川路智代『ほとんど路上生活』インタビュー

浮浪者が寝顔にオシッコ、父は援交で逮捕!? 「ほぼ路上」で暮らした13歳の“楽しい日常”

2018/06/05 18:30

 家庭内DV当たり前の壮絶な家から、母親&兄妹と“昼逃げ”した先は、通行人と目が合う吹きっさらしの“ほぼ路上”だった――。

 連載がスタートするや、たちまち話題となった実録漫画『ほとんど路上生活』。6月2日に単行本(小学館刊)が発売された作者の川路智代さんに、その濃厚な数年間を伺った。なぜしばらくDVから逃げなかったのか。なぜ“ほぼ路上”に住み続けることができたのか。学校には通えたのか。これだけハードな生活を送っていてなぜ、病まずに生きていけたのか。平成末期とは思えぬ、驚きのサバイバル・ライフとは。

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(C)川路智代/エブリスタ/小学館クリエイティブ

 

――この漫画を描くに至ったきっかけは、なんだったのでしょうか?

川路智代さん(以下、川路) 現担当編集さんに創作漫画を持ち込んだ際、「エッセイコミックは描けますか?」と言われたんです。そこで、自分の人生で何か面白いことはあったかなと思い返してみると、「そういえば中学生の頃、4年間だけ“ほぼ路上”に住んでいたなあ」と思い出したんです。それまで、すっぽりと忘れていましたから。

――それは、「忘れるほどたいしたことなかった」ということですか?

川路 そうですね。客観的には壮絶ですが、楽しかったので。

 川路さんが当時暮らしたのは、母親の実家であった魚屋に併設した宴会場。「客がいないから」と川路さん一家4人の住まいとなったが……。ドアがないため、外を歩く通行人と目が合う。天敵、虫や雨風との攻防戦。そして、寝顔に小便をかけてくるおじさんや、羽交い締めしてくるおじさんなど、侵入する不審者との戦い。数々のサバイバルを、川路さんは経験したのだ。しかしそうした暮らしを、笑顔で「楽しかった」と回想する。

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(C)川路智代/エブリスタ/小学館クリエイティブ

 

川路 不思議なもので、人間って楽しい記憶ほど忘れちゃうし、思い出すことはないようで。一方で、宴会場に住む以前に暮らしていた実家での嫌な記憶は、嫌というほど残っています。

――実家は田舎の資産家で、祖父母、両親、兄妹と暮らしていたんですよね。物心ついて以降、覚えている記憶はどんなものですか?

川路 4、5歳頃ですかね、当時から絵を描くのが好きで、ずっと絵を描いていたことを覚えています。父親は、子どもが苦手だったのか、風呂から出た妹を唐突にスリッパで叩きまくるなどしていました。一方、祖母のほうは、子どもに対してはすごく優しくて、私のことも可愛がってくれていたように思います。

だけどある時、私が家の受話器をいたずらしたことで、祖父にぶん殴られて大泣きしたことがあったんです。すると兄が、祖母に連れられ、真剣な表情で私の前にやってきまして、おもむろに正座をして「智ちゃんは、殴られていないよ」と言ってきました。訳がわからないまま「なんで? 殴られたよ?」と返すと、「いや、殴られてないよ」と……。理解できず、パニックに陥りましたね。

――祖父に殴られたはずなのに、兄が来て、しかも殴られた事実を否定したんですか? 

川路 はい、今思えば、祖母は祖父をかばうために、兄に口裏を合わせるよう強要したのだと思います。当時は子どもでしたから、兄も大人の言うことを聞くしかなかったんでしょう。結構、ごちゃごちゃした内情の家でした。

――ですが、そうした“つらさ”などを感じさせない明るい作風です。当時は、「こんなつらい生活、嫌だ」とふさぎ込んでいたんでしょうか?

川路 いえ、つらいことはつらかったけど、そんなふうには思いませんでした。比較対象がなかったし、子どもって、自分がいる環境を受け入れる能力が長けているように思います。私はあの家で、それが当たり前のように育ったので。今でこそ「DV」という言葉を使っていますが、私にとっては「しつけ」でしたしね。祖父も父も、荒ぶっていましたね。

ほとんど路上生活 (エヌ・オー・コミックス)
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