契約結婚で「主婦」に就職したみくりを駆り立てるものとは『逃げるは恥だが役に立つ』

◎恋愛マンガ? お仕事マンガ?

こんにちは、さにはにです。今月も漫画を通じてこれからの女性の生き方のヒントを考えていきたいと思います。よろしくお願いします。

今回ご紹介するのは、海野つなみ先生の『逃げるは恥だが役に立つ』(講談社)です。1989年にデビューされた海野つなみ先生はコンスタントに作品を発表されていて、姉弟間の恋愛感情を描いた『回転銀河』(講談社、2003年)や「小公女」をSF風にアレンジした『小煌女』(講談社、2009年)など、ちょっと凝った設定やテーマに取り組まれてきました。巧みなストーリー展開、セリフや表情などで詳細に記述される人物の心情、息抜き的なギャグなど、情報量の多い作品でありながら構成が大変に丁寧で、どの作品からも安心して作品世界に没入させてくれる技術力と安定感が感じられるように思います。

2012年11月に『Kiss』にて連載開始された『逃げるは恥だが役に立つ』は、2015年に第39回講談社漫画賞・少女部門を受賞するなど高い評価を得ている作品で、10月11日からはTBS系列にて新垣結衣さんと星野源さんの主演でドラマ化されました。

本作の中心となるのは、心理系の大学院を卒業するも正規で就職ができない森山みくり(25)とIT系の企業で働く「高齢童貞」の津崎平匡(36)を巡る人間関係です。派遣契約を打ち切られたみくりは次の仕事をなかなか見つけることができず、父に紹介されて家事代行の仕事を個人的に請け負うことになります。

就職活動に失敗した経験がトラウマになっているみくりは「誰からも必要とされていない」「貯金がない」「将来に不安がある」といった悩みを抱えていて、正社員になりたいと願っている人物です。こうした人生の煮詰まりを突破するべく、平匡の自宅に主婦として「就職」するという提案をみくりが自ら行うところから物語がスタートします。業務内容や給料、「恋人は作っても良い」「寝室は分ける」など細かい取り決めをして「契約結婚」を始めた二人ですが、周囲は当たり前に夫婦として扱ってくるので、色々厄介なことが起きてきて……という本作の展開がつきつけてくるのはズバリ「結婚とは何か」「仕事とは何か」という問いのように思います。ナタリーで行われている海野先生のインタビューでも、本作を恋愛マンガとするかお仕事マンガとするかで読み方が変わってくるとおっしゃっています。そしてこれは、家族社会学者が長年追いかけ続けた問いにもつながるように感じられます。

◎みくりの「主婦業」の対価は年間140万円?

家事代行がきっかけとなって出会った平匡とみくりの契約結婚には、トリッキーな前提が組み込まれています。それは、代行サービスで提供される家事と主婦が行う家事を本質的に同じとみなすという前提です。

掃除をしても洗濯をしても賃金が出ないように、家庭の中で行われる家事には対価が発生していないのはみなさんご存知の通りです。愛情表現や義務としての位置付けをも持つ家事労働は経済的合理性では測れない作業であるという位置付けが一般には与えられています。それゆえに家事は経済に接続させるのが難しく、そのことが女性の社会的地位を低くしているという主張をするフェミニストも少なくありません。「家事労働に賃金を」とのスローガンで知られるイタリアの活動家マリアローザ・ダラ・コスタは1960年代末に「女性たちは工場などで労働者として搾取されているだけでなく、家事を通じてさらに搾取されている」と主張しています。

家事労働の対価を計算するのは思った以上に困難です。理由の一つとして、家事はあまりに細部に渡っているためにどこからどこまでを家事とみなして良いかの判断が難しく、「洗濯」や「子供の世話」といった個別の家事を取り出して計算することが難しいという点があります。一般には、家事労働の経済対価は生活時間調査をもとに換算されますが、買い物の計画に代表されるマネージメント的な家事を時間のみで評価しても良いのか、宅配便の受け取りや通院の付き添いなどの待機時間をどう評価するか、など時間に着目すること自体の是非について議論が尽きないのが実際です。

このように計算が難しい家事労働の対価ですが、よく使われる数値の一つを図1として示しました。1980年代から2011年は男女ともに賃金が上昇していること、男性と女性を比べると 4.9倍ほどの差があることを読み取ることができます。家事労働の対価をはかる方法は複数あるのですが、ここで用いられているRC-G法は、「お手伝いさんの賃金をベースにして家事を評価する」という方法です。みくりが家事代行の延長から契約結婚を行なったことからこの手法を選んでみました。

ただし、家事代行は現在の市場ではそれほど高い値付けが行われていません。というのも、保育士や介護福祉士といった家事に類似する労働は労働対価が低いという現状があるため、そこから類推する家事労働の値段も低く見積もられてしまう傾向があるのです。また、前述のように家事労働は労働時間による単純な計算が難しい点にも注意が必要です。

この計算でいけば、みくりが受け取る対価は年間140万円ほどとなります。このほかに、主婦であれば、年金や健康保険などが利用可能となるという利点があります……と作中では書かれていますが、夫婦にならなくとも、親の扶養に入るという選択肢もあるはずです。作中のみくり達は各種ボーナスなども検討していますが、年収140万円+主婦という地位(といっても「仮面夫婦」なので、いつ撤回されるかは確信が持てない状態という前提です)のために生活全てを変えることができるのか? と言われると少々難しいようにも思えます。作中では自分の居場所を求めて悩むみくりの様子が描かれていますが、こうした数字を合わせて考えると「経済的合理性の他にも動機があるのでは?」と考えた方が自然なようにも思えてきます。

◎見合い結婚した女性の満足度は急激に下降する

そもそも「結婚」とは一体何なのでしょうか? この問いに対する答えを探そうと、しばしば行われてきたのが、見合いと恋愛の違いに関する研究です。広く知られているように戦前の日本においては見合い結婚が主流でした。NHK連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」などでも取り上げられていたように、見合いで結婚していた時代は当事者であっても結婚式当日まで面識すらないことも珍しくありません。なぜなら、結婚する二人の感情は現在のように重視されておらず、嫁が家業を覚えることと子供をもうけることが結婚の基本的な目的だったからです。

見合い結婚といえば、仮に本人同士の関係がうまくいかなくても、周囲に支えられて家族関係の継続はできるような印象を持ちますが、実は離婚やできちゃった結婚が多かったのが戦前です。その理由は、嫁ぎ先の仕事や人間関係に馴染まないという理由で離縁されたり、子どもができたとわかってから法的な手続きを進めるケースが多かったためだと言われています。結婚をめぐるこのような状況の背景には日本の「イエ」制度があります。家長がリーダーとなって「イエ」を統率し、他の者はそれに従うという「イエ」制度は、武士や荘園に代表されるように、家産を守り次の世代に受け継がせるという背景を持っています。当時の女性にとって、結婚とは嫁ぎ先の「イエ」に就職するという意味合いを持っていたともいえるでしょう。

しかし戦後の憲法改正や恋愛の自由化などを経て、恋愛結婚が主流へと移行する様子は統計調査でも明らかにされています。1940年代には7割程度だった見合い結婚の割合は1960年代後半に半分程度になり、現在では1割を切る水準になっています。

家族社会学では見合い結婚と恋愛結婚の比較という観点から「イエ」制度の変容を把握するというアプローチが数多く行われていますが、その中のひとつにアメリカの社会学者ロバート・ブラッドが1950年代末に行った調査があります。見合いが中心だった当時において、見合いと恋愛の比較を行ったデータは貴重なものです。今回はブラッドの著作から二つのデータをピックアップしました。

図2は結婚期間の経過と夫婦関係満足度の変化について、男女別、見合いと恋愛別に比較したものです。結婚2年以下の段階では見合い/恋愛、男/女共にそれほど大きな違いは見られません。また、結婚年数の経過と共に夫婦関係満足度が低下していくのも全てのカテゴリに共通しています。しかし、その下がり方がそれぞれで大きく異なっています。見合いの夫は2-4年でむしろ上昇傾向にあり、その後の落ち方も緩やかです。逆に見合いの妻は2年から5年の間で満足度が急激に下降し、どのカテゴリよりも満足度が低くなっています。

両者の違いをさらに確認できるのが、図3で示した愛情表現の推移です。結婚後に相手に愛情を示す「遅ればせながらの求愛」は見合いであっても見られる状況です。しかし2−4年で急激に低下し、9年以降はほとんど見られなくなって行きます。

見合いでスタートした結婚がその後も継続しているということは、妻はある程度嫁ぎ先に適応して「うまくやっている」ものと予想できます。それでもこれだけ満足度や愛情表現に差があるのですから、見合い結婚の妻の苦労たるやかなりのものだったことが予想できるでしょう。「イエ」制度によってあらかじめ立場が守られている夫と外部からやってきた妻の違いをデータから読み込むことができます。これに対し、恋愛結婚の場合は妻の満足が夫の満足を上回り、その差も見合いほど大きくはありません。当時の社会において先進的だったと言える恋愛結婚は「都会的で知的な選択」という位置付けも持っていました。そこでは女性が大切にされていて、見合いとはかなり違う生活状況があったと考えられそうです。

◎みくりと平匡の関係は今後どうなる?

家事などを担当することを前提に「家族」に就職したみくり達の契約結婚は、見合い結婚と似た性質を持っています。しかし、戦前のような「イエ」制度の影響がないことに加えて、性的接触はない(=子どもを持たない)、終身の契約とは限らない、関係を知るのは自分達のみである、という前提で契約をスタートさせていて、本人の意思以外に夫婦関係を維持するフレームを採用していないことを考え合わせれば、関係の不安定さは見合い以上ということもできそうです。

私たちは、時として、合理的ではない道を自ら選択することがありますが、そこには愛情とか常識といった別の合理性が潜んでいることがしばしばです。前半で紹介したように、家事は経済的合理性では評価しにくい労働です。それでも多くの人(大体は女性)が不満を持ちながらも家事に従事できるのは、それが義務とされているという前提に加えて経済とは別の、愛情という価値で図られるという側面を持つからだといえます。年間140万円程度でお見合い結婚よりも不安定な就職を選択したみくりの行動は、経済的な合理性からはやはり離れているように感じられます。

このように考えると、本作の展開に説得力を持たせるには「恋愛マンガ」としての意味づけ、つまり人間関係の深まりをどれだけ掘り下げられるかが深く関わってくるようと言えそうです。ネタバレにつながるので詳細は避けますが、この点は実際に中盤以降の本作の基軸となり、他の登場人物の選択とも関連しながら最終的なテーマとなりつつあります。

冒頭でも紹介したとおり、本作は10月11日よりドラマが放送されています。安易な「恋愛もの」として作品を矮小化せず、本作が持つ「お仕事もの」としてのフレームをきっちりと描くことは世の中に対して鋭い問題提起につながるはずです。漫画の方の展開も目が離せませんが、ドラマとしての仕上がりもしっかりと見届けたいと思います。

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