男は妻を「母」にし侮辱するが、真の「母」を侮辱することはできない/二村ヒトシ×林永子『日本人とセックスの解体』

 さる5月17日夜、紀伊國屋書店新宿本店8階イベントスペースにて、messyでおなじみのコラムニスト・林永子さんと、『すべてはモテるためである』『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』がロングセラーとなり、このほど湯山玲子さんとの共著『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』を刊行したAV監督の二村ヒトシさんが、トークイベントを開催した。

 林さんの『女の解体』(サイゾー)担当編集者が事前にテーマとして提出したのは<他者への愛と自己愛はどう違うのか><性愛と家族愛の分断が成立するのはなぜか、打開できないのか>の2つだったが、打ち合わせなしぶっつけ本番のトークはどう展開したのか?

<以下、二村ヒトシ×林永子トークイベント『日本人とセックスの解体』(2016年5月17日)より>

◎なぜ永子は怒っていたのか

林 林永子です。よろしくお願いします。

二村 二村ヒトシです。ね、これマイク使わなきゃいけない? 僕も林さんも声デカそうだからなくても大丈夫なのでは。

林 ああ、じゃあ、そうしましょう。こっちの方がちょっとフレンドリーで、いい感じですよね。

二村 なんか、ただダベッてるみたいでね。林さんとは今から5分くらい前に初めてお目にかかったんですけれども。

林 本当、今日は光栄です、ありがとうございます。せっかくなんで、会わずに打ち合わせも何もせずに、せーのどんでお話するのがスリリングでよろしいのではないかと思いまして、5分前集合でお願いした次第でございます。よろしくお願いいたします。さて、何からお話しましょうか?

二村 皆さん、これ、この二冊はもうお手元にありますでしょうか?

林 (笑)もう皆さんね、多分二村さんのファンの方、たくさんいらっしゃるかと思うんですけども。まずはちょっとじゃあ、本の紹介。

二村 『女の解体』は、messyに書かれていたコラム「ナガコナーバス人間考察」をまとめたものになるんですか?

林 大幅に加筆して構成もいちから変えましたが、元はそうですね。

二村 僕、messyの連載、ときどき、拝見してたんですけど。

林 ありがとうございます。2013年に「産まないセックスで死にたい」っていう内容のコラム(産まないセックスで消えたい女による、日本の愛とセックス分断考)を書いて、それを二村さんがTwitterでRTして下さっていたのを記憶しています。

二村 そうでしたっけね。で、林さんが2013年から2015年にかけてmessyに書いたコラムをこの本に。ただまとめた本ではないんですよね。まとめようと思ったら、やばいと。「書き直さないといけない」と。

林 そうなんですよ。あらためて連載を読み返してみると、私いつも、すごい怒ってて。いわゆる「女ってこうだよね、男ってこうだよね」ってものに対して。私は「女は結婚して子供を産むのが一番幸せだよね」とかっていう型の押しつけが大っ嫌いな子供だったんですよね、子供の頃から。

二村 子供の頃からね。

林 で、全体右にならえって言われたら、みんなが右にならってるところで、一人で正面向いて、『なんで? 納得できるようにきっちり説明しろ』って質問する。理屈も整ってないし、誰が決めたかもわかんないルールになんでこっちが従わなきゃいけないの、ってずっと反抗してきた者なので。で、その部分を、「おかしくない?」って問題提起も含めて、連載では書いてたんですけど。でも自分も別に正しい人間ではないので、読み返すと自分の中の偏見が多いとか矛盾しているとかいろいろ気付いて。読者の方の反応を受けてあとから気付く部分もありましたし。ちょっと、自分の中を整理していかないといけないな、っていう。だから書籍化が決まってから一度、連載100回分の原稿を全部プリントアウトして読み直して。整理し始めたら、そこに書かれている怒りの根源について、「誰かのせいに出来ない、これは全部、自分のせいなんじゃないか」と思い始めた。誰かに憎しみを覚えたとして、こいつふざけんな、って思ったときに、それは「こいつ」が悪いんじゃなくて、私の中のコンプレックスが、その人にミラーリングしてるっていうか。

二村 ミラーリングあるねぇ、あるねぇ。なんか大体、世の中のことに怒ってる人って、自分に怒ってたりするんだよね。

林 そうそうそう。だから書き直すにあたって、結局、人のせいじゃなくて自分のせいだよねっていうことが、ものすごく多くあって。

二村 永子さんご自身も、何かを怒ってるつもりで、自分と戦ってた、っていうことが。

林 書きながらそれがわかっちゃったんですよね。

二村 それって連載のコラムやってる最中だと、いちいち反応があるからまだわかんないけど、まとめようとする作業で『あ、実はやばい』ってわかったりする。突然わかりますよね、それって。

林 そう、理屈が合ってないぞ、っていうところで。だから一回、自分に潜る作業っていうのをしました。実際書いたコラムを全部まとめてですね、一個一個、自分に潜りながら、半年かけて書き直したっていうのが、この本なんですけど(笑)。

二村 すごい、すごいことですよね。いや、本当にそうなんだよね。一回一回の連載だとさ、調子に乗ってさぁ、今週はあいつをやっつけてやる、とか言ってさぁ、いい気になって書いてさぁ。後になってから通して読むと、自分で書いたのに『あ、これ、やばい』って。

林 冷静になってみると、これはちょっと言いがかりじゃないかって思う部分もあって。人をやっつけようと思って戦いを挑むと、絶対こっちがやっつけられるんです。そういう「やっつけてやろう」の観点じゃなくって、何が問題なのかっていう焦点付けを、ちゃんと、自分も含めて、他者との関係性も含めて、冷静にジャッジしてみようっていうことを、延々と繰り返した記録がこちらの本になっております

二村 いや、血みどろの本だと思いますね(笑)。読ませていただきました。面白かったです。

林 ありがとうございます。

◎自己完結の恋愛ばかりしてきた

二村 文章がすごい難しいというか、硬いんですけど、わざと硬く書かれたんですか。

林 面倒臭い感じで申し訳ないです。

二村 イギリスに一年間行かれていて先日帰国した哲学者の國分功一郎さん、僕の『すべてはモテるためである』の巻末対談にもゲストで出ていただいているかたなんですが、ご著書に『暇と退屈の倫理学』という非常に素晴らしい、彼の哲学を平易にわかりやすく書いてくれた本があります。結局なんで僕らがセックスやら恋愛やらをしてしまうかっていうと、人間が暇であり退屈しているからだと『暇と退屈の倫理学』を読んで思ったんですけど、ではなぜ人は退屈してしまうのか、その人間が人生において感じてしまう退屈って、じつは単に「やることがない」ということではなくて、すべての人が心に負った傷に関係ある根深い問題なのではないか、というようなことを考えていく凄い本です。まぁ詳しくは読んでいただきたいんですが、その國分さんいわく「わかりやすく書いて多くの人に読まれることって哲学者にとって大事なんだけど、わかりやすすぎるのはいいことではない」、つまり読む人と書く人の格闘にならない、あまりにも考えずにスラスラ読めてしまうことは問題であると。永子さんの『女の解体』くらい硬く、日本語も難しく書いて下さると、読むほうは食いついていかざるを得ない。読んでいて疲れるんだけど、読み応えがありますよね。しかもこの本の一番最後にね、お父さんのことが書かれているじゃない? そこにたどりつくと、ほっとする。読み切った感もあって。非常に厳しい本なんですけど、面白かったです。女とは何か、男とは何か、っていうことを考えていらっしゃるかたは皆さん読まれるべき本だと思いました。

林 ありがとうございます。そして、二村さんと湯山玲子さんが共著で出されました新刊『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』(幻冬舎)、これは5月12日に発売されたばかりで。

二村 まぁ幻冬舎ということで、あざといタイトルですね(笑)。さすがに日本から完全にセックスが消滅するのは、まだもうちょっと時間がかかるだろうとは思うんですが。

林 私も本の中で、セックスに対して、家族の愛情、家族愛と性愛が日本においては分断されているのではないか、ということを書いていた、その自分の観点も含めて拝読させていただいて。

二村 おそらく林さんはこの本で、湯山さんと共感されるところが……。

林 多いですね。この本の中で湯山さんもおっしゃってますけど、例えば性愛とか恋愛とかの高揚感みたいなものは、音楽を聴くこととかおいしいお食事を頂くことで感受する部分と近しいものがあって、でも一方で、二村さんは「それは受け取るだけの信号」だという。セックスってもっと交換なんだっていうことをすごくおっしゃってて。その部分もすごく面白くて。ともすれば私も、独りよがりというか、恋愛とかでも、相手と何かを交換していく作業というよりも、自分の頭の中で補完しちゃって自己満足することがとても多いので。ちゃんとやっぱり、人と交換していく作業を、愛おしいものとして、自分自身も受容していかないと駄目だな、っていうのを、反省として思ったんです。

二村 あの、僕は突然こうやって、和やかに真面目に話してるかと思うと、突然セクハラめいたことを喋り出す癖があるんですけど。

林 どうぞご自由に。

二村 今の話を聞いてて思ったんですが、相手を……男性が、女性を人間だと思ってないから勃起できる。男性全員がそうじゃないだろうけど、すくなくとも日本的な結婚や恋愛のシステムっていうのはそうだろうって話にね、つながるんじゃないかと。男は女を侮辱することによって興奮するし、女も支配されることによって発情しているのではないかというのが『日本人はもう〜』の仮説というか大きなテーマなわけですが、つまり女性である永子さんが、もしかしたら男性を侮辱して恋やセックスをなさってたんじゃないか? と。
『女の解体』は、永子さんとお父さんとの関係、永子さんの中にある男性性、それが非常に面白いんですね。さっきも言ったけど、難しい社会分析や永子さんの思考の過程をずっと読んできて、最後に突然ちょっとウェットな、父親の話が出てくるところが、すごくグッとくる。
でも永子さんが恋愛では自己完結していて、相手との交換をしてこなかったというのって、要するに永子さんが、お相手をやっぱり人間だと思ってなくて、ただのチンポだと思ってる、っていうことなんじゃないですか?

林(笑)

二村 それは、すごく恋愛とか性の局面で自分の弱みになってしまうことだと思う。これはもちろん一種のメタファーとして喋ってるんで、「アンタはチンポが好きなだけだろう!」ってことじゃないですよ。つまり永子さんは恋愛という相手ありきの局面で、大好きなお父さんから授けられた自分の中の男根みたいな部分しか見てない、じゃあ相手はどこにいるの、っていうことになっちゃいますよね、っていう話。

林 そうなんですよ。「いつでも毅然としてなさい」っていうのがうちの父親の教えなんですけど、それを守って強くあろうと生きてきたんですね。完全に男根主義というか、マッチョなんですよ、私自体が。もちろんそればっかりじゃない自分の中の女性性みたいなものもあって、そのバランスを一応とってきた。自分的にはちょうどいいバランスだけど、他人によってそれを崩されたくないっていうんで、そこに執着し過ぎてた、っていう反省があるんですよ、今。それを私は「鎧」って呼んでるんですけど、自分に鎧を着せて「林永子」として喋らせたり、檄文を書かせたりとか、してきた。父の娘である強い林永子を無意識に演じることによって、本来の自分との距離が生まれてることに、『女の解体』を書きながら気づいちゃった。

二村 恋愛とかセックスのときに、格好つけてるっていうこと?

林 自分の中の男性性みたいなもので、他人である男性をジャッジしちゃったところがあるってことです。

二村 うわぁ、それはもう本当に、男にしてみたらたまらん。どうやったって、あなたの心の中のあなたのお父さんには勝てないわけでしょ。

林 そうなんです。だから極端な話、私、30代途中から42歳の今まで、ちゃんと誰とも付き合ってないんですけど。いらなくなっちゃうんですよね。もう、自分の中で男女バランスが整っちゃってるんで。でも、それはあんまりだ、っていうことに最近気がついたんです。

二村 で、なおかつ、それも『女の解体』に書いてらっしゃって感動的なところなんですけど、ネタバレになっちゃうかな。お父さん、亡くなられたんですよね。もちろん、近親相姦的なウェットな愛ではないけれど、お父さんから男根的な精神を注入された、立派な心のチンポを子供の頃から育ててきたゆえに、他の男たちへのジャッジがすこぶる厳しくなってしまっていると。

林 なんかそうなんですよ。しかもね親しい男友達には私、「俺たちの中で一番チンコでかいのは永子だ」って言われますからね。この場合の「チンコでかい」はすなわち「男らしい」という意味で。

二村 それはお父さんから授けられたもので、お父さんのチンコは現実にはなく、しかも亡くなられてしまって、いまやチンコは永子さんの心の中にしかない。ほかの生きている男がそれに勝てるわけがない、どんな巨根でも勝てない。

林 自分でもちょっとファザコンの度が過ぎるなと思って。ちょっとこれは、自分でも良くないんじゃないか、さっき言ったみたいに誰かと交換していくっていう作業をどんどんしていかないとまずいなと、ようやく42にになって思い至った次第です。

◎褒められたい男のための恋愛システム

二村 湯山玲子さんもお父さん大好きなんだけど、湯山さんは、お父さん大好きでありながら、ちょっと批判的なところもあって、それがいいんだよね。

林 距離感がちゃんとある?

二村 お父さんとお母さんの関係を見てて。お父さんの弱みを、ちゃんと湯山さん、娘っこの頃から見ていたんだと。あのー、湯山さんの言う「父の弱み」が、僕の弱みとシンクロしてたんですけどね。湯山さんのお父さんも僕も、すごく褒めて欲しい。つまり「チンコが立派だね」って言って欲しいんですよ男は(笑)。っていうことを、湯山さんのお母さんも子供のころの湯山さんも、わかっていた。湯山さんのお父さんは作曲家ですから、もちろん象徴としてのチンコ(笑)、仕事の業績とかのことですよ。
で、それを褒めてあげられる女性がモテるというのが、どうやら時代遅れらしく、にもかかわらず今も世の中に残っている。お父さんのことは「しょうがねーなー」と思っていた湯山さんも、お父さんを愛しすぎてる林さんも、そのシステムには怒っておられる。「チンコを褒める」すなわち「男を立てる」っていうことですよね。

林 そうですね。そこに寄り添ってく(=男を褒める、立てる)女性がやっぱりモテるとかいう話で。

二村 一般的にモテるかモテないかに、すごく関係ある。

林 思春期の頃、「モテるモテない」とかようやく気にし始めたとき、いわゆる「モテる女」って、二村さんも本の中に書かれてらっしゃいましたけど、自分の意見を言わないとか主張しないとか従順で可愛らしい存在である、とされていることを知りました。で、私はそれが「モテる女」なんだったら、別に自分はモテなくていい。っていうか、モテる女=人でなしじゃないか、って思ったんですね。「そんな女、人間といえなくないか?」っていう。それをずっと怒りとして持っていて。「モテる女になるくらいだったら、人間の方がいい」みたいな。人間でいたいので、モテとか大丈夫です、と。

二村 でもさ、永子さんみたいに「自分は“モテる女”じゃなくて“一人の人間”だ」っていうことをちゃんとやってると、ちゃんと「モテるべき人」にモテ始めるよね。たくさんの人にモテる必要ないもんね。

林 そうなんです。自分が認めて欲しい方に、ちゃんと認めてもらえるので、「人間である」と主張することはすごい良いと思うんですよね。モテることで良い思いしたいとか、セックスを市場原理で語る場合、自分を高く売りたいとか、そういったことを考えない。余計なバイアスのかかってない状態で、ちゃんと人と人間同士の愛情を確認し合えるっていうことは、結構幸福なことだと思うんですよね。

二村 モテて良い思いしたいとか、自分を高値で売りたいとか、さもしい。まぁ、僕も本当に毎日「ああ俺はさもしいな」と反省することの連続なんですけど。さもしい自分って、本当に良くないよね。ちゃんと対話出来ないよね、相手とね。

林 そう、会話してても、ちゃんと「対話」していないように思うことがある。こう言えばモテるだろうとか、こう言えばこの人に気に入られるんじゃないかって予想して、好かれるための発言に終始する人っているじゃないですか。そういう言葉は空疎。結局、君は何が言いたいのかな、君の言葉はどこにあるのかなってことですよね。気づく人は気づく、その空疎に。で、私は、誰に嫌われてもいいから、自分の言葉をどんどん出していった方がいいという信念で、超自分推しの本を書いちゃったんですけど。

◎カップルは原家族の「やり直し」

二村 永子さんはご自分の矛盾を見つめて暴くという、苦しい思いをしてこの本を書かれて。僕も『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』の信田さよ子さんとの対談で、僕自身が<菩薩か女神のような理想的な女性像>を生身の女性に投影していることに気付かされて苦しくなったんだけど、そういう作業を一回やって自分の嘘をわかるようになると、他人の嘘もわかるようになります。
というわけで、今日は、どっちの話をしますかね。広い話をするか、こうやって個人的な話をしていったほうがいいのか、まったく打ち合わせをしてないんですけど。永子さんは、どう思われます? 広めの話だと、これからの日本の男女って、幸せになったり、恋愛、政府が言ってるような少子化対策とか家族愛の奨励みたいなたわごとも含めて、はたして男女関係において希望はあるんでしょうか?

林 男女のパートナーのあり方が、たとえばフランスのように、結婚しなくても出産数が増えるような方法論を浸透させるとかすれば、変わるのかもしれません。陳腐な言い方になっちゃうけど、多様性というか、日本の「男と女の結婚」という型以外にも、もっともっと色んな人たちの色んな相性・やり方があると思うんで。
私が子供の頃って、「こうすれば幸せになる」っていう型があったと思うんですよ確かに。女だって、誰か男に愛されて従順にやってけば裕福な暮らしが出来たりとか、こうすれば得するって方法論があったと思うんですけど。それは時代ですよね。今はもう、その方法で幸せになれるわけじゃないし、必ずしもそうやってきた親世代が幸せだったかというと違うってこともわかってきて、結局一人一人が、自分の答えを自分で作んなきゃいけない時代だと。
本にも書きましたけど、私は「型」にはまりたくないから結婚も出産もしないと決めていたんですが、今後また誰かを好きになったとしたら自己完結せず、その彼と二人の正解を作っていく、っていうことをこれからは目標にしていかないといけない。それは他の誰とも違う自分たちだけの方法であってもかまわない。私は恋愛の高揚が生活によって失われるのが嫌だし、今でも結婚に何のメリットも感じないので全然したくないんですけど、あまりにもしたくなさ過ぎて全力で拒否してきたんだけど、もしかしたら未知の誰かと私だけが気持ちいい結婚っていうものを……。

二村 うん。あり得るかもしれないよね。

林 話し合ったら、もしかしたら見つけられるかもしれないから。そういったことには前向きになっていこう、私自身やってこうと思ってますし。多くの皆さんが、個人的な解決を模索して行くんであれば、男女の幸せなあり方っていうのは、皆さん開発出来るんじゃないんですか、って、ひとつ思うんです。

二村 僕も「自分の欲望を知ってないといけない」と、この本(『すべてはモテるためである』)でも散々言ってるんですけど。どんな人と、どんなセックスがしたいかってことから始まって、それこそ「結婚には意味がない」みたいな、私はこういう主義です、ってことを自ら把握しておく。なおかつ、そんな自分とひとときを一緒に過ごしてくれた他人に対して、ただその主義主張を押しつけて強要して私は絶対変わりませんっていうんじゃなくて、相手にも相手の「こうしたい」っていうのがあるんだと知っていく。そのふたつが交わったときに、いくらでも自分って変われるってことですよね。

林 対話して変化していくんですよね。実は2月に、フランスの映画監督であるギャスパー・ノエさんにインタビューさせていただいたんですが。

二村 あ、僕も観ましたよ『LOVE【3D】』。

(■極めてプライベートなラブストーリー、セックスのエモーション、愛の終わり、後悔だらけの現在地。/ギャスパー・ノエ『LOVE 3D』)

林 監督が日本の男女について「変だね」と言ってたことが、すごい当たり前のことなんですけど、慧眼だと思いました。日本人は、男女のパートナーで問題点を話し合わない人が多いよね、と。何か恋人同士の問題、夫婦間の問題が生じたとき、男は男同士で、女は女同士で喋る。あるいは、男はどうするっていう本を読んだりとか、女はどうするっていうセミナー行ったりとかする、と。そこは直接、当事者同士が喋るべきなんじゃない? って。すごく当然のことなんだけど、忘れてたかもしれないって気付かされました。

二村 それってギャスパーさんは日本の事情をけっこう知ってたってこと? 日本通なの?

林 彼はそんなに訪日回数も多くないし、「僕が知ってる限りの日本の人たちを観察しただけだけど」っていう前置きで、そうおっしゃったんですけど。ギャスパーさんいわく、日本は海外から見ると「性に明るい国」なんですって。電車の中でエッチな図画の載ってる週刊誌やマンガや新聞を読んでる人たちまでいて、こんなにオープンなのに、なんで男と女が直接セックスや関係性について話し合わないのか非常に疑問だよ、と。すごく簡単なようでいて、今、一番男女に必要な観点かもしれない、って思ったんです。

二村 「付き合ってる当事者同士がちゃんと話し合わない」という問題だよね。

林 そうなんです。で、話し合ってもいないのに、駄目だからじゃあ次行けばいいや、みたいなこともあるんだろうし。何か、自分自身もそういうところはあった。振り返ってすごい虚無感を感じて、これは私自身がこれから気をつけていかなきゃいけないことだよな、って本当に思ったんですよね。
たとえばパートナー間でのセックスレスについても、男女で話し合えない。私はマンガ雑誌「モーニング」(講談社)を毎週読んでるんですけど、今『カバチタレ!』シリーズの最新作『カバチ!!!』が連載されていて、夫婦のセックス事情に行政書士が切り込む新章が始まってるんですね。で、色々なケースの夫婦が描かれていく。毎日旦那が嫁に迫るんだけど嫁が嫌がってたりとか、嫁が嫌がるから風俗行ったら風俗行くなって言われてどうしたらいいんだ、とか。ずっとオナニーばっかりしてて嫁を抱かない男とか。で、先週のラストで、次からこの人の話が始まるんだろうなって匂わせてたのが、奥さんが子供を産んで母になって家族になってから、近親相姦になっちゃうからセックスをしない、という男なんですよ。で、これは非常にタイムリーなんで、そのへんどう思いますか? というのも今日、messyの記事見てたら、ガンダム芸人の若井おさむという人が……。

二村 あ、それも読んだわ。わりと最近の記事ですよね。

(■妻が娘のように見えて離婚。EDも告白したガンダム芸人・若井おさむの今)

林 離婚したことをバラエティ番組で話してたんだけど、彼は奥さんのことを「娘にしか見えなくなっちゃった」と。だから、もう夫婦関係が保てないから離婚した、って。「妻」なのに、母に見えたり、娘に見えたり。二村さんの『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』でも書かれてますけど、大人になって結婚して自分の家族を持つというときに、「原家族をやり直す」人たちがいますよね。自分が子供の頃に育った家族のやり直しをしている。そのやり直しの型にハマってるから、近親相姦的になるんじゃないかなっていうことを、ちょっと思ったりしたんですよね。そのあたりいかがですか?

二村 付き合いはじめのカップルって、お互いに優しくて何でもやってあげちゃう。そこで男は「ああ、本当はお母ちゃんにこういうふうに優しくされたかった、愛されたかった」、女性であれば「こういうお父さんに愛されたかった」っていうのがあるから最初は燃えるんだけど。長くなってくるとそのうち、それが続かなくなってくわけですよね、理想の親とのやり直しが。

林 私はやり直さなくていいじゃないか、と思ってる。終わってるから、パパと私の関係は。なんでそれを、他人で代替えしないといけないのか、っていうのが、ひとつわからないところではありますね。

二村 いやー、まったく、おっしゃるとおりです。しかし多くの家庭の父と娘、母と息子はさ、永子さんとお父さんほど、みっちり濃密な関係を“やり尽くして”いないからなんだろうね。でもこれ、日本人に特有のことなんですかね? 西欧の人は親との関係をやり直すっていうことは、無いんですかね?

林 どうでしょうね? そこはちょっとわからないところ、これから掘っていきたいところですけど。

二村 外人と付き合ったことないの?

林 ないですね。

二村 俺もないからわからないんだけど、それって西欧もだけど、他のアジア諸国と比べてもさ、日本独特のことなんですかね? ギャスパー・ノエ監督のおっしゃるように「日本は性に明るい国」で、AVと風俗と不倫がこれだけ発達してラブホテルがこんなに建っている国はおそらく他にない。で、中国はどんどん日本を追い越す景気の良さになって、同じような東洋人の血があるから日本みたいなエロ文化が発達していくんでしょうか? それとも中国はむしろ西欧社会のようになっていくのか? 日本と韓国って、儒教思想とキリスト教思想の半端な混ざり方でこういう社会観になってる、ってよく言われるじゃないですか。特に性モラルの面で。AV監督の自慢みたいで申し訳ないですけど、日本のセクシーなコンテンツって本当に凄いわけですよ、外国の人がビックリするレベルの物が、AVからアニメまで。まあアニメでは大っぴらに表現されるわけではないけれど。

林 本当に。ギャスパーさんが一番笑ってたのが、電車の中でサラリーマンとかがエロ本みたいなマンガ読んでんじゃんって。ですよね、って。なんか、私たちも知らずに受容してるというか、受け止めちゃってますよね、そういうコンテンツが日常的に目に触れることを。

二村 まぁパートナーとの関係がインポだから、そういうコンテンツや性風俗にリビドーが出てくるのは当たり前なんだけど。でもさ、日本人に「男女でちゃんとセックスについても話し合うべきだ」と言っても、「僕はこれに興奮するんだ」って恥ずかしくて話せないよね、しかもお母ちゃんとは(笑)。妻をお母ちゃんとして見ちゃってるんだから。

林 そうかもしれないです。恥ずかしさ、ありますね。

二村 奥さんのことを「ママ」とか、旦那のことを「お父さん」とか「パパ」って呼ぶ文化、あれ、そもそも日本以外の国にはあるのかしら?

林 話が違う方向に変わってしまいますけど、女性が出産することで夫にとって「お母ちゃん」になるとして、同時によその人からも「○○ちゃんママ」とか呼ばれちゃうわけじゃないですか。これ信じられないんですけど、私。

二村 ママ友ね。一個人としての名前がないっていうことでしょ? 誰かの誰か、っていう呼ばれかた。そういう部分って皆さんあると思うんだけど、そういうモヤモヤする自分の頭の中身をさ、ドブさらいっていうか、永子さんの言う「解体」、大掃除みたいなことって、いやー、みんなするべきなんだけど、大変だよね。

林 大変だし、何で大変かって言うと、ものすごい時間を食うし忍耐を要する面倒な作業ですよね。迅速にシステマティックに解決することは出来ないわけですよ。私もこういう本を書かせてもらって改めて思ったんだけど、自分と向き合うってものすごい面倒くさいんですよね。もう、ゴミ屋敷を全部一回綺麗にするくらいの労力がいるわけなんです。だったら捨てて、頭からっぽにして新しい場所に引っ越しちゃえばいい、ってくらい。
でもなんか、悲しくなっちゃうんですよね。人間なんだから、もっと出来るだろう、って。もっと人間を信じてくれ、っていうか、もうちょっと、即物的な解決ばっかりじゃなくって、もうちょっと、自分にも他人にも向き合うってことをしないとね。

二村 誰かと恋人や夫婦になっても、対話をするのはつらいことだから、すれちがいが生じたらカップルを解消して次行こうと。まぁ、そうなっちゃうんだよなぁ。でも良い離婚をしている夫婦もあってさ、ちゃんとお互いの中身を抉り合って確認したうえで、お互い変化できたね、ああもうこれ以上一緒にいる意味ないね、って互いに納得して別れたら、戦った意味があるんじゃないか。そこをちゃんとやらないで、ただ逃げるように別れると、また次の人のところで同じことやってしまうことになる。

◎男を育てる女

林 本にも書かれてましたけど、男性が女性を侮辱するのは、怯えてるから。女性に対して怯えがあるからこそだって。

二村 そうだと思いますよ。あと、罪悪感があったり。もっと酷いのは、男の側が被害者意識を持っていて、しかもそれを認めていない、自覚もしていないってことがあるよね。非モテこじらせ男性の中にたまにいる、自分たちの欲望を受け入れてもらえないからって怒り狂って、女性を攻撃する奴。

林 被害者意識って何なんでしょうね? 被害は受けてないわけですよね、実質的な被害は。

二村 いや、たとえば、よくある物語の中では「ヒーローとヒロインが結びつくことで、幸せになりました。めでたしめでたし」という類型ばかりなのに、そういう物語に慣れて育ってきたのに、なんで現実の俺にはパートナーがいないのか、なんで俺がセックスをする権利を奪うのか、なぜ俺は愛されないのかっていう被害者意識ですよ。

林 ふーん……なるほど。セックスすればいいんじゃないですかね。

二村 っていう話なんだけどね。でも彼らは女性に対して攻撃的になっているので、ますますその機会を失う。女性だってそんな人たちとセックスしたくないでしょう? あと、いわゆるナンパ師みたいな男の中には、セックスたくさんしてるのに、すればするほど女を憎むようになるミソジニー系ヤリチンもいっぱいいますよ。
でも一方で「自分にとってセックスはあまり意味がないよ」って言ってる男性もいる。顔見りゃわかるんだよね、それが本音で冷静に言ってるのか、それともひねくれて負け惜しみで言ってるのか。いや顔は見なくても、ツイッターの発言でわかる。はっきり、わかる。

林 (笑)

二村 本当にセックスが必要ない人というのも当然いる。生身のセックスが本当にしたくない人たちは、それをやらなくていい。セックスは贅沢品だ、っていうことを『日本人はもう〜』でも言ったんだけど、それは「特権階級にしか手が届かないもの」ってことじゃなくて、自分が意志で選択する“人生の趣味の一つ”でいいんじゃないか、っていう。しないと死んじゃう人がすればいいことで、夫婦や恋人の義務だからしなきゃいけないとか、セックスしてるリア充のほうが偉いとか、それはどっちも違うんじゃないかって僕は思う。思うんだけど……、へんな感じで威張ってる人って、実は愛されたくてしょうがない。だから、そういう人って、フェミの人をやたら攻撃する。

林 あー……。

二村 本当にセックスが必要ない人って、男性も女性も、そんなにむやみと自分から攻撃的にはならないし、発言が面白いんですよ。セックスや恋がなくても、愛があるしね。
ところが攻撃的な人って、わりと言ってることが凡庸。結局そこには新しい視点があるわけじゃなくて、ただ「俺にも愛をくれよ」って無意識に思って、傷ついていることの代償行為として、叩きあう。それって大変不健康でよろしくないので、そういう人はアナルを掘られればいいんじゃないかっていうのが僕の持論なんですけど。暗黒面に堕ちちゃった頑固なヘイト男たちは、ドライオーガズムを知ることで救われるのではないか。

林 (笑)

二村 で、その予備群になりかねない“性に自信が持てない男たち”に、お姉さんたち、それこそ永子さんのようなエロいお姉さんが優しくしてあげて、女の愛し方を教えてあげてほしいという気持ちが僕にはある。もちろん非モテ男子の全員に愛はふるまえないわけだけど、一人一人の女性が、自分から見てちょっと見どころのある男に、こっそりと優しくしてあげたら……。

林 あはは(笑)

二村 永子さんみたいな怖そうな女性が、自信のない若い男に、一対一のときだけこっそり「あんた見どころあるよ」って言ってあげたら、すごい自信になる。そうやっていくことで日本の男はちょっとマシになっていくんじゃないか、って気がするんですけど。それがその、めんどうみて甘やかして支配してしまう悪い母性じゃなくてね。ちょっとだけ気まぐれで優しくしてあげるという「男性性を持ってる女性にしか発揮できない優しさ」みたいなものがあるといいなと思うんですけど。これも僕の持ってる菩薩信仰だって言われそうなんだけど……。わかります?

林 それ楽しそうですね。ただね、多分これまた私の中の、まだまだ解体し切れていないところなんですけど、「男を育てる女」っているじゃないですか。そういう女、苦手なんですよね、とても。

二村 その苦手意識は、どこから来るんですか?

林 歪んだ母性を見てしまうんですよね、そこに。女って、子供とか若手とかに飯食わせる役目を負っている。シモの世話したりとかも。そういうケア行動を、心から大好きで率先してやっている女っていうのが、苦手。それが本当に対象のためになるんだったらいいんでしょうけど、ある一線を越えると、自己満足のために対象を利用する、化け物のような母性に変わっていくところが。

二村 やばい“母”になるよね。

林 そのやばい線を越えないところで、格好良く、「もうお前ここまで出来たらじゃあなバイバイ」って若手の男を見送るような、そういう牧場なら作りたいかもしれないですね。

二村 つまりそれって、初対面なのにズケズケ言いますけど、永子さん自身が「母性」の加減がわからなくなるのが怖いってこと?

林 そうです。

二村 自分の中に、やばい、甘やかしてしまいそうなやばさがあるから、怖くて出来ない?

林 そう。なんでかっていうと、母親がそういう女なんです。……っていう母親の闇を、私は一切この本(『女の解体』)で書かなかったのですが。

二村 それ、すげー気になってたの。お父さんの死に様が出てくるのに、お母さんは一切この本に出てこないんだよね。

林 一切出てこない。多分、私が、結婚したくない理由のひとつには、自分の母親みたいになりたくないというのもあって。それを解体して書いちゃうととても一冊におさまりきらないというか、あと三冊くらい書けるかな、と思いまして、ちょっと取っておこうかなと。まぁ基本的にはそういうことなので、その線引きはとても自分の中で気になってるところですね。

二村 いや、もうよくわかりますよ、言ってること。だからこそ、やんなきゃいけないんじゃないですか。

林 だから気が重いんです本当に。

二村 いや、やんなきゃいけないっていうのは「お母さんとの関係を書く」っていうこともいずれやんなきゃいけないんだけど、そこまでわかっている永子さんだからこそ、自分の中のチンコをしっかり握って確保したままですね、男たちを育ててほしい。

林 やばい線を越えないように?

二村 だって、自覚のない人が一番タチが悪いわけじゃないですか。男に依存するメンヘラも多いけど、男に依存されることで自我を保つメンヘラもいる。常に「息子」をケアしていないと自分がおかしくなっちゃうっていう。それは男を見下していることでもある。そして、それをやられた男は、母みたいな女を憎み始めるんですよ。

林 見下す女、嫌ですね。それが愛情なら良いけど自己愛だったらやめておけ。この「自己愛ならやめろ」っていうブレーキを私は放さずにいたいし、一応やばい母性を受け継いでいるんじゃないかという自覚があるので、それにこれからトライしていくのが私のタスクなんでしょうね。

◎「おばさんも欲望を自覚して」

――永子さんの個人的な話を掘ってきましたが、二村さんの個人的な話はまだ聞いてないですね。

林 二村さんのタスクは何ですか?

二村 僕がこれからやんなきゃいけないことね。……やっぱり、奥さんとの関係じゃないですか。

――それ、絶対話さないですもんね。聞きたいですね

二村 これ、messyに載るんでしょう?(笑)

林 それは、やっぱりプライベートなことなんで、言わないようにされてるんですか?

二村 そうですね。……僕はずっと「妻は聡明な女性なので、僕のことを放し飼いにしてくれている」というふうに思いこんで、それこそ甘えていたんですが、本を何冊か書いて、妻と対話をすることで、それが妻に対するとんでもない侮辱だったということに遅まきながら気づかされました。
子育ても、息子がもう高校生なので、まもなく親元を離れる。そこでうちの奥さんは、だんだん自分の仕事の比重を増やして子離れがうまくテイクオフできるように調整して、『日本人はもう〜』でも湯山さんが言っていた “母なる者のダークサイド”に堕ちないようにしてる……、なんて呑気に僕は言ってますけど、『スターウォーズ/フォースの覚醒』のハン・ソロじゃないけど、僕自身は父親業をちゃんとやれていたわけでもない。だからそういう意味で言うと、今日、永子さんと話したみたいに他人事だったらいくらでも言えますけど、僕は本には偉そうなこと書いているくせに、実は典型的な日本の昭和の亭主ですよ。職業がちょっと変なだけで(笑)。だからもうちょっと、いろいろと向かい合わないといけない。それこそ罪悪感に捉われていても仕方がないんでね。

林 なるほど。奥さんとのご関係はどんな感じなんですか? 仲良しですか?

二村 仲はいいですね。仲はいいから、俺は幻冬舎の編集さんに泣きを入れましたよ、この本を出すときは。奥さんに怒られて家庭が崩壊したらどうすんですかって。そしたら「そんなこと知ったこっちゃない」って言われましたけど。

林 まぁそうでしょうね(笑)。

二村 なるほど、これが幻冬舎か! さすが! と思いましたよ。おかげさまで出版にこぎつけました(笑)。

林 本を出版するのってせめぎ合いがありますね、色んな(笑)。でもなんか、「子育てからの上手なテイクオフ」、大事ですよね。「こうすれば幸福になるに違いない」と思い込んでる「女の型」にはまって、自己なき状態で型にはまってしまい、子育てが終わった段階で急に、「あれ、本当の私はどこに行っちゃったのかしら」みたいなことを言う寝ぼけたおばさんがいて。すごい嫌いだったんですね、子供の頃に。で、そういう方々の背中を見て、結婚したくない、型にはまりたくない、私は私で生きるっていう抱負をまず持った。今は本当にケースバイケースだと思うんですけど。一回「型」にはまったんだけれど、没我せずに自分なりの調整をしていく、定期的に更新して「世間の型」ではなく「自分の型」にしていくことができれば、いいのだろうと。

二村 そうでしょうね。全くその通りなんですけど、具体的に女性たちはどうすればいいんでしょうね。

林 自分の舞台を持つことじゃないでしょうか。満足できる場所をね、家庭や子供以外で。カルチャースクールとか趣味のパッチワークでもいいし。私の母親世代はパッチワークとかそういう感じ。なんかね、自分の母を見ていると「人に必要とされること」を欲望している。必要とされたい中毒になっている状態。だから、自分でその欲望を自覚して、うまく満たしてあげたらいいと思うんですよね。それもでも、自分の欲望に気づいてるからこそ出来る解決なので、まず欲望を知ることですよね。自分自身の「必要とされたい願望」に気付かず、「あなたのためを思って!」って完全に善意で干渉していく人はただの迷惑だし。自分がやってることが道徳的なこと、善意、って思い込んで他人に触ろうとするから。その触り方がめちゃくちゃ雑だったりして。

二村 善意、やばいね。「人のためになりたい」っていうのは非常にやばい。

林 そういう雑なタッチをする善意の人って、自分と他人の距離感がわからなくなってる。すごい無遠慮だと思うんですよね。私はたまに近所のスポーツジムを利用するんですが、平日の昼間だとおばさんがたくさんいる。最初はなるべく話しかけられないようにちょっとハリネズミのオーラ出してたんですけど、それも大人げないかなと思ってある日「こんにちは」って挨拶するようにしたら、おばさんが「あらーあなた綺麗な髪の毛ね!」といきなり髪を触りやがって。ちょっと玄関開けると土足でリビングまでやって来る、みたいな。もう本当に勘弁して欲しいなって思ってて。どこまで入っていいのか、入っちゃいけないのか、ちょっと躊躇して考えてほしい。一瞬考える時間を持ってほしい。遠慮のなさはとても怖いです。自分はそうならないように気をつけようって思ってるんですけど。

◎男は母を侮辱できない

二村 僕も気持ち悪いおばさん・おじさんどっちも苦手ですし、そうならないようにしたいけど。男はさ、赤の他人であるおばさんの悪口は言えても、自分の母親のことは悪く言えないよね。やっぱりさ、男は母を侮辱することに無意識の禁止がかかっている。女のことはチンポを使って侮辱してるくせに。

林 母親は聖域?

二村 そう。だから今みたいに永子さんから、ご自分の同族嫌悪を含め、自分がああなっちゃいけないという意志も含め、つまり女性が「女の醜さ」を指摘してるのを聞いて、傷ついたりするんですよ。だけど、それも甘いんだよね。だからさ、二村は男には厳しいのに女に優しすぎるよ、みたいなことを言われるんです。

林 優しいですよね。

二村 それは僕が臆病で、ヤリチン気質だからですよ(笑)。優しいのは、嫌われたくないからなんだよね。だからそういう女性のね、女性に対する悪口は、僕も、他の男たちも、それが正当なものであるならば、それを聞いて「女怖い~、僕たち傷ついちゃう~」とか言ってないで、ちゃんと聞いた方がいいしね。
女性は、永子さんはさ、たとえば俺が「権力や社会的な既得権益を使ってインチキ自己肯定してたり、反体制側であっても偉そうにしてるおっさんはキモい」って言うのを聞いて、別に傷つかない?

林 そうですね。

二村 むしろ、言ってくれた方がいいって思ってるのかな。

林 うん、どんどん言ってくれて。

二村 僕は強い女性が大好きで、現実にはペニスを持っていない女性が「男らしく」することは僕は非常にいいことだと思っている。ペニスへのコンプレックスから権力におもねって偉そうになる女はキモいけど。「男であろうとすること」と「男らしくすること」は区別しないといけない。

林 私は女の子らしさとか、女らしさ、が気持ち悪いですよ。とてもとても気持ち悪い。なぜなら……

二村 それが既得権益になってるんだよね、女性にとっての。

林 そういうことです。

二村 男が喜ぶようなふるまいをわざわざして「女であろうとする」ことが、すごくさもしく見えるわけでしょ?

林 そうですね。男性でも、全然立派な人間じゃないくせに威張って男根を振り回すような男には、「お前の男根より私の男根のほうがでかいけど大丈夫か」って。

二村 アナルの話ばっかりして申し訳ないけど、僕は「男はケツを掘られ、女はでかいチンコを持てばいい」と思ってる。でも、女の人がでかいチンコをつけるためには、収入の男女格差の問題とかさ、労働や育児の環境の問題とかさ、色々と変えていかなければならない社会問題が山積みでしょ。

林 すごくよくわかります。

二村 あとね、今日もう時間ないんだけど「変態とは何か」っていう話があって(参照:宮台真司×二村ヒトシ対談/wotopi)。
『日本人はもうセックスしなくなるのかもしれない』で僕が言ってることって、そういう部分でも男女がリバーシブルになれば、なんとかなるんじゃないかって提案なんですね。男らしさ女らしさを無くすんじゃなくて、その局面に応じて男女両方が、それぞれ逆サイドも使えるような文化を作れば、という。ただそこで湯山さんとやや食い違ったのは、湯山さんって変態じゃないんだよね。過剰な人だけどリアリストだし変態ではない。「二村さんの言ってることわかるんだけど、でも日本人の男の全員がいきなりアナルが感じるようにはならないよ」と。「女にも、心にチンコがある女と、ない女がいるよ」と。それは全くおっしゃるとおりで、僕の言ってることは極論だし理想論なんです。
じゃあどうすればいいのか。永子さんが『女の解体』に書いていたように、まずは男が牛耳っている世界に女が女のままで入っていって、その中でしかるべき地位を得て、内側から崩す。つまり外側は女のようなふりをしながら、内面に太いペニスを持つ女性が、だが名誉男性にはならず、男の権威に寄り添わずに、それをやる。
でも、それもやっぱり出来る人と出来ない人いるんだよね。俺が、全ての男に「みんなもうケツ掘られちゃおうよ、楽しいよ」って言っても、ついてこれない人がいるように。

林 出来る人からやっていく。

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