70歳になっていることも驚き

O・J・シンプソン、「オナニーを看守に見つかったからNG」の怪情報乗り越え仮釈放へ

2017/07/21 18:54
LOVELOCK, NV - JULY 20: O.J. Simpson attends his parole hearing at Lovelock Correctional Center July 20, 2017 in Lovelock, Nevada. Simpson is serving a nine to 33 year prison term for a 2007 armed robbery and kidnapping conviction. (Photo by Jason Bean-Pool/Getty Images)
70歳で収監中でもオナニーすることにちょっと驚く

 アメフト選手として活躍し、引退後はコミカルな俳優として全米から愛されたO・J・シンプソン(70)。1994年に元妻ニコールらを殺害した罪に問われ、翌年ドリームチームと呼ばれる弁護士たちにより無罪を勝ち取ったものの、イメージダウンし転落人生を歩むように。07年に取り巻きとともに自分のサイングッズや私物を取り返そうと、“スポーツ界のお宝”を扱うディーラーが滞在していたホテルの部屋に押し入ったとして逮捕された。彼自身は何も取らず、拳銃も所持していなかったにもかかわらず「武装強盗」の罪で起訴され、禁錮33年の刑が言い渡された。

 そんなシンプソンが収監9年目を迎え、現地時間7月20日に仮出所を申請。直前に「独房でマスターベーションをしているところを女性看守に見つかったので、仮出所が認められない可能性が高い!」という怪情報が流れたものの、無事認められてシンプソンは大喜びした。出所後は、医療用ならマリファナを吸ってもOK、飲みすぎなければお酒も自由に飲めるという条件も出され、一部メディアは「10月に仮出所したら、すぐにリアリティ番組制作に取り掛かるだろう」と報じ、お祭り騒ぎとなっている。

 貧しいアフリカ系アメリカ人の家庭に生まれ、低所得者向けの公営住宅で育ったものの、アメリカンフットボールの才能を持ち、南カリフォルニア大学時代から「スター選手」としてチヤホヤされたO・J。人懐っこく優しそうでハンサム、その上礼儀正しい好青年だったことから、白人コミュニティは彼を「ヒーロー」として受け入れ、「OJ=オレンジ・ジュース」にちなんだ「ジュース」という愛称で全米に愛されるようになった。

 NFLでは積極的なプレイで全米をフィーバーさせ、レンタカー「Hertz」のCMでさらなる人気を集め、引退後は俳優として活動。映画『裸の銃を持つ男』シリーズでは、レスリー・ニールセン演じる主人公の相棒でマヌケな刑事役を演じ、これが当たり役に。NFL時代に稼いだ大金をビジネスに投じ、美しくて若い白人女性ニコールを妻に迎えるなど「アメリカン・ドリーム」を絵に描いたような生活を謳歌していた。

 しかし、O・Jには、あまり人に知られたくない過去があった。実父はサンフランシスコでは有名なドラァグ・クイーンで、1986年にエイズで死亡したと伝えられている。O・J自身は、高校時代からの恋人だった黒人女性と19歳で結婚し、3人の子どもをもうけるものの、カクテル・ウェイトレスだったニコールと不倫関係に陥り離婚。離婚した年は、前妻との間の第3子をプールの事故で亡くした年でもあったことから「よくそんな時に妻を捨てることができるな」と眉をひそめる者もいた。

 そしてニコールとの結婚生活も波瀾万丈で、2人の子どもをもうけるが激しい嫉妬心からDVを行うようになり、7年で離婚してしまう。その後もO・Jはニコールに付きまとい、暴力を振るい続けた。そして94年6月13日にニコールの自宅玄関前で、彼女とその男友達ロナルド・ゴールドマンが血だらけの遺体で発見された際には、これまでのDV歴、現場に残された遺留品などから「2人を殺害した容疑」で逮捕。殺人罪で起訴された。

 逮捕される直前、パニックになったO・Jは自殺をほのめかし、友人の運転する車でパトカーとカーチェイスを繰り広げる。逃亡劇は全米で生中継され、高視聴率を叩き出した。さらに、大手誌『TIME」が、逮捕時に撮影されたマグショットの肌の色を真っ黒に画像修正して表紙に載せたこと、O・Jが犯人だという有力な証拠品になった手袋を発見した刑事が、黒人差別主義者であったこと、捜査の中で、その手袋を実際にO・Jがはめてみる際、証拠品保全のためにゴム手袋をつけた上ではめさせられたため、きちんと装着できたわけではないことなど、さまざまな理由から、黒人差別主義者の刑事がO・Jを犯人に仕立て上げるために仕組んだものだと、黒人コミュニティは騒然となった。O・Jの裁判の2年前に、「ロサンゼルス暴動」のきっかけとなったロドニー・キング事件にモヤモヤしていた者が多かったことから「O・Jが黒人だから有罪にしようとしている。被害者が白人だからって!」と騒がれ、「殺人事件」というより「黒人差別事件」に発展してしまう。

 よく知られている通り、裁判の結果、O・Jは無罪になった。黒人コミュニティは「ロドニーの仇討ちをした!」とO・Jの無罪を喜んだが、納得がいかない白人コミュニティからは追放される羽目となり、O・Jは彼をチヤホチャしてくれる黒いうわさのあるような黒人たちと付き合うようになってしまう。事件被害者だったロナルドの父親が起こした民事裁判では有罪となり、多額の賠償金支払いを命じられたものの、「ない袖は振れない」とO・Jはスルー。NFL選手年金は「賠償金支払いのためには使わなくてよい」と法的に保護されているため、その金で派手な暮らしをし、マスコミにも露出。告白本『If I Did It(もし私が殺したのなら)』まで執筆し、ニコールにそっくりの白人美女と付き合い、パーティーざんまいの日々を送るようになった。

グレイゾーン―O.J.シンプソン裁判で読むアメリカ
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