少女たちと今の私たちはどうつながっているのか? 少女マンガを研究する慶應義塾大学の大串尚代先生と読み解いてみましょう!

<今回取り上げる作品>
いがらしゆみこ 原作・水木杏子『キャンディ・キャンディ』/『なかよし』(講談社)連載、1975~1979年

 キャンディ……あなたにはとても感謝してる。だって私が「少女マンガ」の存在を知ったのは、あなたのおかげなのだもの。そう、あの当時、みんなあなたに夢中だったわね。アニメもあったし。まわりの女の子たちは、みんな落書き帳に大きなリボンをつけたツインテールの女の子を描いていたっけ。

 なにぶん、小学校の低学年の私だったから、物語をきちんと把握できていないところも多かった。シカゴとロンドンの区別もつかなかったり(みんな一律に外国というくくり)、本当は20代のアルバートさんをとんでもなく年上のオッサンだと思いこんでいたり。でも、外国への憧れや、ちょっと不良だけど影のある少年の魅力を教えてくれたり、「戦争と死」というシリアスなことを教えてくれたのも、あなただったわ。

 でもね。最近あらためて読み返してわかったの。キャンディ……あなた厚かましいわよ、かなり!! 読んでて恥ずかしくなるわ!

 70年代の『なかよし』を代表する少女マンガ『キャンディ・キャンディ』は、20世紀初頭のアメリカが舞台。孤児院ポニーの家で育つ、そばかすで鼻ぺちゃツインテールのおてんば娘キャンディの波乱万丈の物語です。

 なかなか養女としての引き取り手が見つからなかったキャンディは、ラガン家の令嬢イライザの話し相手として引き取られることに。でもそこでは、イライザとニールの兄妹にいじめ抜かれてしまいます。そんな時、彼女の支えになったのが、風来坊のアルバートさん。「つらいことがあったら連絡をしておいで」とキャンディを励ましてくれる不思議な男性です。そして、以前孤児院の近くにある丘の上で泣いていた時、どこからともなく現れたスコットランドの民族衣装を着た美少年に「おチビちゃん、わらった顔のほうがかわいいよ」と言われた思い出も、キャンディの救いとなっていました。だからいつも笑顔のキャンディなのです。くじけない彼女は、謎の「ウィリアム大おじさま」の計らいで、ラガン家よりも格上のアードレー家の養女となり、ますますイライザの怒りを買ってしまいます。

 その後キャンディは、アードレー家の1人であるアンソニーと相思相愛になりますが、アンソニーは落馬により死亡。悲しみの中で入学したイギリスの名門学院で、テリュースと出会い恋に落ちます。しかし、イライザの罠にはめられてしまったキャンディは、学院を飛び出し、密航してアメリカに帰国します。折しも、アメリカが第一次世界大戦に参戦した頃、ある事件をきっかけに記憶喪失になってしまったアルバートさんに偶然再会。キャンディは彼の身の回りの仕事をしながら、看護学校で学び、一人前の看護士になっていく……という波乱万丈の物語です。

 物語の最後には「スコットランド民族衣装の美少年」と「ウィリアム大おじさま」が誰か、という謎もとかれます。基本的に『足長おじさん』と同じです。いつもそばにいたアルバートさんが……おっと、もうおわかりですね。

 孤児院出身だということで馬鹿にされても、育ちが悪いといってののしられても、キャンディは笑顔で乗り切っていく。そんな屈託のない彼女につぎつぎに魅了されていく名家のぼっちゃんたち。幼い頃読んだ時のキャンディは、どんなつらい境遇でも決してくじけない、底抜けの明るさだけが印象的でした。
 
 けどねぇ。今読むと、むしろラガン家の人たちの気持ちも理解できてしまう。だってキャンディって厚かましいんだもの! アードレー家のパーティで居並ぶそうそうたる招待客がいる中で、そしてエルロイ大おばさま(ラスボスみたいな人)のスピーチの最中に、つまみ食いをしてしまうとは! さらには飛び入りで普段着のまま広間でダンスって……やりたい放題! そらイライザも怒るわ。

 天真爛漫さ……というよりむしろ鈍感力? 「なんでいけないの?」というキャンディの姿勢は、イギリスの聖ポール学園でも発揮される。教師には口答えをするし、男子寮には忍び込むし、反省室からの脱出もお手のもの。看護学校に入ってから優等生のフラニーと対立するのも、キャンディの鈍感力のせいではないかと思う。「わたしあなたを見てるとイライラするの!」——フラニー、よく言った。

 キャンディは権威ってものを片っ端からぶちこわしていく。家風とか、校風とか、規則とか、規範とか。それは必ずしも自分のためじゃない。キャンディがルールをはみ出てしまうのは、多くの場合はほかの人のためだったり、自分が愛する人たちの名誉のためだったりする。そういうキャンディに、幼い頃の私たちは、ただ憧れていたのです。

 たしかにキャンディのこの鈍感力が、物語の悲惨さを救っています。アードレー家を後ろ盾につけることなく、仕事を見つけて自立する姿勢もすごい。だけど今、キャンディを読み返して、彼女の脳天気さにイラっとしたり、厚かましさを感じたり、恥ずかしくなってしまうのは、私が「少女」から遠く離れてしまったからかもしれない。多分、今大人になった私は、フラニーの側にいる。世の中のルールに従って、規律正しく、人につけいられる隙を見せずに、どこか強がって。フラニーの独白「あなたのあの明るさ 素直さはわたしにはにがてだわ……」が示す通りに。

 そんな、フラニー側の大人になってしまった私だが、幼い頃あれほど憧れたキャンディの鈍感力は、本当に今の私に少しもないのかと、ふと思う。多分、キャンディは自分が「鈍感」だということに気づいていないので、こうして意識している段階で、私には彼女のような鈍感力はないのだけれど、多少なりとも自分の好きなことを追いかけている人は、その人なりの鈍感力を身につけているのかもしれない。私も「大串さんってばKYでむかつくわー」と言われているかもしれないしね(その可能性大)。でも、それを“気にしないで”生きていこう! キャンディみたいに!

大串尚代(おおぐし・ひさよ)
1971年生まれ。慶應義塾大学文学部准教授。専門はアメリカ文学。ポール・ボウルズ、リディア・マリア・チャイルドらを中心に、ジェンダーやセクシュアリティの問題に取り組む。現在は、19世紀アメリカ女性作家の宗教的な思想系譜を研究中。また、「永遠性」「関係性」をキーワードに、70年代以降の日本の少女マンガ研究も行う。

最終更新:2014/04/01 11:31
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