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近年、『問題のあるレストラン』(フジテレビ)や『下町ロケット』(TBS)などで活躍する安田顕さんの主演作『俳優 亀岡拓次』は、脇役ばかりを演じている俳優、亀岡拓次の物語で、現場から現場を転々とし、撮影が終わると酒を飲むのが楽しみという彼の日常を描いています。

終始良い意味でのなんでもない脇役俳優の日常が描かれるのですが、ときおり荒唐無稽な架空の映画の話が出てきたり、急にその中に亀岡が入り込んだりして、絶えず現実と虚構の間を揺れてるようなところが、印象に残る作品です。映画の中に出てくる海外の巨匠的な映画監督が「私にとって映画とは、船酔いみたいなものだ」という台詞を言うシーンがあるのですが、実際、映画や演技って、そういう感覚のものなのかも……と思ってしまいました。

そして、この映画をみて思ったことは、「オナラって男にとって何なんでしょうね」ということでした。

女性は人前でオナラをしたら、なかなかメンタル的に復活できないけれど、男性が、それもある特定の種類の男性がオナラをしても、なにか勇猛なイメージが強くなるだけでノーダメージだったりします(もちろん、昨今はダメージ受けるほうの男性もいますが)。「男も女も同じであってよいのだから、女子がオナラを恥ずかしがる必要はないのでは?」と捉え直そうとしても、不可抗力であったり、健康面に影響を及ぼさない限りは、個人的には人前でオナラはしたくないものです……。

安田顕さんという人は、『俳優 亀岡拓次』の中で、オナラをかましますが、それは、安田さんのアドリブだそうです。実際の安田さんも、イベントでオナラを20発するという挑戦をしたこともあるくらいで、オナラがノーダメージのタイプの人かと思います。映画ナタリーでは「『俳優 亀岡拓次』横浜聡子が語る“俳優 安田顕”の魅力はオナラ芸」という記事まで書かれるほどだから、安田さんのオナラは「汚い」と評判を落とすより、むしろ称賛されています。

◎世界への反抗としての「オナラ」

映画の中では、トイレでマネージャーからの電話を受け終わった亀岡がオナラを一発。それは、マネージャーの依頼に素直に応じながらも、ちょっとした反抗を示しているようにすら見えました。

個人的に前々から思っていたことですが、人前でオナラをするといった、下品と思われることをあえてしたり、あるいは無精ひげを生やす、だらしない格好をするなど、小汚くなろうとするということは、ある種の男性にとって、「ワイルドでありたい」というアイデンティティのひとつを表しているのではないでしょうか? 国内外の端正な顔の映画俳優が、自分の殻を破ろうとするときにワイルド路線を選ぶのも、「汚くなりたい願望」のひとつだと思います。

そして亀岡は、オナラだけでなく、吐くし、漏らすし、ゲップはするしで、とにかく何かを体からただ漏れにしていて、汚くありたい願望を強く持っているように感じられるキャラクターです。つまり亀岡も「ワイルドでありたい」というアイデンティティを持っているように一見思われます。

ところが、亀岡自身の性質はというと謙虚で、「ワイルド」という言葉からイメージされるような「押しの強い人」ではありません。いつも控えめで、酒場で俳優をしている自慢をするような人物でもないし、現場で理不尽なことがあっても、文句ひとつ言わず、情けなく眉を細め、トホホ……という表情をするだけ。こんな姿を見ていると、いつも我を出さない亀岡の、たった一つの世界への反抗が、げっぷをしたり、オナラをしたりすることなのではないかとすら思えてきます。

◎ギリギリのラインをついた監督・横浜総子

こんなげっぷやオナラばかりの映画、本当だったら、女性が喜ぶはずがないですよね。もちろん、映画はオナラやげっぷばかり出てくるというわけでもありません。でも、亀岡というキャラクターの要素だけを抜き出して見ると、そこまで女性にも受けるところがあるようにも見えないのに、なぜか愛らしく見えてしまう。そこには、何か秘密があるように思うのです。

原作は映画よりも、男だけで完結した世界観を感じます。もちろん原作にも「亀岡拓次って無骨だけどいいところあるなー」と思える場面もあるのですが、それは男受けそうな感じであって、女受けしそうにはありません。

映画のほうが、女性にも受け入れやすいのは、もちろん原作の亀岡のイメージよりも、安田さんのほうが容姿や立ち振る舞いが洗練されているということはあるでしょう。でも、それ以上に、横浜聡子監督の、セリフの取捨選択が、女性にも受け入れやすくしていた気がするのです。

それを感じたのは、麻生久美子さん演じる居酒屋で働く安曇と、亀岡のシーンでした。亀岡は、居酒屋で流れているテレビで、「ある女性宇宙飛行士が、妻のいる恋人の男性をスパナで殴って逮捕された」というニュースを見ます。07年にフロリダで起こった事件をネタにしているものと思われるのですが、「その宇宙飛行士は、不倫相手を暴行しに行くにあたって、長時間自分がトイレに行かなくて済むようおむつをつけていた」と。

そのニュースをきっかけに始まるある会話は、映画版では、安曇が「寂しくなったらまた飲みにきてくださいよ」というと、亀岡は「ええ行きますよ、おむつはいて」と返し、安曇はそれを聞いて、ケラケラと明るく笑い飛ばすにとどまります。そして、帰り際、「またきますね、おむつ穿いて」と亀岡がいうと「スパナをもって?」と返す。そして亀岡が「いいえ、花束持って」というシーンになっています。

ところが、原作では、亀岡が「おむつ穿いてこようかな」というと、安曇は「おむつ取り換えてあげますよ」と返す。その後も、亀岡は、おむつをつけているときの具体的な話を続け、花束という言葉が出てくることはありません。

同じシーンでほぼ同じことを描きながらも、横浜監督が省き、そして付け加えた部分は、かなり女性の受け取り方を変えたと思います。安曇が「取り替えてあげますよ」とまでいうのは、亀岡にとっては嬉しいことなのかもしれないけれど、個人的には、そこまで言わせるのも無粋に感じます。「スパナを持って?」とか「花束持って」というのは、原作で描かれている本来の亀岡には言えないセリフかもしれませんが、映画版ではそれが言えてしまう亀岡に変わったからこそ、女性が見ても、ギリギリ嫌な感じがしないのではないかと思ったのです。それに、映画の中の亀岡は、安曇の前ではゲップもしないし、くしゃみも上品すぎるほどでした。

原作の亀岡にも、映画の亀岡にも、ちょっとワイルドでいたい、ちょっと汚い存在でいたい、それが本当の(男としての)自分だという思いは共通しているように思います。でも映画の亀岡は、それを女性には決して押し付けない。それだけで、こんなにもさわやかに見えたりするものかと、この映画を見て気づかされました。

この映画の亀岡の行動は、自分が欲望を持つことと、人に押し付けることは別という意識があるのかもしれません。そんなちょっとの線引きが、亀岡が女性に生理的に嫌悪を抱かせる人間じゃなくてむしろギリギリのラインで魅力的に見えることにつながっているのではないかと思ったのです。

西森路代
ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクショ ン、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、 TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。

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