又吉だけじゃない!忘れられた芸人小説の傑作。鳥居みゆき 『余った傘はありません』

鳥居みゆきの2作目の小説『余った傘はありません』(幻冬舎、2012年)は不幸な作品かもしれない……という一文だけでまず「え、鳥居みゆきって小説なんか書いてたの!?」と驚く人がいるだろう。そう、あの精神病院の閉鎖病棟から今まさに逃げ出してきたような衣装で、目を大きく見開き、「ヒットエンドラン!」などと叫んだり、フェイクなのかマジなのかよく分からないキレキレの受け答えをする女性ピン芸人の彼女は、実は小説も書いていたのである。しかも1作目の『夜にはずっと深い夜を』(幻冬舎、2009年)も本書も文庫化までしている。

『余った傘はありません』のなにが不幸かと言えばピースの又吉直樹の『火花』(文藝春秋)が芥川賞を受賞するなど、「芸人が書いた小説」が社会現象的に脚光をあびる今日であっても、まったく顧みられることなく(品川祐や劇団ひとりの作品は言及されている気がするのだが)、すっかり書かれたことを忘れられてしまっており、コアなファンにしか覚えられていないという現状だ。芸能人の書いた小説は話題づくりの域を越えず、駄作であるケースも多い。しかしこの『余った傘はありません』は、それら駄作とは一線を画する。

◎断片化された、恐ろしげな世界

まず、書き方が凝っている。優秀な姉と、不出来だが愛嬌がある妹、この双子の姉妹の一生が、本作の大きな物語の枠組み、とひとまずしておこう。姉は妹の愛嬌に、妹は姉の出来の良さにコンプレックスを抱いている。そのコンプレックスをもとにした姉妹の不和が、最後には驚くべき形で和解にいたる……ものすごくざっくりとあらすじを言ってしまえば、そういうストーリーがある。

これが直線的に、いわば「ゆりかごから墓場まで」の時系列的な流れで語られてしまうと、とても平板な作品になってしまうだろう。しかし、本作ではそのような語りはされない。書き口や時間、登場人物の異なるひとつひとつが完結した断片的な掌編が積み重なることで、次第に大きな物語の骨格が見えてくるような仕掛けが施されている。

しかも掌編のひとつひとつが実に面白い。気の利いた小噺のようなオチが用意されているのだが、そのオチが精神の異常から起こる殺人や自殺、妄想、幻覚の類いによるものだったりする。何度も学校の屋上から自殺を試みて、その度にどうやったら周囲から止めてもらえるのかに苦慮する少年がカウンセリングを受けに来る……というのが、自分を看護婦だと思い込んでいる入院患者の妄想だった……などイチイチ「やるな……この作者」という気持ちにさせられてしまった。まるで藤子不二雄Aが書くブラックなユーモアとホラーのような世界観だ。

◎パーツがすべて集まらないからこその読後感

それぞれが他人みたいな顔をしている掌編に隠されている、双子の姉妹の物語へと繋がるパーツを拾い集めながら読む感覚は、ラテンアメリカ文学の傑作として名高いフリオ・コルタサルの『石蹴り遊び』(1963年発表)みたいである。

『石蹴り遊び』は、『余った傘はありません』と同じように、大きな物語を物語の断片によって描く長編だ。各断片には番号が振られていて、一冊の本のなかにバラバラに配置されている。コルタサルは読者に対して、バラバラの断片を読む順番を指示しているものの、でたらめな順番で配置されたまま読んでも良い、としている。読者はこの本をゲームブックで遊ぶようにページを行ったり来たりしながら読み進めなくてはならない。こうしたゲーム感覚が『余った傘はありません』にもある。

『余った傘はありません』が『石蹴り遊び』と違っているのは、物語を繋げるパーツをすべて拾い尽くしたとしても、大きな物語が完全に浮かび上がらないところにある。「これはこういうことだったのか」という確信が小説全体をしっかり読み込んでも確定的に判断できない。パーツが明らかに足りていない部分があり「これってそういうことなの?」という不安が残るのだ。

その点は欠陥と呼ぶこともできるだろうし、逆に、読者の想像力をかきたてる隙間や余白とも受け取ることができる。「足りない部分は読者が勝手に想像してください」と言わんばかりのいい加減さ、投げやり感がなくはない。でも、断片(部分)があまりに完成されているから、全体の曖昧さが受け入れられてしまう。核心にたどり着けないのにも関わらず、最後まで読ませてしまうという離れ業的な世界観の構築が本作にはなされているように思われ、読んだ後に強く後をひく。

◎書かれた言葉と音声、お笑い芸人らしさ

もう一つ、大きく感心したのは鳥居みゆきが書いた文章のリズムだ。各掌編では、官能小説のパロディや小学生が書く日記、思春期の少女の秘密の手帖のような様々な文体が試みられているのだが、そのどれもが鳥居みゆきらしいリズムで支配されている。だから、読んでいると鳥居みゆきの声が頭のなかで再生されてしまうのだ。これは彼女がテレビで喋っている様子、ネタを披露している姿を見たことがある読者にしかわからないかもしれない。そして、それができるかできないかでこの本の面白さがかなり変わってきてしまう。

このリズムの重要性(つまり、文章にひっついてくる音声的な面白さ)は、お笑いにおけるそれと共通しているし、同じお笑い芸人である又吉直樹もその重要性に触れている。『火花』の主人公である徳永が相方とネタ合わせをするシーンだ。関係の悪化によって長年温めてきたネタを練習しているのに、ふたりのリズムがまったく合わない。だから、ネタが全然面白くならなくなってしまう。

作者の又吉は「笑わせるのにリズムが重要である」と示しているにも関わらず、小説のなかで読者を笑わせようとしている部分で、あまりリズムに気を配れていなかったように思われた。意味のおかしさによって笑いを起こそうとしているのはわかる。しかし、そこにリズムがないから(お笑い芸人が書いているのに)笑えずスベってしまう、という失敗をいくつも犯している。

これに対して、鳥居は本作のなかで自らの声を文章に引き込んで、リズムで笑わせるような試みを怠らない。その点が本作の「芸人が書いた小説」らしい部分だと言えるだろう。芸人の世界を書いた小説ではないのに、リズムの点から言うと『火花』以上に芸人らしい作品なのだ(もちろん独立した小説としては反則に近いことをやっているのだけれど)。思うに『余った傘はありません』が最も幸福に読まれる環境とは、作者自身が本作を朗読しているところに出くわすことなのではないだろうか。それぐらい鳥居みゆきの文章は、彼女の声を喚起する力が強い。忘れられるには惜しい傑作だ。

カエターノ・武野・コインブラ
80年代生まれ。福島県出身のライター。@CaetanoTCoimbra

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