分娩台を嫌悪し「自然なお産が当たり前!」と主張するトンデモ出産論の源流

2017/09/12 20:00

靴下重ね履きで毒素が出たり、子宮や膣をお手当すれば病気知らずになったりと、巷にはおかしな物件が山のようにありますが、その界隈で耳にするのは「またか」と思わせるテンプレトークです。それっぽい単語をランダムに組み合わせる、文章作成系ジェネレーターでも使ってんのかと思うほどに。「毒素」「免疫」「子宮・膣」「カルマ」「トラウマ」「現代の生活」「劣化」「体の声」「不自然」「冷え」「体本来の」「五感で感じる」「女性性」とかの単語カードを組み合わせ、架空のサービスをプレゼンするなんてゲームが速攻作れそうな勢いです。

 そのテンプレはどこで生まれたのでしょうか? それらの「源流」をたどるシリーズを、当連載の中でスタートさせたいと思います(不定期ですけど)。まずは、「自然なお産」で語られる、分娩台嫌悪から始めましょう。

 先月末、「7年ぶりに常勤産科医 横須賀市民病院、市長『ほっとしている』」なんてニュースがあったように、〈お産に医療介入は必要なし! 自然なスタイルで行われるべき〉なんてノリはそろそろ下火かと思われますが、それでもいまだに分娩台でのあおむけ体勢をはじめ、帝王切開、吸引・鉗子分娩、陣痛促進剤、会陰切開を、親の仇かのごとく叩きまくる〈自然なお産支持層〉が一定数存在します(無痛分娩はもってのほか)。

 そこで使われまくっているテンプレトークの源と思われる、書籍『分娩台よ、さようなら。―あたりまえに産んで、あたりまえに育てたい』(大野明子著・メディカ出版)をご紹介していきましょう。初版は、1999年の発行です。

「自然なお産」の火付け役は同書の著者ではなく、古民家で妊婦に薪割りさせるなど、独自のスタイルを取り入れたことで知られる、吉村正医師でしょう(現在は引退)。しかし吉村医師は巷から見れば〈変わり者のおじいちゃん先生が、昔ながらのお産を行っている〉という印象だったかもしれません。キャラの強烈さや、カルト風味すら感じさせる吉村医院のシュールな光景。それらのすさまじいインパクトは、一部のマスコミやストイックな自然派ママたちにはウケたものの、ごくノーマルな感覚を持つ女性たちを遠ざけてくれるシールドとして機能していたのでは。

◎著者が説く「あたりまえのお産」とは?

 ところが、その特異な世界観を継承しながらも、子を持つ母親目線も交えながら女性たちの気持ちに寄り添って語り掛ける体(てい)の同書は、多くの女性のハートをつかんでしまったのではないでしょうか(著者は吉村医師を師と仰いでいるよう)。なので〈源流に近い〉くらいの位置づけでしょうが、おかしなテンプレトークを定着させた戦犯のひとりであることは確かです。

 さてすっかり前置きが長くなりましたが、同書は〈あたりまえのお産〉とは何かを語る、啓蒙書です。全編において執拗に「あたりまえ」が連呼されるので、COWCOWのあたりまえ体操が脳内BGMとして流れてきました。

(例のメロディーで)
「分娩台で、会陰が裂けた~、トラウマ! あたりまえ体操~♪」
(訳:病院で行われるあおむけ姿勢だから、会陰が裂けるんだという主張)

「自然に産めば、母乳はあふれる~、常識! あたりまえ体操~♪」
(出ない人は産後のケアが間違っているから! というこの界隈定番の主張です)

「あたりまえのことを、たいそうにしたよ!」自然なお産の神様が、ポロシャツ&黒パンツ姿で〈あたりまえ体操 自然なお産Ver.〉を歌っている姿まで、見えてくるような気がします。

本筋は、一般的な妊娠出産育児についての、産科医療的説明です。それらについては大変わかりやすくかつ丁寧で、一般的な妊娠出産本とは一線を画していると思わせるほどです。しかし、そこへ織り交ぜられる著者の哲学が、強烈! 一部をご紹介いたしましょう。

●「分娩台に上がるという言葉には、およそ主体的な人間らしい響きはありません。そこには押し寄せる大きなものに逆らえず、医療に身を任せた非力で受け身の女性があります」

●「性的で密やかな営みであるはずのお産が、今では煌々としたライトのなか、衆人環視のもと、一定のやり方で進行していきます」

●「吉村先生と吸引や鉗子がよくないということを話していたとき、先生がこういわれました。「吸引や鉗子で生まれた子どもは人相が悪い、だからよくない」と。本当にそうだと思いました。いきなり吸引カップを頭につけられたり、固い鉗子で頭を挟まれたりして、しゃにむに引っ張りだされる子どもの痛みと気持ちを想像してみてください。どんなに驚き、そして痛いことでしょう。そうして生まれて来るとき、生まれたばかりの赤ちゃんの顔は、苦しそうに歪んでいます。人生の最初が、なぜそんな受難で始まらなければならないのでしょう」

●帝王切開については、こうです。「いきなり子宮にメスが入り、引っ張り出される赤ちゃんの身になってください。ぬくぬくとした子宮から、手術室の無影灯のもとに出され、どんなにびっくりしていることでしょう。(中略)けれども、赤ちゃんは本当はふつうに産道を通って生まれてきたいのです」

●医療介入のあるお産がほとんどである現状を憂い、こう嘆く大野氏「現代では、もはや人間はまともな生き物ではなくなってしまったのでしょうか。ふつうに考えれば、まともではなくなってしまった生き物を待ち受けているのは、滅びの道ではないでしょうか」

●帝王切開になってしまった人たちの共通点は、「生む場所選びやお産に挑む姿勢が、うかつであったから」。

●衛生面からも分娩台は不潔(いろいろな妊婦が使うし病院には細菌やウイルスが外から運ばれてくるから)

 病院でのお産が女性にとっていかに不利益であるかをたたみかけ、「世の女性たちよ、分娩台から下りようではないか!」と説くのです。

◎そこには“理想的な家庭”しかない

 私は医師に見守られる安心感から分娩台で超絶リラックスしていたため(ややメカ萌えも入っていたかも)、どの言い分にもひたすらポカーン。とりあえず安倍首相のように「情報操作だ!」とでも反論しておきましょうか。分娩台から下りろ? 私はまっぴらごめんですわ~(いや、これからもうひとり産む予定はないので、別の意味では下りたけど)。

 健康上問題がなければ、妊婦が自分の好きな体勢で産める選択肢が増えるのは、とてもいいことでしょう。しかし〈母たるもの努力に努力を重ねて安産を目指し、「あたりまえ」に産む(自宅で赤ちゃんを含む家族と力を合わせ、医療介入なしに自力で産むこと)というお産のありかたこそが至高! という考え方には、ちょっとついていかれない。

 ツッコみ描写が多すぎてご紹介しきれない本書でありますが、要は「主体的にお産に取り組み、医療に頼らず自力で生むべき」「赤ちゃんが生まれるのも、自宅が一番いいに決まっています」と主張。うーん。繁華街で昼夜騒がしい、同居の親が口うるさい、パワフルな上の子たちが暴れまわっている、社宅で周りの目があって落ち着けないetc. 自宅じゃなくて外でゆっくり産みたいなんて人も、いくらでもいそうですけど。

 死ぬ場所についても同様のお説なのですが、暗くて寒くて湿っぽい自宅で死ぬより、病院で安心して最期の時を迎えたい人だっていそうです。誕生学なども同様ですが、ふんわりハッピーな家庭像ありきのお説を語る人たちは、こうあるべきというイメージ先行で、理想とはかけはなれた環境の家もたくさんある現実には目を向けないようです。もしくは切り捨てている。いずれも現実的ではありません。なんてことを言うと、そういう環境づくりに尽力しない姿勢で母親になろうなんて甘すぎる! と、お叱りが飛んできそうですけど。

著者がこのような思想を持った背景には、医師になる前に体験した、ご自身の不満が残る分娩体験にあることが、本書には書かれています。叔父の医院での初産で雑に扱われ、「コレジャナイ」感満載だったようです。そして「ほんもの探し」がはじまったとのこと。さらにかの有名な母乳育児法・桶谷式の発案者・桶谷そとみ氏のおっぱい本に出会ったことも、大きなきっかけだとか。

 謎物件をウオッチングしていると、「科学的根拠に基づいた医療が主流の世の中で、なぜこうなったのだろう」という医師がちらほら存在しますが、なるほど、大野氏に関しては府に落ちました。前出の体験からの思いや、1980年代にイギリスで登場した「アクティブ・バース」(主体的で自由な体位でのお産)へのあこがれにも支えられ、医師になったのですから、数ある情報の中から自分好みの情報だけを認識するという〈選択的知覚〉がバリバリ発動されたことでしょう。医学を学ぶなかで「お産や子育ては、自然なのが一番理にかなっている」と改めて確認したとのことですが、フラットな視点で観察できていたとは考えにくいものがあります。

◎難産は「努力が足りない」から?

 さらにお人柄からも、極端な面を感じます。〈おっぱいは1歳過ぎても飲ませてあげて〉というアドバイスの下りで見せる「よちよち歩くようになった子どもが、『パイパイ』と言いながらおっぱいを飲みに駆け寄ってくるうれしさはおかあさんだけの特権です」という甘ったるい表現。その一方で、体重増加で難産になる妊婦を〈現代風座敷ブタ型難産〉と命名して貶める。

 こういったエキセントリックなお人柄はご自身の産院・明日香医院でも炸裂させていたようで、氏の診察を受けたことのある人たちのブログなどでは、怒りの声も少なくありません。陣痛が長引いたり、節制を重ねたうえでも体重が増えたりすると、「(安産にするための)努力が足りない」と怒られたなどのお話がちらほら。どうも精神論ありきで、現代のニーズとはずれが生じていそうです(だから現在は、著者の医院は分娩中止しているのかもしれません)。

 自然派系の子育てセミナーやショップ、ときには助産院などで、もし分娩台をはじめとする病院のお産をディスるトークを投げかけられたら、いかに強引で感情的な主張であったかという源流に思いをはせ、真に受けないのが一番でしょう。源流がフィットする方はどうぞそのままに。って、さらに広い海へ放流されても困りますが。

■山田ノジル
自然派、エコ、オーガニック、ホリスティック、○○セラピー、お話会。だいたいそんな感じのキーワード周辺に漂う、科学的根拠のないトンデモ健康法をウォッチング中。当サイトmessyの連載「スピリチュアル百鬼夜行」を元にした書籍を、来春発行予定。

最終更新:2017/09/13 15:27
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