[女性誌速攻レビュー]「婦人公論」11月22日号

サバサバした人間関係は寂しさしかもたらさない……「婦人公論」で60代作家が漏らす切実な本音

2016/11/19 19:00
fuujinkouron161122
「婦人公論」11月22日号(中央公論新社)

 今号の「婦人公論」(中央公論新社)、特集は「人づき合いは楽しく、賢く、細長く」です。リードには「無理なく心地よい関係を築くための方法を探ります」とありますが、そんな夢のような方法あったらそもそも「婦人公論」が100年も続いていない気が……。

 

 特集冒頭のインタビューには脚本家・大石静が登場。「誰かに癒されるより、一人でヒリヒリした時間を過ごしたい」というタイトルからもわかるように、大石の人づき合い法は、ベクトルが最終的に「自分」へと向く、極めてクリエイター的なもの。「苦しい時、他人に相談するのではなく、自分と向き合うことが、私にとってはかけがえのない時間」「大人にとって本当に大事なことは、他人とのつき合い方をみつめ直すことより、この先、自分とどうつき合うか、ではないかという気がします」。自分の人生がうまくいかないのは、自分以外の誰かのせいだと思いたい「婦人公論」読者に、大石先生のお言葉はどのように届くのでしょうか。

<トピックス>

◎特集 人づき合いは楽しく、賢く、細長く

◎親友と呼び合えるのはめったに会わない仲だから

◎若い人に誘われなくなったら要注意。60歳からは、謙虚に誠実に

■自分たちだけは「面倒くさくない」と思いたい

 確かにこの世はめんどくさい人づき合いばかり。自分自身と向き合い「そのつき合い、本当に必要?」と精査していくことは必要な作業なのでしょう。「婦人公論」でも取り上げている、“人間関係の断捨離”というやつです。

 さて続いては「親友と呼び合えるのはめったに会わない仲だから」。こちら「毒舌辛口トークなのに視聴者から好感度の高い」島崎和歌子とマツコ・デラックスの親友対談です。「私たちどこか似ている部分があったのよ。世間や人に対して、少し斜に構えて生きているところとか」とマツコが言えば、島崎も「私はアイドル時代、仲間との関係が苦痛だった記憶があるの。あの頃のアイドルは、みんなでつるまなきゃいけないことが多かったのよ。私にはそういう関係があまり向いてなかったんだと思う。まわりから浮いていたもの」。ともに“べったりとした関係は無理”と話すアラフォーの2人が、友達とのちょうどいい距離感について語っています。2人の対談でよく出てくるのが「面倒くさい」という言葉。

島崎「主婦をしている年下の友だちから、ママ友づき合いの苦労話をよく聞かされる」

マツコ「子どもをどこの学校へ入れるかで張り合ったりするんでしょう? 人として大切なのはそういう問題じゃないのに、バカらしい!」

島崎「そういう関係って、聞いているだけで面倒くさいなって思う」

マツコ「そこまでしないとつき合えない友だちなんて、こっちから願い下げって言ってやればいいのよ」

島崎「子どものことを考えたりすると、それも難しいんじゃない。でも、無理して関係を続けるのは、無駄よね」

マツコ「アンタと私との間には、そういう面倒くささがない」

島崎「主婦の友だちの愚痴を聞いていると、家庭も子どもも持たずにいてよかったとつくづく思っちゃう」

 このほかにも「(年齢を重ねると)若者にいろいろ教えたくなっちゃうんだよね」(島崎)、「がまんよ、がまん。指摘したら『面倒くさいな、この人』と思われるだけ」(マツコ)、「ご飯を食べながらがまんするなんて面倒くさいよ」(島崎)などなど。

 アラフォーたちの「面倒くさい」に対する尋常じゃない嫌悪が浮き彫りになっています。しかし自称「持っていない」2人が、「持っている」人たちの人間関係の悩みを高みから「面倒くさ~」と両断するこの感じも、結構面倒くさいと思うんですけど。

■人とつながっておきたいなら、メンテナンスは怠らない

 でもわかるんです。島崎の言うように周りと歩調を合わそうと頑張る20代、30代を経て、徐々に個と生活が確立されてくる40代に「面倒くさいしがらみにとらわれるくらいなら1人でいたい」と思う、その心持ち。

 さて続いて紹介するのは、同特集内「経験を重ねてたどり着いた私の交友術」。女優の田中美奈子とノンフィクション作家の松原惇子が語る「人づき合いの極意」です。「現場の太陽になりたい」と、うっすら宗教臭を漂わせる田中はさておき、松原が「若い人に誘われなくなったら要注意。60歳からは、謙虚に確実に」という人づき合いルールにたどり着いた境地には、なかなか身につまされるものがありました。

 「私は今日まで、仕事も一人、生きるのも一人という自由な人生を歩んできました。40代、50代の頃は『一人は身軽でいいわ』とフットワーク軽く飛び回っていましたが、それは仕事や自己実現など、常にやるべきことがあったから。60代になり仕事が暇になった途端、寂しさを感じるようになるなんて、自分でも予測すらしていませんでした」と松原。それまでは「自分とは合わない人とはドライに関係を絶ち、サバサバした人間関係をモットーにしてきた」自分が、60過ぎから「『もしかしたら、切られているのは私のほうなのかもしれない!』という衝撃の事実に気づいてしまい、大きなショックを受けました」とのこと。

 それからは、「出しゃばらない」「約束を守る」などの基本事項はもちろん、普通に付き合える友だちと愚痴をこぼせる相手を線引きすること、複数のコミュニティを持つなどを実践してきたと語っています。「若い頃の私は自分のことで頭がいっぱいだったし、人間関係について深く考えることなく過ごしてきました。『ムカッとした』『気が合わない』という理由で縁を切るのは簡単ですが、若い頃と違い、60代にもなるとそうそう新しい関係など生まれません」。

 「面倒くさい」こと、なにより自分自身が「面倒くさい」存在になることを恐れる40代と、面倒くさいメンテナンスにこそ面倒くさくない人間関係継続の秘訣があると気づく60代。同じ特集にこんなストーリーを見つけることができるのも「婦人公論」の面白さですね。

 詰まるところ「人づき合い」とはそのとき置かれた自分の状況でいかようにも変化するわけで、理想はあるけど正解はない。ということで、各人、安心して再び面倒くさい人間関係に人生の貴重な時間を捧げようではありませんか。

(西澤千央)

最終更新:2016/12/08 12:32
婦人公論 2016年 11/22 号 [雑誌]
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