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「人は見た目だけじゃない」でも「人は見た目が9割」でもない 顔が変わっていく恋人をあなたは愛せるか『ビューティー・インサイド』

2016/02/02 20:00

朝、起きたら、毎日違う顔になっていたらどうするだろう? というのが、映画『ビューティー・インサイド』のアイデアの発端です。

もともとは、2013年のカンヌライオンズ国際クリエイティビティ・フェスティバルで三冠グランプリを受賞して話題になった、インテルと東芝合作の40分あまりのソーシャル・フィルムでした。その作品を、韓国のCMクリエイターのペク監督が映画化したのが本作です。映画版では、ソーシャル・フィルムにはなかった、主人公が恋人に自身の秘密を告白し、ふたりの気持ちが通じ合った後のストーリーも描かれています。

◎「容姿で見られる」ことを知っている男性たち

物語は、ウジンを中心に進みます。学生時代、突然、朝起きたらおじさん(現在41歳のペ・ソンウが18歳になりきって戸惑う演技がまたせつなくて良い)になっていた彼は、その状態では学校にもいけず、家に引きこもっていました。そんなところに、トッポギをもって現れたのが、親友のサンベクでした。それ以降、ウジンの秘密を知っているのは、母親とサンベクの二人だけでした。

毎日、顔が変わってしまうため、人前で仕事をすることができないウジンですが、なんとかサンベクと二人で、オーダーメイドの家具屋を始めて、軌道に乗せることに成功します。ある日、ウジンは、ある家具店で、イスという女性を見て一目惚れをしてしまいます。毎日違う姿で家具店を訪れても、同じように接してくれる彼女への思いが募り、ウジンは彼女に告白しようと決意するのです。

この告白をするにあたってウジンは、「ブサイクよりもハンサム、年配より若いほうがいい、できれば背が高く、かっこよく……」と考え、理想の容姿で目覚める朝までタイミングを待ちます。この連載の担当編集さん(20代・男性)にも「イケメンの日にだけ、ラブシーンがある」と言われて、ルッキズム的な表現もあるのではとはっとしました。ところが、なぜか容姿を茶化した映画には見えないのが不思議なのです。

考えてみると、ひとつには、男も容姿で見られる存在になり得ると考えさせるテーマだということがあるでしょう。私はたまに、あまり韓国の文化ことを知らない人から、昨今の男性アイドルの変化を見て「日本よりも『屈強な男らしさ』にこだわっているようにみえた韓国人男性アイドルが、近年は、メイクをしたり、突然線が細くなったり、時にはフェミニンな美しさを身につけようとしているのはなぜ?」と問われることがあります。こういった現象は日本でもジェンダーレス男子などと言ってみかけられるのですが、そのジェンダーレス男子がお手本にしているのが、韓国の男性アイドルだったりするのも事実です。

この映画を見る限りでは、ウジンは、女性のように容姿で評価されることを感覚として知っているのではないかとも受け取れました。だからこそ、どんな自分でもそのままに受け入れてくれるはずという、ある種、相手に過度な適応を求める傲慢な行動をとるのではなく、自分の容姿如何によって、どう受け止められるのかが変わってしまうと自覚して、相手に遠慮をして行動をしてしまうのかもしれないとも思えます。それは、朝起きてちょっとむくんでいたり、いつもよりイケてないと感じたときに、外出をためらう女の子の「容姿で見られる」恐怖と変わりがないのかもしれません。だから、ウジンは容姿に自信のあるときにだけパーティに出られるのかもしれないなと。

そして、イスは、普段は他人から容姿で評価される性だからこそ、毎日見た目の違うウジンに見られる、そして触れられることに対して戸惑いを感じるシーンが描かれていることも、この映画が単なるファンタジーに見えない理由のひとつだと思います。最初から、「中身さえ一緒だったら、どんな姿でも構わない!」と綺麗事を言いきれないのは、この、初めて会った人に「触れられる」ということに対する恐怖があるでしょう。

また、ウジンの親友のサンベクが口さがなくて、ウジンがイケメンのときだけ一緒にクラブに行きたがったり(ナンパが成功しやすいからです)、ウジンが美人の女性のときには「やらせて」と頼んだりと、けっこうゲスい性格なのですが、そのことも不思議と嫌悪感を抱かせないようにできているのです。

なぜか考えると、サンベクは、ウジンに起こった変化を知って、妙に気遣うでもなく、自然に受け入れているし、最初に出会った姿がアジュンマ(おばさん)だったときには、「互助会にいってきなよ」というジョークまで飛ばしている。けれど、以前と同じように冗談を言ってくれることは、ウジンにとっては、笑顔を取り戻すきっかけになったし、腫れ物に触るような態度ではないことが、彼をほっとさせたことは間違いないでしょう。それは、表向きは、ウジンの顔がいくら変わっても、関係性は変わらないと言っているのだと思いますが、映画のメッセージとしては、サンベクが見た目の多様性を受け入れようとしていることにも見えるから、見ているこちらも嫌悪感を持たないのかもしれません。

◎美が宿っているのはウジンかイスか

この映画には、「ひとりひとりに合わせる」という表現がたびたび出てきます。例えば、ウジンの作る椅子は、ひとりひとりの骨格や背の高さにあわせたオーダーメイドにこだわっていますし、ウジンは朝起きると、まずメガネや洋服など、その日の自分の視力や体格にあったものを選ぶことから始めます。

ウジン自身は、異なった年齢、異なった性、異なった人種などを毎日経験するから、自然とそれに合わせるというやり方を身につけざるを得なかったのだと思います。

しかし、自分でも自分という内面を見失わず(毎朝同じ指輪をつけることで保っていたように思います)、かつ毎日異なる容姿と身体に自分を合わせることが大変だというのに、毎日異なった自分を相手に受け入れてもらうことは、もっと困難です。毎日違ったお客に、毎日同じ接客をしているイスであっても、ウジンの秘密を知ってなお彼を受け入れることそれは苦しいものでした(人の違いを受け入れないと、好ましい人には良い接客を、好ましくない人には親身にならない接客をしたりと、同じ接客をすることは不可能です)。

この映画のテーマは、一見、「人は見た目ではない」だと思われます。エンディングまで見ると、いわゆる「韓流ドラマ」のセオリーにのっとった作品にも見えますが、もうちょっと進んで考えて見ると、恋人に限らず、自分の関わる人が、男性だろうと女性だろうと、年をとっていようと若かろうと、どんな体形をしていようと、その違いを受け入れようというテーマでもあるような気がします(そこに関しては、細かく考えると、ちょっとひっかかる表現があるにはあるのですが、基本的にはそうだと思います)。

この映画のタイトル「ビューティー・インサイド」(美は内面に宿る)は、果たして誰を指すものなのでしょうか。毎日容姿の変わるウジンの「美」は内部に宿るのだから、顔が違っても人は内面なのであると考えるならば、このタイトルは、男性のウジンにつけられたものだと考えられます。でも実は、毎日変わる恋人と接して、一度は精神を病むほどに戸惑いながらも、最後には受け入れられたイスの内面にこそ、「美」は宿っていると考えることもできるのではないかと思いました。

もちろん、ウジンとイスの立場が逆になっても、女性は顔ではない、中身なのである、男性は一度好きになった恋人の顔が変わっても、中身の美を受け入れるものだ……という同じ結末であってほしいと思いつつも、実際には同じにはならないのでは、とも思います。

この映画のラストシーンは、印象的で、あっと言わせるものになっていますが、ウジンとイスの立場が逆転していたらと考えると、ちょっと微妙な気持ちになるのです。同じことを男女逆転で描くだけで、物語の意味が変化して、また別の論点が出現すると、そのままでは美しい物語が成立しない気がするし、それが映画になったら「女性のファンタジーが強すぎる」と言われてしまいそうなのが、ジェンダーに横たわる根深い問題のような気もするのです……。

■西森路代/ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクショ ン、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、 TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。

最終更新:2016/02/02 20:00
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