[連載]おばさんになれば"なるほど"

東京志向・自己実現から離れて――地方都市の“ビッグマミィ”な中年女性の眩しい姿

2015/09/20 16:00

少女から女性へ、そしておばさんへ――全ての女はおばさんになる。しかし、“おばさん”は女性からも社会からも揶揄的な視線を向けられる存在でもある。それら視線の正体と“おばさん”の多様な姿を大野左紀子が探っていく。第9回は「ビッグマミィな人」。

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 東京の山の手から東海地方に転勤になった人が一番住みたがるのは、名古屋の東の方だといわれています。名古屋市では東の丘陵地帯を切り開いてできた比較的新しい住宅地が山の手、下町は西や南の古い商店街や工場が多い地域です。私が今住んでいるのは名古屋市の北隣に位置する小さな地方都市ですが、雰囲気としては名古屋の下町に近い感じ。ちょっと前に人口に膾炙した「マイルドヤンキー」が多そうな街と言えば、なんとなくイメージが掴めるでしょうか。

 古い喫茶店(カフェではない)や大衆居酒屋、パチンコ店、カラオケスナックなど、オシャレな山の手ではあまり見かけないお店があり、「マダム」と言うより「おかん」と呼びたい感じのおばさんがいます。やっぱりマイルドヤンキーな? そうですね、地方定住型で、比較的結婚が早く、親子同居の中年女性が多いということは言えるかもしれません。

 例えば居酒屋に、子どもと孫合わせて総勢7人ほどを引き連れて来ているお母さん。どう見ても50歳そこそこですが、孫は小学校高学年くらいの子も含めて3人。母親と同じく娘さんも、地方に生まれて都会に夢など見ずに地方で働き口を見つけサッサと近場で結婚するというルートを、順調に辿ったのでしょうか。

 その中で一番元気で声の大きいのはやっぱり中年のお母さんで、「肉ばっかはダメだよ!野菜も食べな」(「食べな」は「食べろ」ではなく「食べなくては」の意)と率先してメニューを決めたり、料理が待ちきれない孫を「箸でテーブル叩くんじゃない!」と叱ったり、喧嘩している小さい孫たちの仲裁をしたり、揚げ物やサラダをみんなに行き渡るように取り分けたりと、積極的に座を取り仕切っています。往年のイタリア映画に見る大家族のおっかさん、といった貫禄。

 この世代が生まれた頃は高度経済成長期。地方の街で工場に勤めたり自営業を営むその親たちがせっせと貯蓄して家も建て、若干の資産を残しています。それを受け継いでいる母親に対し、まだ若い娘夫婦は世帯収入も少ないため、外食のお支払いも全部「ばあちゃん」に一任。「ショータ、ばあちゃんにありがとう言って」「ばあちゃん、ありがと」「はいはいー(笑)」。少し離れたカウンターから興味津々で観察していた私ですが、「ビッグマミィだ……」と思わず呟きました。
 
 国道沿いに必ずあるショッピングモールのフードコートで孫の面倒を看ているのも、中年のおかんです。娘は「回りたいとこがあるから、この子たち見てて」とばあちゃんに子どもを託していく。自分もちょっと覗きたい店があったんだけど、まあいいか、孫と遊べるのも今のうち……という顔のビッグマミィ。居酒屋の女将を引退し、バツイチ独身の娘に任せたけれども、娘は間もなくデキ婚して赤ちゃんの世話で手一杯、仕方がないからまた女将に復帰して頑張っている人もいました。「おかんの作る突き出しの方が旨い」と歓迎する常連さんに、「やっぱりまだ働けるうちは働かないとね」と笑顔で返すビッグマミィ。

『アート・ヒステリー ---なんでもかんでもアートな国・ニッポン』
地元の町内会で頼られる情報通のおばちゃん、カッコいいよ
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