【messy】

乙武不倫騒動に、あらためて問う「妻が夜の営みを拒否したら、夫が外でするのは“仕方のないこと”なのか」

2016/04/01 20:00

 不倫の事実を認め、「当面は家族と向き合うことに専念する」として仕事の自粛を表明した、乙武洋匡さん(39)。15年前に2歳年下の仁美さん(37)と結婚し、ふたりの間には幼い3人の子供たちがいる。不倫をめぐる一連の報道では、乙武さんがいかに女好きの女たらしであるかが伝えられ、過去に関係を持ったという女性たちが暴露合戦をしている。一部ネット上では先天性四肢切断という障害を抱える乙武さんが、「いかにして性行為をおこなっていたのか」に注目が集まり、下ネタで盛り上がっている。

 なかなか収束しなかったのは、不倫をスクープした「週刊新潮」(新潮社)の発売直前、乙武さんがメディア発表した謝罪文の最後に、妻・仁美さんが「妻である私にも責任の一端がある」としたためたことも大きかった。<夫の不貞について妻が責任を感じ謝罪する必要などない>と批判する論調や、<事態を収拾するため妻のコメントを出すなんて戦略的><乙武は気弱な妻を洗脳している>といったものまで、様々な感想がネット上に並び、全体としてはいっそう乙武批判が強まった印象だ。

 そんななか、3月31日発売の週刊誌ではこぞって妻のコメント取りに動いた。「週刊文春」(文藝春秋)では、『乙武妻仁美さん独占告白「主人の世話から解放される時間が欲しいと…」』。同誌から取材の申し込みを受けた仁美さんは、「私自身が子育てに精一杯で、心身ともに疲れきっており、主人の世話から少しでも解放される時間が欲しいと思ったのは事実でした」。「女性セブン」(小学館)では一問一答に応じるかたちで、「子供を育てる中で、手足のない体をぞんざいに扱ってしまったことで、彼がとても屈辱的な思いをしたこともあったと思います」。

 「週刊新潮」は、前週号で直撃した乙武さんから引き出していた言葉を、あらためて選りすぐり掲載している。乙武さんは3~4年前に妻から突然「外で子供だけは作らないでくださいね」と言われて不倫はすでに妻にバレていると察知したこと、8年間にわたり様々な女性と不倫関係を持つ中で何度も「不倫を断ち切ろうと思った」ことなどを饒舌に語っていたようだ。子供を育てる中で夫婦関係が疎遠に、つまり妻とセックスレスになっていったこと、そして「(妻は自分と違って)子育てに翻弄されない夫婦生活を取り戻したいとは思っていないのかなと考えてしまったことも」あり、妻と別れて不倫相手とどうこうなりたいわけではなく「妻と元の関係に戻れたらどんなにいいんだろうとずっと思って」いたそうである。見逃せないのは、「孤独に耐えていかなきゃって、自分に言い聞かせてきましたけど……」という部分である。乙武さんは、子供たちが誕生したことで、家庭内で孤独になったと感じていたのだ。そしてその孤独に耐えられず、家の外で愛情を注いでくれる女性を複数求めた。これは、障害者である乙武さんだから特別に感じた孤独というわけではあるまい。婚外セックスに励む多くの一般男性たちが繰り出す“言い訳”として、「妻が子供にかかりきりになって、孤独で……」というのは驚くほどよく使われる。

◎射精は必須事項なのか

 基本的に、妊娠・出産は、夫婦の合意あってのものである。つまり、夫側も妻が母親になり自分が父親となること、家族が増えることによって生活が変化することを理解しているはずだと、女性側は考えがちだ。ところが実際には、夫婦両方の「こう変わるはずだ」という思い込みはズレている。意外なほど、「子供を産んで妻が変わってしまった」と嘆く男性は多く、「子供が産まれたのに夫が変わってくれない」と嘆く女性も多い。そして夫婦間がすれ違い、セックスレスに……当サイトでもこの問題についてはたびたび扱われている。

■産後のセックスを拒否される妻の苦悩と夫婦間の問題

■「風俗禁止でセックスレスはきつい」新米パパの性欲/林さん(仮名・32)

■婚外セックスで不倫を予防せよ!? 当事者心情を無視した「不倫学」の不思議

 しかしいつも疑問に思うのは、夫側に「したいけど、数年間は我慢する」という選択はあり得ないものか、ということだ。「したいけど、妻はしてくれない」→「なので、よそで解消します」。この流れに「まあそうなるよね」とは頷けないのである。

 夫は妻とセックスしたいのに拒否される。妻が子供にかかりきりで疎外感を感じる。そりゃあ悲しい気持ちになるだろう。「いやいや感じるな、悲しくなるな」と言っても無理である。だけど現時点で行為をしたくない、できない理由があって、そうなっているわけである。相手のことを嫌いになってもう二度としたくないというわけでないなら、その「理由」が解消されれば、またセックス頻度が上がる日が来るのではないか。そう受け止めて、しばらくの間は頻度が低くても我慢するわけにはいかないのだろうか。

 男性は日々精子が製造されて溜まっていくという身体構造上、「出す」つまり射精することが必須であるという共通認識がある。しかし実際には、出さなくとも病気になったり死んだりはしない。夢精するぐらいだ。それとも食欲や睡眠欲と同様に、性欲は解消されなければ命にかかわる欲求なのだろうか?

 なぜ私たちは「男性は定期的な射精が必要」と思い込んでいるのだろうか。男性は種をばらまきたい生き物だから本能で不倫をするのだとか、女性も夫以外の男性の子を孕みたいから不倫をするのだとか、いずれも「思い込み」の域を出ず、本質ではない。

育児に奮闘する妻をいたわり我慢をするのが良い夫だとか、夫の気持ちを慮ってセクシャルな関係を拒絶しないのが良い妻だとか、そうした「正しいあり方探し」をしたいわけではまったくない。そうではなくて、「男性は我慢できないものなんだ」という社会の共通認識を疑い、今一度あらためて検証しても良いのではないか、ということだ。

 再び乙武さんの話に戻ると、彼は「僕は一晩に何回でもできる」と性的な強さを誇示していたというが、射精や性行為は、男性の“自信”に大きな影響を及ぼしている。だからこそ拒絶されると深く傷つくのだろうが、そこに依拠した男らしさに、果たして何の意味があるのか。射精だけでなく、「女性を悦ばせる」「多くの女性に求められる」といった要素も男性は誇りに思う傾向にあり、女性経験の貧困さは嘲りの対象になる。こうして形作られている男らしさや男の自信について、問い直すべきときが来ていると思う。

最終更新:2016/04/01 20:00
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