【messy】

恋はデイドリーミング!必要なものは、美貌でもお金でもない。夢を見る力だけ。

2015/09/18 20:00

 私たちは、恋はデイドリーミングだと思っている。私たちデイドリーマーにとっては、人生のすべてがデイドリーミングなのだけれど、恋と呼ばれるものは、その中でも極上のもの。

 恋をするのに必要なものは、美貌でもお金でもない。夢を見る力だけ。愛する人と、一緒に夢を見る力。それさえあれば、他には何も必要ない。人類が、その長い夢の中で恋というものを発明してからずっとそれは変わらない。

◎赤坂 ユニコ 菜生のデイドリーム By 赤坂 ユニコ 菜生

 2001年11月18日。私の17歳の誕生日に、「しし座流星群」が来ると言われていた。それも、32年に一度の規模、もしかしたら、100年に一度の規模、それ以上になるかもしれないと言われていた。その頃、私はよくお父さんの天体観測に付き合っていて、星に詳しかった。当時、私とお父さんはよく、夜8時になると照明が消えて真っ暗になる、滝野霊園の駐車場近くに車を停めて星を見ていた。

 しし座流星群が来る当日、札幌の空は厚い雲に覆われていた。32年に一度とも100年に一度とも言われる規模のしし座流星群を見逃してしまうのかと私は残念な思いでいた。ちょうど次の日が中間試験だったから、私は試験勉強をしながらチラチラ天気予報を気にしていた。

 私には当時、7歳年上の交際相手がいた。彼は星に詳しいわけじゃないけど、音楽フェスティバルで奇跡的なライブに居合わせる、みたいなことは大好きだったから、何日も前からしし座流星群に期待していた。当日の昼、彼は「もしかしたら見れるかもしれないよ。俺はスタンバイしてる」と言っていた。

 私はソワソワしながら勉強していた。晴れる気配はなかった。

 夜になると、お父さんが、「しし座流星群を見に行くぞ」と言いだした。「車で千歳のほうまで行けば見えるかもしれない」と。そして、私とお父さんは車で千歳方面に向かった。ところが、千歳方面も雲が厚く、星ひとつ見えなかった。しし座流星群が来る時間は近づいていた。私とお父さんは焦っていた。

 その時、7歳年上の彼から電話が来た。「今、どこにいる?」「千歳方面」「そっちどう?」「全然ダメ。曇ってる」「今、俺、滝野霊園方面に向かってるんだけど、こっち少しずつ晴れてきたよ。こっち来いよ」私とお父さんはUターンして滝野霊園に向かった。

 滝野霊園に近づくと、だんだん星が見えてきた。午前1時くらいだったと思う。既に、星はじゃんじゃん流れていた。

 彼は、私も一緒に遊んだことのある彼の悪友を連れていた。星はじゃんじゃん流れ続けていて、それはだんだん雨のようになっていった。彼と彼の悪友は、「ドーン!」と両手を空にあげ、どちらが星を多く降らすことが出来るか勝負していた(その勝負は彼の勝ちだった)。

 午前3時半頃。ピークタイムの予想通り、雨のように降り注ぐ星は激しくなっていった。降り注ぐ星で照らされた空は夜とは思えない明るさだった。彼は車の陰で、私にキスをしてきた。私は目を閉じた。その間だけ、世界が暗闇になった。

 結局夜が明け始める頃まで私たちは空を見続けた。朝起きると彼から「お誕生日おめでとう」とメールがあった。「ほんとはもっと激しいキスがしたかったけど、お父さんがいたからさすがにね」と。

 私はぼーっと夢心地で中間試験を受けたのだと思う。「昨日勉強した?」とクラスメイトに聞かれて、「いや、しし座流星群を見に行って夜明けまで見てたから。すごかったよ」と言って、「さすが菜生。やる気ないじゃん」と、笑われた記憶だけがある。

 次に同じくらいの規模の「しし座流星群」が来るのは32年後と言われていた。私は流れ星に、「32年後も彼と見ることが出来ますように」とお願いしていた。最新の情報では、2033年から2037年のしし座流星群は、2001年ほどの規模にはならないんじゃないかと言われている(2001年のしし座流星群は、1時間あたり1000個以上の星が流れていた)。でも、きっと、彼と、みんなで見ることは出来ると思う。私と彼は、昔も今もずっと親密で、それは、私に何人恋人がいても、彼に何人恋人がいても、ずっと変わらないことだから。

◎赤坂沙世のデイドリーム By 赤坂沙世

 大きな大きなお風呂でみんなで遊んで、自家用ジェットでいつでも気軽にみんなに会いに行く。 豪華客船で数週間の旅。ブラジル、キューバ、イビサ、スペイン、オランダに家があって、私たちは移動して暮らす。……これは今少しずつ現実になっていっている、私の理想の付き合い方。
(このコラムが公開されるときには、ちょうど、私はイビサで菜生と菜生の恋人たちと過ごしている。休息と仕事を兼ねて。もしかしたら、ロンドンに住む私の恋人も仕事が終われば来てくれるかも)

 私は音楽がないと生きていけない。

 だから好きな人が歌を歌ってくれる。

 今でも覚えている。バンドセットがあるバーで飲んでいたら彼が突然舞台に立って歌を歌ってくれた。私のためのサプライズ。

 ついこの間は、ミュージシャンの彼が、私たちのロンドンでの思い出を曲にしていた。彼は現在アルバム製作中。

 photographerの彼と数年前にモンサンミッシェルに行った時のこと。私はモンサンミッシェル内のホテルを予約していたのだけれどダブルブッキングになっていて、私と彼は違うホテルへ行かなくてはならなくなった。2時間程バスを待っている間、彼は、路上でオペラを歌ってくれた。

 同じ地元の彼と口論をした次の日。下北沢をお散歩していたら、いきなりはぐれてしまった。ぐるぐる道を回って探す私の前に急に姿を現した彼は、道化になって路上パフォーマンスをした。わざわざ紙芝居を用意していて、幼稚園児が歌うようなおふざけの歌を恥ずかしげもなく路上で披露した。

 一緒にお風呂に入りながら彼らの歌を聴くのは至福の時。

 私はサンタクロースが本当に大好き。中二まで信じていたくらい。

 だから、恋人たちは全員渾身のサプライズをしてくれる。

 文化服装学院の専門学生の頃、ある彼は一週間ずっとサンタクロースになってくれた。1日目は小学生の頃の私に。2日目は中学生の頃の私に。3日目 は10代後半の頃の私に。……そして、7日目は今の私に。一週間毎日サンタが私に会いにやってくる。

 高校時代の彼はサンタクロースと連絡をとりあったみたいで、ある日、サンタクロースから私に手紙が届いた。その手紙の最後には私の机の引き出しを開けて、と書いてある。開けてみると小さなメモがあって、そのメモの指示に従ってどこか別の場所を開けると、また次のメモに辿りつく。迷路のように家中を駆け、最後には指輪が出てきた。私じゃなくて、私のおかんと、妹が感動して泣いていたのを覚えてる。

 お笑い芸人の彼とはヘリで空中散歩のあと、車に戻るとバラの花束とダイヤモンドが私の席に置いてあった。私はとても興奮していて、全く気付かずその上に座ってしまった。まったく面白くないつっこみを入れられた。お笑い芸人失格だなと思った。

 職人の彼が東京近郊の観覧車全てに電話して、「私たちが頂上に登った時に大きなサンタのバルーンを飛ばしてくれないか」とかけあってくれたこともある。結局、たったひとつの遊園地だけokを出してくれた。

 魚座の彼には、「最強にダサいオタクの格好をして新宿に来て」と言われた。私は何かのオタクが大好きなので、完全にオタクになりきって新宿に到着したら彼はタキシードで登場した。そのあとドレスを選びに行ってシンデレラごっこをした。

 そうそう、これは私は特に望んだわけでも頼んだわけでもないんだけど、物心ついた時から必ず 送り向かえをしてくれる子がいた。高校の頃は自宅の方向が真反対なのに、わざわざうちまで送り迎えしてくれる謎の男の子がいた。彼がストレートなのかゲイなのかはわからなくって、それは未だに謎だったりする。文化服装学院に通っていた 時は、夜まで課題を学校でやって、彼が迎えに来て食事を済ませて、そのまま車で寝てしまう日々が続いた。彼も社会人になったばかりでいっぱいいっぱいだったと思うけど私に尽くしてくれた。文化服装学院同級生の彼は毎日お弁当を作ってくれた。

 私には愛する彼女達もいる。彼女達は私が心身ともに疲れてる時に美味しいご飯を作ってくれて最高のパジャマを用意してくれて一緒に手をつなぎながら眠った。

 私は心底癒された。

 異国の地に慣れなくて戸惑っていた時、魚座の彼女と毎日違うホテルを泊まり歩いた。

 彼女はたくさんの素敵な場所に私を連れて行ってくれた。彼女が出張で一緒にいれない時は彼女の仲間達が私を違う街へ連れて行ってくれた。They care about me a lot.

 今はメイドが私の家の全てを助けてくれているので私は仕事に専念することができている。

 共通して言えることは、彼らはみんながみんなリッチではないし、ナルシスト気質でもなく、むしろ超シャイ。お互い学生だった頃は、どの彼もとても自立していた。生活費、学費、私を旅行に連れていくお金をしっかり稼ぎながら、しっかり学生もしていた。愛する人がいれば人はどんなことだってできるの。もちろん、彼等は私には彼等以外の愛する人がいるということも承知していた。

 私もそう。とてもたくさんのloversが肉体的にも精神的にも私を高めてくれているから、私は質の高い仕事が出来ている。ひとりひとりが持つ使命を遂行するために、そして、ただ愛し合うために、このような人間関係のシステムは自然と出来上がっていく。

◎恋はデイドリーミング by 赤坂 ユニコ 菜生

 恋は、人類の偉大な発明品。人類が夢の中で見つけ、夢の中で発明し、夢の中で洗練させてきました。古代ギリシャ文明、古代ローマ文明、騎士道文化、ルネッサンス、リベルタン、啓蒙主義、印象派…こうした文化をリードした偉大な芸術家や思想家たちが、恋という文化もリードしてきました。

 私たちは、恋に美貌やお金が必要だとは全く思いません。恋に必要なのは、愛する人と共に夢を見る力、それだけだと考えます。もし、自分か愛する人のどちらかに美貌とお金がどうしても必要なら、愛する人と共に美貌という夢を見ればいい。愛する人と共にお金という夢を見ればいい。

 恋の歴史を振り返ってもそれは明らかです。

 もし、恋というデイドリームがなければ、男女の性的な関係は、ただの交尾、もしくは、性と財を交換する行為……あるいは、社会の慣習をただコピーしただけの行為となってしまいます。つまり、恋に美貌やお金が必要なのではなく、デイドリームが欠けているから男女の関係に美貌やお金が必要となるということですね。

 夢を見る力をつけるには、まず何よりも、強烈な力を持つアートに触れることが大切だと私たちは考えます。文学、自然科学、哲学、音楽、絵画、写真、衣服、建築物、家具、広大な自然。例えばダイエットを頑張るよりもシェイクスピアを読むほうがずっと、実りある人間関係の構築に繋がりますね。私が特におすすめなのは、ソネット集で、その中でも特に135がお気に入りです。

 また、ダンスミュージックもデイドリーミングを促します。人類の長い歴史の中で、ダンスと恋はセットでした。私の恋人のひとりは、両親がダンスホールで出逢い、恋をした結果生まれてきた「ダンスホールベイビー」です。私もまた、ジャズ喫茶で出逢った両親が、フリージャズの中で恋をして出来たこどもです。

 私は今回、Tiesto featuring Christian Burns/In the Dark (from Elements of Life 2007) と Tiesto/Forever Today (from Just Be 2004) を繰り返し聴きながら書きました。Tiestoは、DJで初めてオリンピックでのプレイを成し遂げたDJ。Silence by Delirium (DJ Tiesto’s In Search Of Sunrise Remix) という、悪魔と取引したんじゃないかと思うくらい凄いRemixを出し、2001年、イギリスで大ヒット。一瞬で世界のトップDJに躍り出、そのままアテネオリンピックへと駆け抜けました。TiestoがDJをしたアテネオリンピックの開会式は、本当に素晴らしいものだった。私が大好きなのは2008年までのTiesto。パウダースノーにふわりと腰をおろすときのような、流星雨が流れるような、世界がふわりと、きらりと、白く輝いて、新しく生まれ変わる瞬間を、何度でも私たちにもたらしてくれる。

(蛇足:日本政府が本当に出生率を向上させたいなら、ダンスホールをたくさん作れるようにすべきだ、と私は思います。日本政府は、税収を増やすために子どもの数を増やさなくてはいけなくなり、その手段として、街コン婚活推進事業に、今年度、総額30億円もの予算を組んでいます。待機児童問題など、子どもの数を増やす前に解決すべきことを解決しないままにです。そもそも子どもの数を増やすのに、結婚は必須ではないですね)

■赤坂“ユニコ”菜生/テトラヒドロン人間関係研究所所長。日本におけるポリアモリーコーチングの第一人者としてPolyamory JPを運営。

■赤坂沙世/活動家。モデル、フォトグラファー、様々なアートディレクションを手掛ける。世界各国で活躍中。

最終更新:2015/09/18 20:00
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