ピンク映画界の巨匠・浜野佐知監督インタビュー(後編)

「デカくて固くて長持ち」の男なんて迷惑! ピンク映画の巨匠が描く女性主体の性

2016/06/04 15:00
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浜野佐知監督

(前編はこちら)

 ピンク映画作品を数多く制作してきた浜野佐知監督の根底には「男のためにではなく、自ら欲情する女性を描く」という大きな目標があったという。女性の性、社会全体での性の意識はどう変わってきたのか、話を聞いた。

■セックスは一番小さな男女共同参画

――浜野監督はどういう思いで映画をつくっているのですか?

浜野佐知監督(以下、浜野) 2001年に発表した『百合祭』という作品は一般映画で、高齢女性のセックスを描いたたぶん世界でも最初の作品だと思いますが、それまでの男社会ではババァのセックスなんて全く考えられなかった。セックスは生殖とイコールで、女の膣にザーメン撒き散らして子どもをつくること。だから閉経した女は性の対象にあらずということで、小説や映画で老人のセックスは描かれたことなんてほとんどない。稀にあったとしても、ジジイと若い女の組み合わせで、ババアのセックスなんてタブー中のタブーですよ(笑)。

 だからこそ、私は『百合祭』という映画で「70歳になっても80歳になっても死ぬまでセックスしたい」という女の欲望を描きたかった。閉経したからって女は枯れないし、年を取ったからって性欲がなくなるわけじゃない。逆に生殖から解き放たれたからこそ、自由で豊かなセックスがあるのではないか? だって、妊娠の心配がないんですよ。女にしてみればヤリたい放題(笑)。今こそ、男たちが都合よく奪ってきた女の性を女の手に取り戻す。それにはババアのセックスが一番効き目があるんじゃないかと。主演が吉行和子さんとミッキー・カーチスさんで、ため息が出るような素敵でいやらしいセックスシーンを演じてくれました。
 
 ピンク映画で言えば、男の性の思い込みをどう覆していくか、をテーマにしています。その時代時代の男のセックス幻想をぶっ壊す映画をつくる。

 例えば、10年以上前に撮った作品ですけど、酔って帰ってきた夫が寝ている妻に「ご主人様がやりたいときにやらせるのが女房の役目だろう」と無理やりセックスして、怒った妻が「これはレイプだ!」「私はもう気持ちいいセックスしかしない」と宣言してヤリマンツアーに出かけてしまうんですが、夫は自分の行為に何の問題があるのか全くわからない。ラストは、妻を探し出した夫が「許してやるから家に帰ろう」と言うんですが、妻は「あんたは何にもわかっていない」と離婚届を突きつけて繁華街を颯爽と歩き去っていく、というストーリーなんですが、セックスの強制はたとえ夫婦間でもレイプになる、というメッセージを込めています。

 まあ、男の監督が作るピンク映画だったら、夫が迎えに来た時点で仲直りして、夫婦和合のセックスで、めでたしめでたし、となるところなんでしょうが、浜野ピンクはそうはいかない。徹底的に男を叩きのめす(笑)。ピンク映画の観客は男ばかりですから、映画を通してセクハラやDVに潜んでいる男の幻想や思い込み、男にとって都合がいいセックス観を全部ぶち壊していく、というのが私のピンク映画かなと思っています。

――女性向けAVが流行するなど、女性の性に対する意識は変わってきた気がします。

浜野 女にだってエロを楽しむ権利はある。ただ今までそういう場がなかっただけなんですよ。

 私のピンク映画も女性たちがツアーを組んで見に来てくれますが、女がポルノを楽しむようになって、つくる側も女の描き方が男のために股を開くだけの客体ではなく、自ら欲情する女のセックスを撮るようになった、というのはあると思います。私のピンク映画もそうですが「自ら欲情する」ことこそ女性たちに伝えたいことなんですね。現実のセックスでは「早く終わってくれないかな〜」なんて思いながらセックスする女性が案外多い。「じゃあ、なんで股開くの?」と聞くと、断ったら彼氏に嫌われるからとか、男の欲望に応えるのが女の役目だからとか、女性も間違ったセックス観を刷り込まれているんですよ。
 
 私は「セックスは一番小さな男女共同参画」と言っていますが、男と女が対等に、自分のやりたいことを相手に要求し、お互いが一番気持ちの良いセックスをするためにどうすればいいか、ということを2人できちんと考えたら、本当の意味での良い関係が生まれると思います。

女が映画を作るとき (平凡社新書)
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