「エロ目的じゃなければセクハラではない」は通用しない! 観客のジェンダー観をあぶり出すヤバい会話劇・田中哲司&志田未来『オレアナ』

 こんにちは、桃山商事の清田です。セクハラというのは、我々男性にとって語りづらいテーマのひとつだと感じています。もちろん、恋人や友人がセクハラ被害に遭えば怒りを覚えるし、例えばバラエティ番組などでセクハラまがいのシーンを目の当たりにし、嫌な気分になることもしばしばです。

 しかしその一方で、「もしかしたら自分も知らない内にやっているのではないか……」という気持ちもわき起こります。あからさまな性的嫌がらせではなかったとしても、自分の何気ない言動が女性にセクハラと映っている可能性は否定できないからです。「自分は違う」と思いたいけど……実際そういう気分にさせてしまったことは一度や二度ではないはず。それが語りづらさのゆえんです。

 現在パルコ劇場で公演中の舞台『オレアナ』は、コピーにもある通り「セクハラ」が主題のひとつになっている翻訳劇です。そこでは何が描かれているのか? 田中哲司&志田未来という実力派俳優の二人芝居で話題となっている本作を、さっそく観に行ってきました。

◎大学教師のジョンと、単位のことで悩む女子大生のキャロル

 物語の舞台は大学教師・ジョン(田中)の研究室。そこへある日、講義が理解できないと悩む女子大生のキャロル(志田)が訪れます。「このままでは単位を落としてしまう!」とパニックになり、その救済措置をジョンに求めるキャロル。しかし、二人の関係はどんどんこじれていき、結果的にセクハラ事件にまで発展してしまいます。

 こう聞くと、「教授が研究室で女子学生に性的な行為を強要した」といった類のセクハラを思い浮かべるかもしれません。事実、そういった事件は現実に数多く起こっています。つい最近も、11月10日に、東京藝術大学で50代の男性教授が女子学生の胸を触ったとして停職処分を受けたことが報じられました。

 しかし、『オレアナ』で描かれるのはもっと複雑でわかりづらい事例です。ジョンとキャロルの言い分は完全に食い違っているし、観る人によっては「むしろジョンが被害者」という捉え方をするかもしれません(ジョンはキャロルの胸を触ったわけではないので)。

 ジョンとキャロルの関係性は、本作の社会的背景を頭に入れておくとよりクリアに見えてきます。舞台は「4割しか卒業できない」と言われるアメリカの大学です。成績の評価システムは日本より格段に厳しく、単位を落とせば退学の勧告が出されます。キャロルが切羽詰まっているのはこのためです。

 また、一方の教師サイドもシビアな評価制度に置かれています。一定の研究能力が認められ、大学から「終身在職権」が与えられて初めて安定した身分が得られるという仕組みになっているのですが、ジョンは間もなく終身在職権が認められるというポジションにいて、これを機に家の購入を決めたばかり。

 こういった状況下で、キャロルは必死に救済措置を求め、ジョンも何とかそれに応じようとしています。しかし、二人の間には小さなすれ違いがどんどん積み重なっていき、やがて決定的な亀裂へと発展していく……。なぜ、そうなってしまったのでしょうか。

◎止まらない二人のディスコミュニケーション

 二人がすれ違っていった理由。ポイントは、置かれている立場の違いを「互いに理解していない」ということです。

 キャロルにとって、ジョンは自分の命運を左右する存在、つまり絶対的な“権力者”です。そういう相手に対し、しかも研究室という権威的な密室空間で単位の救済を求めるのは、とても怖いことだと思います。しかし、背に腹は代えられないキャロルは、怯えながらも必死に自分の状況を訴えます。

 与えられた課題をやっても授業について行けない。自分はバカなのかもしれない。クラスメイトにはコンプレックスを感じている。でも、せっかく入った大学を辞めるわけにはいかない……。ときに混乱しながら窮状を訴えるキャロルの言葉は、極めて切実です。

 一方のジョンは、“教師らしい態度”でキャロルと向き合おうとします。教師として学生の混乱を収めてあげたいし、何とか力にもなってあげたい。その気持ちは確かに伝わってきます。しかし、家の件で妻や業者から度々かかってくる電話の影響などもあり、どこか気もそぞろ。そのため、ジョンからはつい首をかしげたくなるような言動が散見されます。

 例えば、キャロルの相談に対して「(君の問題を)片づけよう」という表現を使ったり、キャロルの話を「君の言いたいことはわかってる」と最後まで聞かずにさえぎったり、キャロルをリラックスさせようといきなり下ネタのジョークを放ったり……。確かにその根底には「教師として力になりたい」という気持ちが存在しているのだと思いますが、緊張と恐怖で張りつめているキャロルにはまるで伝わらず、むしろ不信感を募らせる方向へと突き進みます。

 なのに、それをまったく読み取れないどころか、意味を取り違えて解釈してしまうジョン。ディスコミュニケーションは止まりません。そして、取り乱しかけたキャロルを落ち着かせようとジョンがその肩に手を回したとき……限界まで達していた表面張力がついに崩壊。二人のすれ違いは、とうとう引き返せないところまで到達してしまいます。

◎「エロ目的じゃなければセクハラにならない」という男の理屈

 キャロルはその後、大学当局にジョンをセクハラ容疑で告発します。そこからのやり取りは……ぜひ本作を観て確かめていただきたいところですが、とにかくここで痛感したのは、セクハラ問題の根底には「権力構造に対する無知や無自覚」がある、ということです。

 端的に言って、ジョンに「セクハラをした」という意識はありません。「性的な意図はなかった」というのがその根拠です。これは男性にとって生々しい感覚で、大多数の人が「エロやセックス目的じゃなければセクハラにならない」とナチュラルに思い込んでいるように感じます。

 事実、セクハラ男性の心理状況を分析した『壊れる男たち─セクハラはなぜ繰り返されるのか─』(金子雅臣/岩波新書)にも、「冗談のつもりだった」「単なる恋愛のアプローチだった」「何もやってないのになぜ訴えられたのか?」などと言ってセクハラを絶対に認めようとしない男性たちの姿が描かれています。

 しかし、これは独りよがりの理屈です。一方で、よく言われる「受け手の側が不快に思えばセクハラ」というのも正しくないとか。セクハラ問題の必読書と名高い『部長、その恋愛はセクハラです!』(牟田和恵/集英社新書)によれば、「受け手の許容範囲もまた千差万別である」というのがその理由です。

 おそらくセクハラとは、権力を持っている側、その場で優位なポジションにいる側が、そのことにまったく無自覚な状態で相手に性的な恐怖や嫌悪感を与えてしまうことを指すのではないか──。これが『オレアナ』から学んだセクハラの定義です。

 もっとも、本作はこういったことを直接的に説いているわけではありません。あくまでこれは私個人が抱いた感想です。舞台上に提示されるのは、ひたすら続く言葉の応酬と、俳優たちの身体から発せられる非言語的な情報のみ。二人のやり取りに耳を傾け、それぞれの様子を観察し、心理状況を想像し、自分なりに場面を読解していく……。集中力を要する作品ですが、実力派の二人が織りなす会話劇は圧巻の迫力であり、セクハラ問題や権力の問題を考える上でも非常に良質なテキストとなるはずです。

 よく考えてみれば、セクハラが発生するプロセスをリアルタイムで追いかけるという機会も滅多にありません。見る人によって受け取り方は千差万別だろうし、現実をそのままトレースしたような世界観は、記憶や認識といったものの不確かさをこれでもかというほど突きつけてきます。東京公演は11月29日(日)まで。ぜひ、観劇をオススメいたします!

・パルコ・プロデュース公演『オレアナ』
東京公演:2015年11月6日(金)〜2015年11月29日(日)
作:デイヴィッド・マメット
翻訳:小田島恒志
演出:栗山民也
出演:田中哲司・志田未来
※東京公演のほか、豊橋・北九州・広島・大阪公演あり。16日(月)には桃山商事・清田代表が男性学の田中俊之先生とアフタートークに登壇します。

■桃山商事/二軍男子で構成された恋バナ収集ユニット「桃山商事」。失恋ホスト、恋のお悩み相談、恋愛コラムの執筆など、何でも手がける恋愛の総合商社。男女のすれ違いを考える恋バナポッドキャスト『二軍ラジオ』も更新中。コンセプトは“オトコ版 SEX AND THE CITY”。著書『二軍男子が恋バナはじめました。』(原書房)が発売中。

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