『虫めづる姫君 堤中納言物語』平安人の息遣い、物語文学の魅力

「恋愛観や人間関係は変わらないから面白い」平安と現代女性をつなぐ『虫めづる姫君』の世界

2015/11/15 19:00
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左から光文社古典新訳文庫の駒井稔編集長、訳者・蜂飼耳氏

 年頃なのにおしゃれや恋愛より虫ばかりに夢中になっている姫の話「虫めづる姫君」や、ある恋愛関係が波及して別の人々の恋愛関係を生んでいく話「ほどほどの懸想」など、あらすじを聞くだけでも気になってくる話を集めた文芸作品がある。

 『堤中納言物語』とは、平安時代後期から鎌倉時代にかけて書かれた、10編の物語と1編の断章から成る短編物語集。1編を除いては作者がすべて未詳であり、さらにはそれぞれが書かれた時期も編者も判然としていない(藤原定家を編者とする説は存在する)。そのような経緯があるにもかかわらず、なぜ時を超えて現代にまで残っているのかなど、謎が多いというだけでも現代人の心をとらえるものがあるが、上記のようにその風変わりで読み手を飽きさせない物語の内容には、さらに惹きつけられるものがあるだろう。

 先日、詩人であり作家の蜂飼耳氏が訳した『虫めづる姫君 堤中納言物語』(光文社)が刊行された。本書は、光文社が「いま、息をしている言葉で。」をコンセプトに9年前からスタートさせた文庫本レーベル「光文社古典新訳文庫」シリーズの1つ。さまざまな翻訳者が手掛けた国内外の古典作品の新訳を、現代の読み物として毎月1冊から3冊刊行している。 

 本書の刊行を記念したトークイベント「『虫めづる姫君 堤中納言物語』平安人の息遣い、物語文学の魅力」が紀伊國屋書店新宿本店にて開催され、本書の読みどころや新訳における工夫などが訳者・蜂飼耳氏によって語られた。聞き手は光文社古典新訳文庫の駒井稔編集長。

◎物語を貫く深いユーモア

 蜂飼氏はまず、本書新訳の苦労した点について「敬語表現」を挙げた。日本の古典には総じて敬語表現が大量に出てくるが、それらを一つひとつ訳すとどうしてもセリフのスピード感が損なわれてしまう“もったいなさ”があったそうだ。一方で、現代の言葉に寄せすぎれば全体がチープになってしまう懸念もあったため、原文と向き合っていた当時の蜂飼氏は、「迷った時には『いま、息をしている言葉で。』という光文社が掲げるコンセプトに立ち返っていた」という。

 「虫めづる姫君」については蜂飼氏も感動したポイントがあるということで、その読みどころが順を追って解説された。「世間ではよく、蝶よ花よ、なんていって、はかないものをもてはやすけれど、そんなのは考えが浅いよね」「毛虫って、考え深そうな感じがして、いいよね」などと、虫の観察から会得した物事の理屈を語る風変りな姫に対して、仕える侍女たちは気味悪がって文句を言うのだが、その侍女たちの姿を「給湯室で、上司の悪口を言う女子社員そのもの」と現代と比較して述べる。

 そして、そんな姫に興味を抱く上流貴族の御曹司と手紙のやり取りなどをするが、恋に発展するのかどうか盛り上がってきた場面で「二の巻にあるべし(=続きは二の巻にあるはずです)」という言葉で物語がぷつりと終わるのだ。もちろん、二巻は見つかっていないのではなく、ここは原作者による表現技法だと考えられている。その後、姫は虫よりもその御曹司を愛してしまうのか、慣習に逆らい自分の価値観を貫き続けるのか。蜂飼氏はその終わり方を訳していた時、読み手に自由な解釈を委ねるという「物語」としての度量の大きさに気が付き、感動を覚えたのだという。物語に読者を参加させる手法が、古い話なのにむしろ新鮮に感じさせる。「そんな感覚と不思議なユーモアにこの『堤中納言物語』は包まれていると再確認した」と語った。

 蜂飼氏は『堤中納言物語』の魅力について、作者や編者が未詳である点に触れながら、「近代小説は『誰が書いたのか』と作者の存在が気になるが、本書は話自体が全面に出てくるのでそれがまったく気にならない。そうした、何かを飛び越えて伝わってくる感情や感覚が、この作品にはあるのだとあらためて実感した」と話す。

『虫めづる姫君 堤中納言物語 (古典新訳文庫)』
正解がナイから人間関係っておもしろい
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