詩人・文月悠光さんインタビュー

「セクハラ発言が許容される社会へのモヤモヤ」詩人・文月悠光が語る、女性の生きづらさとは

2016/10/20 15:00
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文月悠光さん

 数十年前と比べると「女性だから、この仕事は禁止」「女性に学は必要ない」などと言われる場面は少なくなった現代。しかし、そのような明らかな男女差別とは違う、モヤモヤとした「生きづらさ」を感じたことのある人は多いかもしれません。特に、女性は社会や男性から求められたことに対し、堂々と反論したり疑問を抱いたりするのを躊躇してしまいがちです。そんな、日常の小さな疑問や生きづらさをエッセイ『洗礼ダイアリー』(ポプラ社)として上梓した詩人の文月悠光さんに、女性が抱える「生きづらさ」や詩人としての活動について、お話を聞きました。

■詩もエッセイも、「生きづらさから解放されたい」という思いを出力するのは同じ

――『洗礼ダイアリー』には、とても丁寧な優しい言葉で胸に刺さる文章が綴られていますが、エッセイを書くときと詩を書くときで、何か心がけていることは違うのでしょうか?

文月悠光さん(以下、文月) どちらも「作品と読者が良い形で出会ってほしい」という心がけは一緒ですね。詩の場合だと、読者も現実と切り離して「これは詩の世界の話だ」と思って読んでくれます。でも、エッセイだと「実体験が書かれている」ということを前提にして読まれる場合が多い。確かに実体験がベースではあるのですが、私の感じ方や人物の描かれ方も含めて、読み手にどう伝わるのかな? どうしたら話についてきてもらえるかな? と、より試行錯誤して書いていますね。

 詩だったら「ここに書かれていることは、私の空想やイメージです」と言えば、受け入れてもらえます。だからこそ自由に表現ができるし、読み手も現実を離れられます。一方エッセイは、実体験を題材にしている分、作品世界が狭まりやすい。だから生きづらい過去や経験を描きながら、そこからいかに広い世界に読者を連れ出すかという点にこだわりました。例えば、『洗礼ダイアリー』の中の「自撮り流星群」というエッセイでは、SNS上に大量にアップされる自撮りの写真が、空を流れていく流星群のように見えるという表現をしています。現実からの飛躍は、本来詩の要素に近いと思うのですが、むしろエッセイを書く際に心がけました。

――詩にあまりなじみのない人も多いと思うのですが、文月さんはどのようにして詩を書かれるのですか? 

文月 思いつくままにインスピレーションで書いた言葉が詩になると考える方もいらっしゃるかもしれませんが、私の場合は、書く前にプロットを作るようにしています。作品のイメージと全体を組み立てた後、実際に書きだします。詩とエッセイで読者の受け取り方は大きく違うと思うのですが、私にとって出力の仕方は似ている気がしますね。「どこかに飛躍を持たせたい」とか、「生きづらい場所から解き放たれる、その過程を書き出したい」という思いは、詩もエッセイも同じです。

■男女とも、お互いの生きづらさを伝え合わないまま大人になっている

――『洗礼ダイアリー』はネットで連載されたものをまとめたエッセイ集ですが、特に「セックスすれば詩が書けるのか問題」の回はネット上で話題となりましたよね。男性から「あなたの朗読にはエロスが感じられないね。最近セックスしてる?」とセクハラととれる質問をされたという……。

文月 この件はエッセイとして書く前も、ツイッターやほかのコラムで話題にはしていたのですが、文章の上で深く考察したことはありませんでした。質問に対する衝撃や、「なぜそんなことを聞くのかな」という、やりきれなさの方が先に立ってしまって……。でも時間を置いてから、「どうして一部の男性たちは無邪気にぶしつけな質問をするのだろう」と思い、第三者の方にも伝わる形で書いてみたら、自分の中でも納得がいくのかなと思いました。

 別に、質問してきた相手を攻撃したいとか断罪したいとは思っていません。言ってきた相手に何かをしたいというより、「どうして、こういうセクハラ発言が許容される世界なんだろう」ということにモヤモヤしてしまって。女性である私が幼少期や思春期に抱いた葛藤を、おそらく男性は男性で別種の生きづらさとして感じているはずです。それなのに、お互いの生きづらさを伝え合わないまま大人になり、いきなり一緒の会社や同じコミュニティに置かれてしまう。そこで互いへの理解が及ばず、力の不均衡が生まれてしまうのかなと思います。

 私はフリーランスなので、普段は1人で作業をすることが多く、性別や年齢による権力差を感じる機会は少ないのですが、会社に日常的に身を置いている女性側からすると、セクハラされても言い返せない場面はありますよね。私はたまたまエッセイにできる機会があったけれど、言えないままモヤモヤしている人もたくさんいる。書くことで、そういう人が口を開きやすくなってくれたらいいなという思いもありました。

――「セックスをしないと、良い詩が書けない」と言った男性もそうですが、なぜ男性は創作活動をする女性と性愛を絡めたがるのだと思いますか?

文月 作り手に対する幻想と、女性に対する幻想とが混ざっているのだと思います。「書き手や芸術家は、恋愛などの生々しい実体験を創作の糧にしている」というようなイメージは、いまだに根強いんです。実際は、自分と作品を切り離して作品を作っている人も、たくさんいるのですが……。

 そんな書き手に対する幻想もあって、「詩人として突然現れたこの若い女は、どういう恋愛をしているんだろう」という下世話な好奇心が生まれてくるのかなと。「若い女性は、恋愛や、付き合う男性によって大きく変わるはずだ」という思い込みもあるんでしょうね。

 難しいのが、「若い女性という属性を売り物にして活動している以上は、セクハラも引き受けて当然」という声が常にあること。「こういう生きづらさが嫌です」と私が声を上げると、「でも、それで得してるんだからいいじゃん」という声が返ってくるので、じゃあどうしたらいいんだ……と途方に暮れることがあります。

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