「エロ」は「反応描写」がなければ成立しない。サラッとナチュラルに高校生の性愛と育児を描く/『愛してるぜベイべ★★』槙ようこ

2017/05/08 20:00

私が『りぼん』を読みふけっていたのは小学生だった90年代のことで、本連載でも90年代の作品を取り上げてきたのだが、今回は00年代の作品を紹介したい。5歳女児(叔母の子)を育てるハメになった男子高校生の目線で、子どもを取り巻く社会や親の姿が描かれていく、槙ようこの『愛してるぜベイべ★★』(2002~2005年)だ。アニメ化もされたし、その時期の『りぼん』におけるヒット作だった。

◎イケメン男子高校生のイクメン奮闘
 主人公は、男子高校生・片倉結平(かたくら・きっぺい)。主人公が男であることは、『りぼん』ではさほど珍しいわけじゃない。ただ、90年代の『りぼん』に登場するヒーロー(主人公であろうがなかろうが)は、どちらかといえば硬派なタイプが多く、軽薄そうに見えても芯は固いとか、とりあえず女遊びだけはしないってことになっていた(印象)。おバカキャラは三枚目扱いになりがちだし、『ご近所物語』のツトムはサル顔だけどモテる設定ながら実果子に一途な童貞だった。ところが今回ヒーローとして君臨する結平は、おそらく、童貞ではない。

 積極的に女子を口説くわけではないが、見目が良くて明るく優しくムードメイカーな人気者なので、同じ高校の可愛い女子たちは「きっぺ~!」と軽いノリで寄ってきてキスなどする。第一話冒頭で結平は、授業をさぼって女子と戯れている。現場を捕えた教師からは「おまえはちょっと目を離せば あっちでいちゃいちゃ こっちでちやほや」と叱咤されるほど、あちこちで同じような行為を重ねている様子だ。

 一昔前の性教育観からすれば、貞操観念の崩壊したケシカラン世界観ではあるのだけれど、イヤらしくないから不思議なのだが、よくよく観察していくと、男側の興奮や、女側の頬を赤らめるなど“感じてる”表情を描かないからだと気付いた。種村有菜の対極である。結平は他の女生徒とも二人きりになるシーンでは制服の下に手を入れておっぱいを揉んだりもしている。男女とも表情や息遣いに変化はない。だからそれが、行為自体は過激だとしても「エロ」の文脈で刺激が強いかというと違うのだ。「エロ描写」というのは、「快感反応を示している描写」であって、性行為や性器そのものの絵があったとしても「エロ」ではない。ゆえに、『愛してるぜベイベ★★』はまったくエロくはないのであった。

 少女マンガ的なのは、結平が肉食系なわけじゃなくて、女子が向こうから寄ってくるから何となく相手しているだけ、という受け身なところ。とにかくモテモテの結平は従来のヒーローたちに比べるとチャラいが、そのぶん柔軟性抜群の性格で人あたりもいい。とても取っつきやすい人物である。

 そんな結平の前に、本作のヒロイン・5歳児の「坂下ゆずゆ」が現れたことで、物語は動き出す。ゆずゆは、結平の母の妹・都の娘で、結平には従妹にあたる。都は夫の死に打ちのめされて蒸発、残されたゆずゆは片倉家で暮らすことになった。そして母と姉・鈴子の命令により、結平がゆずゆの面倒を見ることに決定! トンデモ過ぎる決定だ。ちなみに片倉家は祖父母・父母・長女(鈴子)・長男(結平)・次男(皐)の7人家族で、大人はたくさんいる。にもかかわらず結平が育児担当者に任命されたのは、勉強も部活もバイトもしておらずヒマで、女の子とチャラチャラ遊んでばかりいるから。圧倒的に女性勢力が強い片倉家で、結平は特に鈴子に対して頭が上がらない。鈴子は社会人で独身、喫煙者、朝は不機嫌、美人だが特定の彼氏はいないようである。リビングでスパーッとタバコを吸うシーンがたびたび登場するのが、ちょっとびっくりする。

 結平は早起きしてゆずゆの弁当を作ったり、幼稚園の送り迎えをしたり(おかげで遅刻常習)、お絵描きを褒めたり、一緒に寝たり、公園に行ったり、夏休みはプールで泳ぎの特訓をしたり……、もちろん最初からうまくこなせるはずもなかったが、健気なゆずゆに結平はメロメロになり、ゆずゆも結平に懐いていく。ほんとうの父子ではないけれど、お互いを愛おしく思う絆が出来ていく。

◎無理矢理のキスは暴力である
 現実の育児に直面している立場から言わせてもらえれば、片倉家の面々は結構ありえない。まず、父親が死に、母親が自分を置いて失踪したという状況のゆずゆには、普通以上のケアが必要なわけだが、そこでド素人の高校生・結平にケア役割を丸投げするというのは、物語をつくるうえでは必要でも、やっぱり違和感が強かった。それに、ゆずゆはすぐ一人になる。家の中でも(片倉家は広めの一軒家)、一人で「ちょっと待っててね」に素直に従える子だ。一人で外出しようと試みたりもする。5歳児で幼稚園の年長クラスゆえ、いろいろと分別のつく年頃ではあると思うが、逆に「小学校進学直前の子」として見ると「幼すぎやしないか……?」と思ってしまうところもある。そんな違和感はいったん脇に置き、まずは結平のキャラクターを見ていく。

 前述のように結平は、気さくなイケメンであり、モテる。しかしスーパーマンではないし、ものすごく正義感が強いわけでもないし、自信と誇りに満ち溢れているわけでもないし、カリスマ性を備えているわけでもない。ただ単純で純粋で自由、先入観や邪念を持たない天真爛漫な人物だ。女友達が「結平って人を傷つけることを言わないんだよね」と結平がモテる理由を評価するシーンもある。一方で、モテはするのだが「結平とは本気では付き合いたくない」との声も女友達から溢れている。なぜなのか。物語途中で結平とクラスメイトが“本気で付き合う”ことになるのだが、その交際経過を追うと、なんとなく理由がわかってくる。結平は自己中心的な性格ではないが、とりたてて誰かを説く別扱いすることもなく、それは「彼氏彼女の関係」を求める10代女子にとっては残酷なのだ。

 その結平と“本気で付き合う”女子が、本作のもうひとりのヒロイン・徳永心(とくなが・こころ)。性格はクールでツンデレ。幼い頃に母を亡くしていて、作中では父の再婚がきっかけでひとり暮らしをはじめ、孤独を募らせている。結平は心のことを気にしながらもゆずゆの面倒に明け暮れて、夏休み中、心への連絡を完全に忘れて(嘘だろ!?)彼女を傷つけてしまう。最初はゆずゆも心に嫉妬していたため、結平はしばしば板挟みになった。心とイチャついていたせいで幼稚園のお迎えに遅刻して以降、結平はなるべくゆずゆを優先しなければと自制していることもあって、彼らは普通の「彼氏彼女の関係」のように放課後デートを楽しむ描写もない。

 とはいえ、結平と心は校内では人前でも構わず度々いちゃついているし、校内キスシーンも多い。付き合いたてなのに、校内の人気のない階段でセックスしそうになっていたりもする(興奮は全く伝わってこない、淡々とした描写だが)。この辺りは、90年代作品に比べてカジュアルな描かれ方のように思う。恋人同士のスキンシップを“いけないもの”“いやらしいもの”と捉えることはなく、かといって“ものすごく特別で甘いもの”と過剰に憧れを煽るでもなく、“好きだからするもの”といったところ。また、“愛を確かめ合うため”にするだけじゃなく、“仲直りの手段として”“相手の機嫌を取りたくて”“相手の不安を埋めるため”にキスしたり。

 本作はキスだけでなく、ちゃんとその先まで進む。セックスするのだ。修学旅行中という刺激の強いシチュエーションで、しかも先生にバレて反省文を書く(先生は「そういう行為を悪いことだとは言わんよ でも修学旅行中に風紀を乱したということが悪いことだというのはわかるな?」と諭す)。90年代作品のほとんどは、セックスなし(あるいは未遂)、そこはぼかしたまま最終回を迎えていたが、そこをぼかすことをしなかった。さらには、心に妊娠疑惑が持ち上がる。セックスからの妊娠疑惑(セックスをすれば妊娠することがあるのだと明確に描いた)という展開は、しかし本筋である「ゆずゆ育児」問題からは外れるため、あくまでサラリと描かれている印象だ。前出『ご近所物語』でも主人公カップルのセックス、友人の妊娠退学はあったが、そっちは一大事として描かれていたことと比較すると、槙ようこはライトだと思う。ちなみに「妊娠したかも」と思った心が最初に打ち明けたのは結平ではなく女友達で、「こんなことで嫌われたくないんだよ…」と結平にはなかなか言い出せない。女友達が発する「なんでだろ…うちらの歳って一発殴られなきゃ現実に気づけないの」という台詞はリアリティがある。

 また、心に一方的に想いを寄せる野球部男子とのやりとりも、興味深い描かれ方をしている。心は孤独な子だが、誰でもいいから身を任せたいなどとは思っていない。あくまでも「結平がいい」から結平と付き合っている。だから、野球部男子に告白されても感情が動かないし、むしろ自分がモノ扱いされているようで「怖い」と感じる。無理矢理のキスは「好き」を伝える手段であっても暴力であり、人を恐怖に陥れるのだと描く場面もあり、「性」にまつわる諸問題に比較的深く突っ込んだ作品という読み方も可能だ。作風としてはライトだからこそ、読者の性や性暴力の認識にさりげなく影響を与えているかもしれない。

◎善意に触れただけで人は強くなれるのか
 本作では、生きづらさを抱えた人間が入れ替わり立ち替わり何人も登場する。それはたとえば、ナイフ所持リスカ常習のイジメられ女子中学生だったり、家庭事情から妹の世話を一手に負わざるを得ない女子高生だったり。あるいは、ゆずゆの母・都や、ゆずゆの友達の母のように、子育てに行き詰まった母親だったり。強い女に見える鈴子は、実は子どもを産めない身体であり、それゆえに、ゆずゆを置いていった都を許せないと憤っている。産んでもつらいし、産めなくてもつらいということが明確に描かれているし、両者が相手の苦しみを完全に理解するのが難しいであろうことも読み取れる。思春期女子のみならず成人女性の苦悩をしっかり描くのも、90年代『りぼん』にはあまりなかった試みだ。

 それはいいと思うのだが、ただ問題の収束方法が、毎回結平が相手の善意に訴えることで相手が目を覚ます……なのはちょっと単純すぎやしないか。問題を抱えた人間が自分の弱さを改め強くなろうとする、という流れの繰り返しでは、結局は「人は強くならなきゃいけない」になってしまう。せっかく「大人の弱さ」「生きづらさ」を取り上げるのであれば、善意だけで物事はそうやすやすと好転しないし解決しないこと、人はそうそう強くはなれないことまでリアルに描いてほしかった気もする。

 都がゆずゆを残して蒸発したことに片倉一家は激怒している。それはもちろん自然な反応だと思うが、もし都が誰にも助けを求めず逃げ出すことをしなければ、ゆずゆはもっと傷ついていたのかもしれないわけで……。女子小学生読者をターゲットにした漫画誌の作品だからこそ、「母親」が万能ではないこと、「育児」がどうしようもなく苦痛になることが起こり得ること、そしてそれは決して一部の特殊な人間の話じゃないことをもっと訴えてもよかったのではないかと思う。

 最後に、ゆずゆのキャラクターについて。可愛い。可愛い。というか、めちゃめちゃいい子すぎる。5歳だが、普段の言動は一般の5歳児よりもはるかに幼く(個人差があることは重々承知)、にもかかわらず聞き分けだけはものすごくよくて、素直で、健気……まさに天使だ。親戚の家に預けられている状況(つまり子どもなりに気を遣っている)とはいえ、5歳児なんて特定の相手にわがまま言ったり意地悪したりするし、まだまだ気に入らないことがあれば泣き叫ぶし、あれこれ計算もするけどその一方で馬鹿なこともやる、それでいて自意識過剰……と、当たり前に悪魔な面を持っている。結平と愛着関係が形成される以上、子どもの扱いづらさに困惑し、投げ出したくなる瞬間も描いて良かったかもしれない。結平がゆずゆの信頼を獲得していく過程が、あまりにスムーズで、物足りなさを感じることは否めない。ゆずゆが普通の子(=いい子の面も嫌な子の面も持つ子ども)であればもっと面白くなるんじゃないか……というのは余計なお世話か。

■中崎亜衣
1987年生まれの未婚シングルマザー。お金はないけどしがらみもないのをいいことに、自由にゆる~く娘と暮らしている。90年代りぼん、邦画、小説、古着、カフェが好き。

最終更新:2017/05/09 15:21
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