【連載】別れた夫にわが子を会わせる?

別居婚4年で離婚、弁護士の初仕事は自分の養育費調停【別れた夫にわが子を会わせる?】

2017/09/02 15:00

弁護士の初仕事は自分の調停事件

 3.11と離婚という大きな節目を経て挑んだ、2度目の試験は、また不合格だった。実家のサポートを受けながら幼稚園児の息子を育て、離婚した元夫と息子の面会交流をさせつつ、自身は、司法試験予備校の教材作成のバイトで生計を立て、最後の試験に挑戦する。翌年合格、11月末からは司法修習生となった。

「司法修習に行く先輩たちを見ていたら、全国のどこに配置されるかわからないと知っていました。でも、私は息子がいたからか、第一希望の関東での修習がかないました。自宅から修習を受ける各施設までは1時間の距離。これなら子どもを幼稚園に通わせることが可能でした。修習の内容ですが、民事裁判、刑事裁判、検察、弁護士の実務修習と起案の指導を中心とした集合研修があり、その後、最後の国家試験を合格して、なんとか法曹資格を得ました。2013年には晴れて弁護士となることができました」

――弁護士になって最初に手がけた案件はどんな案件でしたか?

「自分の養育費調停が、弁護士になってからの事実上の初仕事だと思います。息子が小学校に入った途端、一切支払わなくなってしまったんです。正論を説いたところで、解決を先延ばしにする癖は、離婚前と同じだとわかっていたので、協議の場に元夫を引っ張り出さなければならないって思い、すぐに調停の申し立てをしました。申立手続きは全て自分1人で用意し、途中の主張書面も力のこもった大作を提出したんです」

 実際の調停の場で、元夫はいくつかの主張をした。それは、すでに毎月5万円を3年間、トータルで180万円の幼稚園代として払ってきたということや、平均年収は3,000万円という弁護士の平均所得の高さについてだった。

「彼はできる限り少額しか払いたくない様子でした。一方、私は彼のいう180万円を逆手にとって次のように言いました。『これまで毎月5万円が実質的な養育費として、合意に基づいて支払われた実績がある。この合意を変更する事情はほかにはなく、合意どおり毎月5万円が支払われるべき』と。

 弁護士の所得に関する指摘については無視です。調停委員も相手にしていなかったと思います。業界全体が、変動していて、年収3,000万円を超える人も中にはいるかもしれないけど、弁護士一般の年収ではないのはもちろん、現に、そのとき弁護士になりたての私に関しては、そもそも所得が少ないことを、給与証明書を提出して示していましたから」

 息子同伴の第一回調停の後、久々の父子再会が実現する。

「とにかく私としては、唐突に払わなくなったことに怒り心頭ではありました。それとは別に、たまたま学校が振替休日だったために同伴していた息子と、調停終了後、父子が再会することになりました。調停委員の目の前で、お互いに笑顔がはじけて再会するのですから、その後の進行上、印象に残る場面になったと思います。

 再会の場で彼は、養育費を払っていないのに平然とした調子で『面会交流は続けていこう』とか言って、私の気持ちなんて何もくみ取りません。それどころか『今月泊まりに来ないか』とまで言い始めた」

――2回目の調停の場は?

「彼は、遅刻して出頭したので、待ち時間が長くなり、協議が進みません。私のイライラも募ります。『5万円払ってくれないと、もう面会交流させない』って強く断言してやりました。すると、子どもを夫と会わせようと奮闘してくださった調停委員が私を説得しようとしてきました。

『面会交流はお子さんのためのものですからね。わかっているでしょ、先生』って。私はすっかり悪母です。カッとして『養育費だって子どものためだろうがっ!』って喧嘩ごしの荒々しい口調で、悪態をつきました。裁判所を離れたあとも怒りは収まらず、その勢いのまま、自宅で息子に手紙を書かせました。『養育費を払ってください。5万円約束通り払ってください。嘘つかないでください』って(苦笑)。本当はこんなことしちゃいけないと重々、仕事柄知っているんですけどね。そのぐらい彼の態度にも裁判所の正論にも怒ってたんです」

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