[官能小説レビュー]

「お医者さんごっこ」はなぜ楽しかったのか? 谷崎潤一郎『少年』に考える“子どもと快楽”

2015/09/14 19:30

 次第にエスカレートしてゆく子どもたちの遊び。まだ官能という言葉など知らなかった幼い子どもも、本能的に快楽を求めていくものだと気付かされる。

 また、彼らには、変動的なマゾヒズム、サディズムの関係性も垣間見える。知識と経験を経て、つい頭でっかちになってしまった私たち大人は、「私はSだ」と自分を位置づけてしまうとMとしての行為を受け入れなかったりする。普段それほどセックスに対して貪欲ではないと自認していた人が、パートナーを変えたことでセックスに感じるようになると、性に乱れる自分を否定したりすることもあるだろう。しかし子どもたちは、快楽の幅を狭めてしまう大人とは違い、その壁を簡単に乗り越え、純粋に快楽を楽しんでいる。

 「少年」で描かれる行為は、現実的にはあまりにも危険なものだ。けれど物語として読み解くと、大人よりもいやらしいことをしていると魅力を感じてしまう。彼らのピュアな快楽の追求は、本能でそれを制御してしまう私たちには、決して実現させることができないからだ。
(いしいのりえ)

最終更新:2015/09/14 19:31
『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集(集英社文庫)』
世界よ、これが日本の純文学である
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