ゴージャス松野×ビッグダディ対談(後編)

批判なんて気にしない! ゴージャス松野とビッグダディが説く「自分らしい生き方」

2015/12/20 17:00
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ビッグダディ(左)とゴージャス松野

――松野さんは福島県のご出身で、震災復興支援の活動をされています。

松野 福島の自宅マンションで震災に遭いまして、ライフラインはしばらくストップしましたが、おかげさまでケガはなく、少し落ち着いてから、福島にも浜のほうからいっぱい避難してきている人がいると知って、震災後1カ月の頃に田代純子(松野氏の恋人)と簡単な音響機材を持って避難所で歌い始めました。最初はいやな思いをされるんじゃないかとビクビクだったんですけど、みなさんに喜んでいただいて、仮設住宅の慰問は今も続けています。

 プロレスも、お酒や向精神薬などを飲み過ぎて急性肝不全で心肺停止して、3年半休んでいた時期があったんですが、2011年3月24日のDDTの大会に声をかけていただいて、サプライズで「三百六十五歩のマーチ」を歌ったんです。そこで、目覚めたんです。もう一度レスラーとしてリングに上がらなくては、と。それで約1カ月半後にプロレスに復帰。その後も年に1回、福島で「ゴージャスナイト」を主催しています。来年3月にも仮設住宅の方を100名招待させていただいてます。

 5年たって「復興イベント」というと、「まだそんなのやってるの」「福島はもう復興した」という批判もあるんですけど、仮設住宅はまだあるし、本当の意味での復興はこれから。どん底から這い上がって肉体改造してレスラーになった僕を見て、元気になってほしい。過去に苦労したといった話は関係ありません。過去のことは苦労と思っていないし、今を見てほしい。

ダディ それは自分も同感です。どんなにつらいことがあっても1年たてば「あのときはしんどかったな」って苦笑いできるし、3年たったら大笑いできるじゃないですか。3年後に笑えるなら、今から笑って行こうというのが、自分の方針です。

松野 「次に何があっても乗り越えられる」という自信がどんどんついていくだけです。

ダディ 生きていればいろんなことがありますけど、だからこそ今をおもしろく暮らさないと。

松野 僕は、朝から睡眠薬を飲んで、お酒を飲んで……と、心の旅に出ている時代もありました。その経験があるから、今は毎朝、目が覚めると感謝しかない。同じ悩みに立ち向かうとしても、ちょっと引いて考えられるのは50歳を過ぎてからじゃないですかね。50代になると、つらい状況も気持ちに余裕ができて受け入れられるようになる。

ダディ 今年50歳になりました。20代の頃から50歳が目標だったんです。とりあえず50になったらなんとかなるだろうと。おかげさまで子ども5人が成人。明日自分に何があっても、子どもらで団結して、下の子らに学校を卒業させるでしょうから、どんどん気楽になってきました。若い子が「おばあちゃんになるのは嫌だ」なんていってるのを聞くと、「ばかだな、順調に年とっておばあちゃんになれると思ってるんだ」って思いますね。順調に年をとるってありがたいことですよ、本当に。

松野 50歳過ぎたら、人生楽しい!

ダディ 本当ですね!
(構成/安楽由紀子、撮影/飯塚明子)

ゴージャス松野
1961年、福島県生まれ。東宝芸能のマネジャーを務めたのち、沢田亜矢子とともに独立、入籍。97年ごろからドロ沼の離婚劇が報じられ、2001年に離婚成立。00年CDデビュー、ホストデビュー。現在は、歌手、プロレスラーとして活躍中。16年3月13日にDDTプロレス福島大会『ゴージャスナイト』を開催。ブログ:ゴージャス松野の『ゴージャスコラム』

ビッグダディ
1965年、岩手県生まれ。2006年よりドキュメンタリー番組『痛快!ビッグダディ』(テレビ朝日)に出演。5度の結婚、離婚を経て、一時は連れ子も含めて20名の子どもを育てる。東京・浅草で「リラクゼーション柔々」を経営する傍ら、タレント活動も行う。16年に新宿で居酒屋をオープン予定。ブログ:「ビッグダディ~俺の米粒~

最終更新:2016/01/26 14:46
ビッグダディの幸福論 〜はい、左様なり。〜
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