[サイジョの本棚]

「変容する自分」を楽しむ2冊! 性的に開眼した女の書簡集『マドモアゼルSの恋文』、“中年~お婆ちゃんの空白地帯”をつづる『わたしの容れ物』

2016/07/10 19:00

■『わたしの容れ物』(角田光代、幻冬舎)

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 『マドモアゼルSの恋文』の後に続けるのは少し気が引けますが、“変容する女性”つながりとして紹介するのは、加齢に伴う変容について、直木賞作家である角田光代氏がつづったエッセイ『わたしの容れ物』(幻冬舎)です。

 どんな人でも避けられないのが、加齢にともなう心身の変化。「老いること」について、女性なら例えば「可愛いお婆ちゃんになりたい」「いや頑固ババアになりたい」などとぼんやり考えたりもしますが、30代の自分に慣れたあたりで気付くのは、「若くない」地点から「お婆ちゃん」地点までの茫漠とした空白地帯。いっそ外部から「あなた今日からお婆ちゃん!」と指定してもらう仕組みでもあればいいのですが、現実は、「若くないけど、『どこからどう見てもおばさん』とまではいかない(はず)」から始まり、「中年だけど、お婆さんにはまだ遠い」へと続く曖昧なロングコースに放り出され、スタートもゴールも自分次第、という状況にあることに気付くのです。

 「アンチエイジング」という路線であれば、その道のりを指南してくれるコンテンツも豊富にあるのですが、「そっち方面は、そこそこでいいです……」と思っている女性が抱える、この先の不安に寄り添ってくれるものは、意外と少ないのではないでしょうか。『わたしの容れ物』は、そんな女性の長い道のりを、一緒に散歩してくれるような、角田氏自身が経験した加齢についてのエッセイ32編が収められています。

 食の好み、肌質や体質などといった小さな変化から、ぎっくり腰、閉経問題や更年期検査に至るまで、「女性の老い」にはさまざまな事象が含まれます。人間ドックの結果で同世代と話が弾むことを喜んだり、夢見ていたドライ肌に失望したりする著者に通底しているのは、「変わる前にはなんだか不安に思うけれど、実際はちょっとおもしろいことなのだと思う」というフラットな感覚。精神面の老化についても、周囲の年長の友人を見ながら、「人は年をとっても、より良い人間になったりはしない。(略)どちらかというと、美点より、欠点のほうが、増長されていくような気もする」と冷静に分析した上で、欠点をなくすより、“欠点はあるが憎めない人”になる方が重要だと結論づける著者には、「老化は避けられないけれど、新しい自分として受け入れよう」という明確な意志が感じ取れます。

 「老い」とは、わかりやすく表出するものではなく、小さなグレーゾーンがまだらに重なるように、次第に色濃く滲み出てくるもの。先ほどのシモーヌではありませんが、どうせ進まざるを得ない道なら、自ら好奇心を持って歩いた方が楽しそうだと、自然と思わせてくれます。

 けれども、キレイごととも取られかねない考えが、読者に説得力を持って伝わる背景には、角田氏にはその腕一本で十分に稼げる才能や、かつフルマラソンを完走できるほど鍛えられた健康な体の持ち主という面も排除できません。ただ、才能と経済力はどうしようもなくても、せめて体くらいは運動でなんとか……凡々たる中年女性を、そんなふうにも奮起させてくれる1冊です。
(保田夏子)

最終更新:2016/07/10 19:00
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