いま振り返るジャニーズの“少年愛”報道【第4回】

「ジャニーさんに誘われたときは、驚いた」――16歳の“僕”が「スター抜てき」と引き換えたもの

2018/07/18 21:00

1週間でデビューを決めた”僕”との「ただれた関係」

toyokawa300 「タレント、アイドルである前に社会人としての自覚や責任を果たすようにしていただきたい」

 NHK・木田幸紀放送総局長は、6月20日に行われた定例会見で、相次ぐジャニーズ所属タレントの不祥事に、厳しい表情でそう苦言を呈した。

 元TOKIO・山口達也の女子高生への強制わいせつに続き、NEWSの小山慶一郎や加藤シゲアキ、手越祐也に未成年女性との飲酒問題が立て続けに勃発し、NHKも番組の差し替えや、クレーム処理などの対応に追われていることを受けてのことだ。

「大アイドル帝国を築き上げ、NHKにまで大きな影響力を及ぼすようになっていたジャニーズのおごりとゆるみが招いた不祥事であることは明白です。これだけ続くということは、表沙汰にならなかっただけで、これが彼らの日常だったと思われても仕方ないでしょう。ジャニーズ事務所の罪は大きいですよ」(芸能記者)

 だが、ジャニーズ事務所に所属タレントを、一人前の社会人として教育する能力があるかどうかは、大いに疑問だ。

「創業者で現社長のジャニー喜多川氏には、これまでに未成年への性的暴行疑惑が山ほどあり、裁判で一部が認定されてもいる。にもかかわらず、これまできちんとした説明もなければ、社会的制裁を受けることもほとんどないまま、今も芸能界・テレビ界に大きな影響力を保ち続けている。そんな姿から、所属タレントたちは社会人としての何を学べばいいのか」(同前)

 本コラムではそんなジャニー氏の毒牙にかけられたタレント本人たちによる、勇気ある告発を紹介してきた。

 今回は、豊川誕のケースを紹介しよう。

 

「自室のベッドを使うことがなかった」

 豊川は、推定3歳のときに孤児となり、兵庫県姫路市の公園で保護されて児童養護施設で育った。高校を中退し、里親の家から家出して大阪のゲイバーや喫茶店でアルバイトをしているときにスカウトされ、上京。ジャニーズ入りし、1975年3月、16歳のときに「汚れなき悪戯」でレコードデビューを果たした。「豊川誕」という名前は、「豊川稲荷に捨てられていた」というギミックとともにメリー喜多川がつけたものだった。孤児であることを、堂々と売りにしていたのである。

 豊川は、上京初日から、ジャニー氏と当時のタレントたちが寝泊まりする「合宿所」に招かれ、自室が与えられた。だが、最初の1週間は「自室のベッドを使うことがなかった」という。豊川は、97年に上梓した『ひとりぼっちの旅立ち―元ジャニーズ・アイドル 豊川誕半生記』(鹿砦社)の中で、実に淡々と告白している。

では、どこで寝ていたのか。

 ジャニーさんの部屋であった。

 彼のベッドで毎晩、自由にされ続けたのだ。自分のやっていることが何であるのかはわかっていたつもりだ。だてにゲイバーで働いていたわけじゃない。

 豊川と他の告発者との大きな違いは、その孤児としての壮絶な生い立ちからくる、腹の据わり方とくくり方だ。

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