[連載]まんが難民に捧ぐ、「女子まんが学入門」第10回

切なさとユーモアを交えながら、「死」を描いた『夏雪ランデブー』

2010/04/27 11:45
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『夏雪ランデブー』1巻

――幼いころに夢中になって読んでいた少女まんが。一時期離れてしまったがゆえに、今さら読むべき作品すら分からないまんが難民たちに、女子まんが研究家・小田真琴が”正しき女子まんが道”を指南します!

<今回紹介する女子まんが>
河内遙『夏雪ランデブー』1巻(以下続巻)
祥伝社/980円

 恋人、もしくは配偶者の死を起点として立ち上がる物語があります。たとえば一条ゆかり先生の名作『砂の城』(集英社)。最近作ではいくえみ綾先生の『潔く柔く』(同)。やや外れますが、くらもちふさこ先生『おばけたんご』(同)は、私の大好きな作品のひとつです。

 河内遙先生の初めての本格長編まんが『夏雪ランデブー』も、その系譜に属する作品のひとつです。生花店で働くフリーター青年・葉月。そもそもは店長の六花に一目惚れしたのが、アルバイトに応募したきっかけでした。秘めたる想いを抱えたまま淡々と働く日々の中で、葉月は遂に六花の部屋へと上がりこむチャンスを得ます。ところがそこには見慣れぬ半裸の男が! 「男いるじゃん」と、すねた葉月は部屋を出ますが、どうも六花のリアクションが不可解。数日後、半裸の男と再会した葉月は、彼が六花の亡き夫・島尾篤の幽霊だと知るのでした。

 こうした作品が陥りがちな罠として、死者が美化・偶像化される余り過剰な説教臭さを帯びたり、「死」という極限状態が価値基準とされるため息苦しい倫理観にがんじがらめにされるといった事態が、まんがでは往々にして起こり得ます。しかし本作はそうではありません。なぜなら死んだはずの夫は、幽霊として主人公にしつこく干渉してくる存在であるからです。

 勤務中の葉月の目の前にぷかぷかと浮かぶ篤。六花と会話する葉月に嫉妬して、顔芸で笑わせようとする篤。葉月が六花に近づこうとすると間に入ってくる篤。キスしようとする葉月と六花の間に割り込む篤。会話だってします。「奥さんそのうち寝取りますから」と葉月。「……エーー」と残念がる篤。そんな篤の妨害活動が功を奏して、葉月と六花の仲は一進一退を繰り返すのでした。

 こうした幽霊ならではの笑いを取り入れながら、一方では六花と篤の哀しみも丁寧に描かれます。死の間際の回想シーン、「ねぇ六花ちゃん 僕ずっとしあわせだった 大好きな女の子と一緒になれて」という篤のモノローグに応えるように、六花は懇願します。「イヤだイヤだ 行かないで おねがいそばにいて …ひとりにしないで」。その切実な言葉を真に受けて、篤は幽霊となりました。一見、突拍子かつ浮世離れした「幽霊」という設定の必然性を、感動とともに読者に納得させる名シーンです。

 切なさとユーモアの絶妙なさじ加減は河内先生の真骨頂。真に良質なユーモアとは、常に深い悲しみと表裏一体にあるものでありましょう。誰々が死んだ、つらい、トラウマだ……とグダグダばかりを繰り返すまんがを、私は「本当」だとはとても思えません。現在、各社売り出し中の河内遥先生ですが、わたしはこの作品が現時点でのベストだと断言いたします。

小田真琴(おだ・まこと)
1977年生まれ。少女マンガ(特に『ガラスの仮面』)をこよなく愛する32歳。自宅の6畳間にはIKEAで購入した本棚14棹が所狭しと並び、その8割が少女マンガで埋め尽くされている(しかも作家名50音順に並べられている)。もっとも敬愛するマンガ家はくらもちふさこ先生。

『夏雪ランデブー 1』

葉月の目つきの悪さにグッときた人、痛い恋愛が好きでしょ?

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最終更新:2014/04/01 11:40
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