ハゲが怖いのは自分のせい? ディスり合って相互承認していく男たちのTHE・自縄自縛

男性性にまつわる研究をされている様々な先生に教えを乞いながら、我々男子の課題や問題点について自己省察を交えて考えていく当連載。2人目の先生としてお招きしたのは、「ハゲ」をめぐる問題を男性性の観点から研究した『ハゲを生きる─外見と男らしさの社会学』(勁草書房)の著者である昭和大学准教授の須長史生さんです。

<前編:「ハゲたらモテない」なんてウソ!? 身体性の希薄な男性が、ハゲだけは異様に恐れる理由>

男子特有の「からかい」というコミュニケーション

清田代表(以下、清田) 前編では、ハゲをめぐる議論において支配的な考え方である“ポジハゲ論(=ポジティブ・ハゲ論)”の問題点を紹介しつつ、我々男の中に根強く存在する「ハゲたら女性にモテない」という恐怖が、実は男性自身によって作り出された“フィクション”の視点であるというお話をうかがいました。

須長史生先生(以下、須長) そうですね。その視線は男同士のコミュニケーションにおいて巧みに利用されています。

清田 須長先生はそれを「からかい」や「人格テスト」と名づけていますが、それは具体的にどういう状況のことを指すのでしょうか。

須長 例えば清田さんは、高校時代に男友達から「お前てっぺんヤバくね?」と言われていますよね。そのときってどうしたんですか?

清田 正直どう対処していいかわからなかったです。自分のつむじ付近がどんな感じかわからなかったので、強気に「ヤバくねーし!」とは否定できなかったし、もしホントに薄くなってたとしたら、否定するだけ痛々しい感じになってしまう。逆に笑えるリアクションで上手に切り返すこともできず……なんか、ヘラヘラ薄ら笑いを浮かべながらフリーズしてしまったのをよく覚えています。

須長 その男友達は「ヤバい」という言葉を使っていますが、その背後にあるのが「ハゲたら女性にモテない」という根拠です。そのため、攻撃する側は自分が外見差別をしているなんてまるで考えず、むしろ「忠告してやってる」くらいに思っている可能性すらある。そうやって男性たちはフィクショナルな女性の視線を巧みに利用しているわけです。

清田 思い出して腹が立ってきました!

須長 清田さんがフリーズしてしまったのもしょうがないし、そもそも、仮につむじ付近が薄くなっていたとしても、それを誰かが揶揄していい理由などどこにもありません。なので無視すればいいし、場合によっては怒ったっていいわけです。しかし厄介なのは、それが「遊び」や「戯れ」のような顔をして飛んでくることです。

清田 そうなんですよ! 確かにムカついたんですが、そこで怒っても「ただのジョークじゃん(笑)。なにマジになってんの?」という感じになるだろうなって。

須長 今で言う“イジリ”にも近いものですよね。これは男子に多いコミュニケーション様式なんですが、友達同士でなにかと攻撃し合うんですよね。服が汚いとか、寝癖がついてるとか、なんでもやるんですけど、その際にうまく切り返すことによって、笑いが生まれ、自分のポジションが上がっていったりする。男性にはそうやって友達関係を維持していく傾向がありますよね。

清田 でも、自分にもそういう側面は多分にあると思います……。服がダサいとか、鼻毛が出てるとか、なにかしらネタを見つけてディスり合うというのは、確かに男同士のコミュニティでは日常茶飯事かもしれません。

須長 そして「ハゲ」というのは、その文脈において恰好の攻撃材料(=からかいのネタ)なのだと思います。ネタが際どくなるほど、逆に「それを指摘できちゃうくらい俺たちは仲良しだぜ」というアピールになるので。

男はディスり合いの中で「存在証明」を得ていく?

清田 そもそも、なぜ男同士というのはそういったコミュニケーションを図ろうとするんですかね。って、自分もわりとやってしまうので、他人事では全然ないんですが……。

須長 単に楽しいからというのもあると思いますが、ひとつは「テスト」的な意味合いですよね。つまり、ちょっとした攻撃を仕掛けてみて、相手が堂々と怯まないやつかどうか、あるいはおもしろい切り返しをできるやつかどうかといったことを試している。それが互いの評価や友達としての親密さに影響を与えるため、私はこの行為を「人格テスト」と呼んでいます。

清田 確かに、予想を超える返しが来たりすると、「お前すげえ!」ってなりますもんね。

須長 もうひとつは「存在証明」のためです。私の尊敬する社会学者の奥村隆さんは、「思いやりとかげぐちの体系としての社会」という論文の中で、「人間が生きていくうえで最も重要な問題のひとつ」として“自己の存在証明”を挙げています。これは要するに、自分は価値ある人間だと証明したい、認められたいという気持ちのことですね。奥村さんはこの論文の中で、人間はできるだけ安全かつ確実に相互承認を確保するために「思いやり」という制度を発明したと述べています。でも、思いやりだけだと自分が認められているという感じが得られない場合もありますよね。

清田 なんとなくFacebookの「いいね!」を連想しました。誰にでも「いいね!」する人の「いいね!」だと、正直ちょっと喜びが薄かったりするなあと(笑)。

須長 欺瞞の匂いというか、なんでもかんでも認め合うというのは端的に言って退屈です。そうなると、どれが本当の承認なのかわからない。つまり、思いやりが氾濫すると真実性と希薄性が低下していくわけです。奥村さんは、それを担保するひとつの方法として「陰口」を挙げています。これは「ここだけの話だけど」「あなただけに言うけど」というアプローチでリアリティを担保する方法で、どちらかというと女性的な存在証明のあり方だと言えます。

清田 グループLINEで複数人と平和な会話を展開しつつ、同時並行で仲良しの友達と個別にやりとりして誰かの陰口をリアルタイムで言い合う……という女子の話を聞いたことがありますが、まさにその構造かもしれません。

須長 一方で、これとは異なるアプローチで相互承認していくのが、からかいや人格テストです。適度に攻撃し合いながらも、それを上手に切り返したときの実感や、その結果として得られる仲間からの承認というのは確かなリアリティがある。そうやって存在証明を得ていくやり方です。

清田 度胸試しや無茶振りといったコミュニケーションも、そういうもののひとつですよね。

須長 ただし、これらはあくまで“遊び”という文脈で行われるべきものです。「役割の互換性」が失われたり、「相手を叩きのめす意思」が存在したり、「過程自体の楽しさ」がなかったりしたら、それは遊びではなく“いじめ”になってしまう。

清田 そう考えると、ハゲがネタになる場合、仕掛ける側は遊びのつもりでも、受ける側はいじめに近い感覚を覚える……なんてすれ違いが生じる可能性はありませんか?

須長 まさにそうですね。そこが一番の問題点だと思います。

「ハゲ」はなぜ攻撃対象のネタになってしまうのか?

清田 からかいや人格テストといった行為は、ある種の“予定調和”を崩す刺激的なコミュニケーションだと思います。そして、「俺はここまで踏み込めるぜ」「俺はこんな予想外の切り返しができるぜ」みたいなやりとりの中で互いに存在証明を得ていく、というのも確かにあることだと思います。でも、キャラや役割が固定しちゃうと、その関係から抜けられなくなりますよね。常にこの流れでイジリが入って、こういうリアクションを取って、それでワンセットのコミュニケーションになっちゃう……みたいな。からかってる側は楽しいかもしれないけど、受けてる側はウンザリしてる可能性も高いなと。

須長 そうですね。「ハゲ」という要素はその恰好のネタになってしまうわけですが、そこには「男らしさ」に関わる3つの理由があると思われます。まずひとつは、「他者を攻撃すること」自体が男らしさの証明になるという点。からかう側、イジる側に立つというのはイコール「強者のポジションに立つ」ということなので、ハゲをイジること自体が男らしい行為となってしまうわけです。

清田 なるほど。有吉弘行や坂上忍みたいなバラエティ司会者って、そんなタイプのような気がします。

須長 もうひとつは、ハゲを攻撃することによって、「俺はハゲてない」ということを暗に表明できるという点です。そうやって間接的に「自分は優位な側、マジョリティの側にいますよ」ということをアピールできるわけです。さらにそれが集団内で行われると、ハゲた男性をイジることによって、その他全員が「ハゲてない俺たち」ということを確認でき、それが男同士の連帯につながっていくという側面もあります。

清田 何というかもう最悪ですね……。誰だって攻撃される側にまわりたくないですから、男はハゲること、つまり「イジられる側になること」を異様なまでに恐れているのかもしれませんね。

須長 ハゲ以外にも、「チビ」とか「デブ」とか「マザコン」とか「足が遅い」とか、いろんな要素で男性たちはからかいや人格テストを仕掛けている。こうやって考えると「そんなもの相手にしなければいいのでは?」とも思うわけですが、それが存在証明に関わる行為である以上、簡単に離脱することができない。無視をすれば「逃げた」ということになってしまう。だからそのゲームに参入せざるを得ない。なかなか厄介な構造です。

清田 バラエティ番組なんて完全にその文法で動いてる世界ですよね。イジリを上手に切り返せなかったら、そいつが悪いという空気になってしまう。コミュニケーション能力が問われ、「機転が利かない」「準備が足りない」といった感じで評価されちゃうし、最近はアイドルや文化人ですらそれを要求されますからね……。

須長 いわゆる“芸人化”ですよね。教えている学生たちを見ていてもその傾向は感じます。ただ、こと「ハゲ」という現象に関して言えば、少しずつ変化の兆しも見える。というのも、全体的に学生たちのコミュニケーション能力が上がっているのと、あと男子の中にも褒め合いや助け合いの中で存在証明を行っていく文化が育っているというのもあり、ハゲをネタに攻撃するということは減っているような印象です。そんなことをしたら「空気の読めないやつ」となり、逆に排除の対象になりかねない。もちろん、ここには社会学者の土井隆義さんが言うところの「友達地獄」的な苦しさもあるんですが、個人的には、“競争や攻撃を基調としないホモソーシャリティ”みたいなものが若い世代から作れるのではないかという期待はあります。

清田 「男らしさ」のあり方が少しずつ変わってきているのかもしれませんね。

須長 最後に、これは学生にもよく言うことなんですが、本来は髪が薄くなっても努力する必要なんて全然ないんですよ。でも、もし何か対処していこうとするならば、「プロの技術を頼る」というのが一番です。ハゲというのは、そのこと自体よりも、むしろそれが“強烈な外見”になってしまっているために目立ってしまうのだと思います。逆に言えば、センスやバランス次第でいくらでもカバーできる。

清田 なるほど。技術論になると救いがありますね! 確かに竹中直人や所ジョージなど、髪が薄くなっていても不格好な印象を与えない男性のモデルって結構いますもんね。

須長 横の髪を刈り上げるとか、ソフトモヒカンっぽくするとか、脱色するとか、全体のボリュームをふわっと仕上げるとか……やり方はいろいろあるはずです。美容師や女友達など、自分よりも外見のセンスがいい人に頼るというのもひとつの手だと思います。また、最近は保険適用の医療機関も増えているので、そういった場所を利用することもオススメです。

清田 「隠すor開き直る」の極端な2択だけでなく、いろんなつき合い方が出てくるといいですよね。

■今回の先生■

須長史生(すなが・ふみお)
1966年東京都生まれ。昭和大学准教授。専門はジェンダー論。1999年、東京都立大学社会科学研究科後期博士課程退学。著書に『ハゲを生きる─外見と男らしさの社会学』(勁草書房)がある。

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