生殖器の解剖図ばかり見せても意味がない。感染症医が語る「日本の性教育に決定的に足りないもの」

大人になってから「コレ、子どものころから知っておきたかった」「学校で教えてもらいたかったな」と思うことがある。特に性に関することについては、頻繁にそう思う。というのも、小中高の学校教育において性教育が行われている「はず」だからだ。が、そこで教えられるのは性のほんの一部を切り取ったもの。健康と切り離せないもの、あるいは社会生活そのものとしての“性”は伝えられない。

 たとえば2012年にNHK「卵子老化の衝撃」が放映されたとき、多くの女性たちが「知らなかった!」と文字どおりショックを受けていた。現在は妊娠可能年齢を学校教育に盛り込む方向へと動いているが、それを知っているのと知らないのとではライフプランの組み立て方が大きく変わる。

 感染症をメインに取り組む医師の岩田健太郎さんは、

「子どものときに教わっておくべきなのに現在の学校教育から抜け落ちていることは、3つあると僕は思います。お金について、道徳正義について、それから性についてです。どれも生きていれば多かれ少なかれ困難に行き当たるもので、そのときに乗り越える力が必要です。適切に教わっていれば、10年先、20年先に必ず役に立ちます」

 と話す。最新著書『感染症医が教える性の話』(ちくまプリマー新書・筑摩書房)では、生き延びるためのスキルとしての性教育を説いている。

タイトルからすると感染症についての知識がズラッと並んでいそうだが、さにあらず。「性教育は必要なのか」「中高生はセックスをしていいのか?」「感染症にかからないためには、どうすればいいのか」といったごくごく基本的なテーマに対して、答えを与えるのではなく、自分なりの答えにたどり着くための道筋を提示している。10代の少年少女に語りかけるように、または思考の道のりを伴走するように書き下ろされた1冊には大人も学ぶことが多い。

◎生殖器を知ってもセックスはできない

「感染症にかからないためには、どうすればいいのか」と問われれば、多くの人は「そんなことぐらい知っている」と答えるだろう。コンドームを使う、不特定多数の人とセックスしない。さらに究極の方法として「セックスしない」もあり、これは医学的には正解。100%といっていい予防策だ。「でもなあ、と僕は思う。それで本当によいのだろうか、と」ーー岩田医師はそう問いかける。そこから、思考が始まる。

「感染症にはこんなものがあります、こんな症状が出ますといった情報を与えても、それはリアルな教育になりません。そもそも、子どもたちが具体的にイメージできませんからね。さらに、情報はいま飽和状態にあり、ネット上には教科書に書いてあること、教師が話すこと以上の情報があふれています。だから、それよりも情報の扱い方や認識の仕方について教えるべきなんです。感染症をはじめとする疾患については、『病気になるとはどういうことなのか』『どう対応したらいいか』のほうが、よほど大事。それでいうと、人間の身体を縦斬りにした解剖図を見せて『ここが子宮ですよ』『精巣ですよ』とばかり教えるのも不毛だといえます」

 小学校の高学年ぐらいから何度となく目にしている、“あの”図のことだ。

「車のエンジンを見せて『ここがオイルポンプです』『ベンチレーターです』と教えているのと同じで、それで『じゃあ運転してください』といったところで、子どもたちは何もできないですよね。生殖器の場所や名称を記憶しただけでは、宙に浮いた情報でしかなく、生き延びるためのスキルにはならないんです」

 そのスキルを与えられずに育つと、どんなリスクが生じえるのだろう。

「誤った、そして稚拙な情報に踊らされて、間違った性行動に出るケースが考えられますね。スキルを与えるどころか、日本の学校は子どもたちの恋愛やセックスへの抑圧装置として機能しています。『受験が終わるまで恋愛、セックスのことは一切考えるな』『我慢しろ』『大学に行ったらいいことがあるから』というわけです。それで大学に入って抑圧から解放された途端、女性に対して性暴力をふるう……昨年はその問題があちこちで表面化しました」

 学校教育では「恋愛」についても語られることがない。国語や英語で扱う文学作品や、美術・音楽などで採りあげる芸術作品にも恋愛にまつわるものはたくさんあるはずなのに、その要素は極力、排除されている。

「学校でも、『恋愛とは何か』をもっと真剣に考えたほうがいいですよね。恋愛について触れないままセックスについてだけ教えるのは、ウソになります。もちろん感情を伴わないセックスも存在しますが、多くの場合は恋愛感情が発展してセックスに至るからです」

◎不幸になるセックスは、性教育の失敗

「また、避妊や感染症予防についての情報をいくら教えても、恋愛中にそれを実践できるかどうかは別の話ということは、みなさんもご存知ですよね。それらの知識を持っている女子中学生が、彼氏に嫌われたくない一心で健康上のリスクが高いセックスをする……性教育の現場では、とてもよく聞く話です。結果的に健康を損う、または不幸になってしまうようでは、性教育としては失敗です。恋愛に夢中な状態でも、自分の身を守る行動を終始一貫できるところまで落とし込まなければ意味がないんです」

 そこで岩田医師は同書の最終章で「絶対恋愛」の可能性を提案する。「ひとりの人だけを長く愛し続ける。生涯愛し続けるような気持ちで愛する。セックスの対象もそのひとりだけ」「“わたし”よりも常に“あなた”を優先させる」という内容で、それによって“よりよいセックス”の実現を目指す。

「中高生の半分以上はこれを読んで、『なにいってんのこいつ、バカじゃないの』と思うんじゃないですかね(笑)。でも、それこそが狙いです。なぜ自分は絶対恋愛を『バカじゃないの』と思ったのかを考え、葛藤してほしいんです。いまの日本の教育における最大の問題点は、この“考える”“葛藤する”をスルーして、答えだけが与えられるところにあります」

性教育の問題というと、とかく「コレを教えて、アレは教えない」という議論になりがちだが、子どもたちに“葛藤”を起こさせないこと自体が問題だと岩田医師はつづける。

「学校教育の現場では、文部科学省の学習指導要領に基づいて授業が行われています。マニュアルをもらってマニュアルどおり教えているのですから、教師の側にまず葛藤がない。性は多様ですから教え方がひとつでは無理があるんです。性的なアクティビティが高くて10代の妊娠、出産が多い学校と、アクティビティが低い学校とを、同じ指導要領で教えるのは最初から無理があります」

 それは性教育だけに限った話ではないと岩田医師はいう。

「個々の学校、ひとりひとりの教師ごとに『自分たちが目の前の生徒に何を教えるべきなのか』『どうしてそれを教えなければならないのか』を葛藤する必要があります。教える側にそれがなく、ただ答えを押し付けるだけでは、子どもたちの考える力も主体性も育つはずがありませんからね」

 正解はひとつではないとはいえ、葛藤なき性、主体性なき性が幸せな性からほど遠いものになることは間違いないだろう。最後に、岩田医師は次のように締めくくった。

「近年、夫婦間の性がうまくいっていないという話を非常によく耳にします。セックスレスについては、メディアでもよく採り上げられていますね。セックスは相手あってのこと。パートナーを徹底的に尊重する、パートナーがいやがることは絶対にしない……夫婦間でもこうした基本的なことがクリアされていないために起きている問題は多いのではないでしょうか。大人にも、性教育が必要ですね」

 大人も性について考え、葛藤することを忘れてはならない。

■ 三浦ゆえ
フリー編集&ライター。富山県出身。複数の出版社に勤務し、2009年にフリーに転身。女性の性と生をテーマに取材、執筆活動を行うほか、『女医が教える本当に気持ちのいいセックス』シリーズをはじめ、『失職女子。~私がリストラされてから、生活保護を受給するまで~』『私、いつまで産めますか?~卵子のプロと考えるウミドキと凍結保存~』(WAVE出版)などの編集協力を担当。著書に『セックスペディアー平成女子性欲事典ー』(文藝春秋)がある。

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