仁科友里の「女のためのテレビ深読み週報」

滝沢眞規子、「社会に出た生意気な女」発言に見た“自意識のオオモノ”としての顔

2015/10/15 21:00

 しかし、言葉というものは、受け取り手の判断に任せられている。タキマキが「ちょっと、そういうのやめて」と破顔したところを見ると、不快に思っていないようだ。「私なんて、スタイルがいいわけでもないのに、どうして選ばれたんだろう」とタキマキが漏らせば、清原に「顔じゃない?」と暗にスタイルが良くない発言を肯定されるが(佐田はノーコメント)、そこで気を回して自虐したり、不機嫌になったりしない。タキマキは、いい意味で鈍い人なのだろう。

 番組が朝7時という主婦が視聴しやすい時間であることから、清原が「イメージ上げるよ」とタキマキに課題を出す。タキマキはきちんと「撮影が近くなると、不安でたまらなくなる私に、主人が『大丈夫だよ』と声をかけてくれる」と、稼ぐだけでなく、妻に優しいダンナエピソードを披露するが、それと同時に鈍さも発揮する。

 それは、自身の結婚についてである。大学4年時に結婚という早すぎる決断について、タキマキは「主人は、社会に出た生意気な女の人が好きじゃなかったんだと思う」と述べていたが、社会人女性が生意気であるととられかねない発言は、タキマキの支持層の社会人経験のある女性と、仕事を持つ主婦を怒らせそうに感じられる。一歩間違えば、炎上にもつながりかねない発言は、タキマキ本人にも「VERY」にもマイナスだが、彼女の魅力とは、外見や夫が高収入というプロフィール(年商18億説あり)に加えて、この“鈍さ”であるように思えてならない。

 SNSの発達は、人に“見られる喜び”と“他人を謗る喜び”を同時に与えた。特に有名人と言われる人にとって、SNSでの「フォロワー」「コメント」「いいね!」の数はタレントとしてのステイタスを示すものとなりつつある。称賛を増やし、けれど批判を抑えることは、「他人にどう見られるか」を考えることで、つまりは自意識過剰をたぎらすことになる。

 そして、有名人の動向に文句をつける一般人も、「自分がどう見られるか」を気にするあまり、「他人の様子が気になって、他人を捨て置けない」自意識過剰に陥っている。“褒められたい”有名人と“褒めたくない”一般人という、自意識対自意識の勝負で、真の勝者は、「あこがれられる条件を全て持ちながら、人にどう見られるかを気にしない鈍さ」を持つ人であり、そういう人こそが“自意識のオオモノ”なのである。タキマキは、まさにそれに当たると言えるのではないだろうか。

 カバーモデルに、シロウトでありながら華があり、かつ自意識のオオモノを持ってくる。雑誌が売れないと嘆く出版人は多いが、そんな中「VERY」は突出した売り上げを誇るが、その秘密は編集部のこんな先見の明にあると言えるのではないだろうか。

仁科友里(にしな・ゆり)
1974年生まれ、フリーライター。2006年、自身のOL体験を元にしたエッセイ『もさ子の女たるもの』(宙出版)でデビュー。現在は、芸能人にまつわるコラムを週刊誌などで執筆中。気になるタレントは小島慶子。最新刊は『間違いだらけの婚活にサヨナラ!』(主婦と生活社)。
ブログ「もさ子の女たるもの

最終更新:2015/10/20 13:07
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