「家族」が誕生した近代まで、子供は愛すべき対象ではなかった?「日本の伝統」「人間の本能」とは

 しばしば、人は「家族」という概念を崇高で尊い、大事なものと思い込み過ぎているのではないかと感じることがある。冷たく厳しい社会で戦い(=働き)、愛する家族が待つ温もりあふれる家庭で癒される。著名人の結婚報告で、「温かい家庭を築きたい」という句は定型文だし、著名人に限らずとも「家族=安らぎ、家庭=癒し」のイメージは一般に広く浸透しきっていると言えるだろう。だからこそ、家庭内での暴力沙汰や、親から児童への暴行や性虐待に「あり得ない!」と悲鳴を上げる。家族は慈しみあうもので、親は子供を愛するもので、子供は親を尊敬し敬うもの、それが唯一正しい家族のあり方だという“イメージ”だ。

 しかし、そうした「家族」の在り方は、どうも「伝統的な家族観」でも「人間として自然なこと」でもないらしい。簡単に言えば、「子供が可愛い」のも、「好きな人と結婚して家族になる」のも、「子供を教育する」のも、近代まで概念として存在しなかった。前回予告した通り、『日本型近代家族』(千田有紀/勁草書房・2011年)を紐解きながら「家族とは何か」を考えていきたい。

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◎「多くの人が結婚し幸せな家族を得る」時代は特殊

 「家族」という概念が日本にやって来たのは、明治時代のことだという。明治時代は西暦1868~1912年。100年ちょっと前、という感覚だ。familyの翻訳語として「家族」が誕生する以前の日本では、社会の最小単位は「家族」ではなかった……いま現在の私たちが経験している「家族」は、歴史的には特殊な(そして新種の)、存在の一形態に過ぎないことを同書は淡々と記していく。「自分の意志で自然に誰かと恋に落ち、結婚し、子どもを産み、家族をつくっていく」ことは、地球上のどこでもいつでも同じように起こり、「生物学的」な「自然」によって決定されているように見えるが、実はそうではないのだと。

 まず、明治以前の日本社会では、独身者も多く、恋愛という概念もなかったという。江戸時代までは独身のまま生涯を終える人間は多数存在し、身分や階層によって結婚しない男女が多くいた。

したがって「運命のひとと恋に落ちて、死ぬまで一緒」などと考えて結婚するひとなどおらず、末子が独立する前に親は死んでいた。子供が死んでも親は泣きもせず、子供が純真などとは思われてはおらず、そもそも家族にプライバシーはなかった(はじめに)

近代家族とは、性別役割分業に基づき、近代社会の最小単位とみなされ、親密さに彩られた家族(P76)

 近代に入ってから、男と女が愛情をもって結婚するようになり、母親が子供を愛するようになり、家族が他の領域から干渉を受けない私的領域(プライベート)になった。「誰にでも、生涯にひとりは運命の相手があらわれ、とにかく全員が結婚すべきである」というロマンティック・ラブ・イデオロギーが広まったのは、やはり明治以降の近代社会なのだという。

 現在のような家族形態のはじまりは、明治政府が「国民」を把握するときに、世帯を単位として行おうとしたためである。身分制度の士農工商を廃止し、武士階級の特権であった姓をすべての国民に持たせた。「家族」とは、さまざまな管理の単位とするためにつくられたもので、現在でも住民票の住民登録や国勢調査は「世帯単位」、納税も福祉も「世帯」すなわち「家族」が基準とされている。

 現在の民法では、結婚に際して、男女どちらかが必ず氏(姓)を改めなければならず、「選択的夫婦別氏(姓)制度」の議論も活発化しているが、夫婦同姓に関しても、1989年の明治民法までは明確な規定がなく、明治時代は一夫一婦制も常識として定着していなかった。妾が法的に認められていたし、結婚や離婚を役所へ届け出ることも徹底されていなかったという。

ひとびとは「家族」とは何かを、まだ学習していなかった。であるから、生まれたばかりの近代国民国家が、「国民」をつくりだし、「家族」とは何かを国民に教えなくてはならなかった(p9)

◎小さな大人だった子供たち

 同書でもっとも驚いたのは、様々な書物を引用しながら繰り返し語られる「かつて、子供は愛すべき存在などではなかった」という歴史だ。今、芸能人が子供を出産した後に仕事を継続すると、「育児に専念したら」「子供第一でお願いします」と匿名の意見がネット上に溢れる。子供は家庭で大切に育てられるべき存在だ、という教えが染み付いている。

 だがエリザベート・バダンテール『母性という神話』によれば、1780年のパリで生まれる2万1000人の子供のうち、母親に育てられるものは1000人、住み込みの乳母が育てるのは1000人、残りの1万9000人は里子に出されていた。

 里子に出すことは金持ちに限られた習慣ではなく一般的なもので、汗水たらして働かなければならない人々がいちばん多く子供を里子に出していたという。その時代のヨーロッパで、子供は「愛らしい存在、可愛がりの対象」であるとは考えられていなかった。生まれたばかりの子供に母親が愛情を注ぐことが“自然”だと考えられてはいなかったという。子供が小さな大人でしかなく未熟な労働者だった時代、女も男と同じように労働者であった。父親、母親という名称を持ったとしても、家庭内の教育者としての役割は担っていなかった。それはヨーロッパだけでなく日本も同様だった。

前近代社会では、「子ども」は、とるに足らない存在だと思われていた。労働力として役に立たない子どもは、何の価値もなかったのである。彼らは役にたたない「小さな大人」にすぎず、5~6歳のうちから働かされていた。(p40/『<子供>の誕生』フィリップ・アリエス)

江戸時代に女性に期待されていたのは、よい子どもを産むことだけであり、育てることは期待されていなかったという。(p28/『良妻賢母という規範』小山静子)

 さらにバダンテール『母性という神話』を読み込むと、第二章「1760年以前の子どもの地位」は、現在の規範に慣れたひとりの母親である私には衝撃的な内容であった。子供は厄介者で、「苦しみとして、すなわち災難として感じられていた」「とくに乳児は、子どもによって妻を取り上げられる父親にとって、さらに間接的に母親にとって、たえがたい重荷だったようである」。貧しい家庭にとっては、「子どもは、親たち自身の生存にとって、まさしく一つの脅威である。だから、厄介払いする以外に方法がない」のだが、これは現代でも同じことではないだろうか。貧しくとも節制してつましい暮らしを送り、貧しくとも豊かな心を育む温かい家庭を築けるはずだ――などというのは幻想でしかない。

 しかし乳幼児は将来の「大人」であり、やがて国家に富をもたらし軍事力を保証する存在である。乳母による育児が廃止され、母親が育児をすることが規範化する。やがて、子供は将来の労働力や跡取りとして大切にされるだけでなく、慈しみの対象に変化していった。

以前には子どもが亡くなっても、涙をこぼすことすら異常だと考えられていたのに対し、子どもが子どもであるだけで価値ある存在、かけがえのない天使であると考えられるようになる。(p29)

 特に「子供とは何か」を初めて定義し、世の中に新しい価値観を吹き込んだのが、ジャン=ジャック・ルソーによる教育の書『エミール』(1762年)だったという。それまで“子供”は“出来損ないの大人”でしかなく、いわば小さな大人だった。しかしルソーは、「子供には子供時代という固有の世界がある」と言い、【子供の発見】をした。そのうえで、子供が大人に成長していく過程で、手助けすることが教育であると説き、女たちに“新しい母親像”を示した。ルソーの教育論では「三歳までは感覚器官を鍛え、とくに身体を鍛えること」「十五歳頃になったら判断能力を訓練すること」も提示している。

 子供を親が無条件に愛し世話すること、子供が愛らしく・純粋で・健気な・庇護すべき存在であることなどは、いずれも「本能」ではなく「自然」ではなく「自明」でもない。原始から存在していた感覚ではなく、近代になって定義づけられた「子供/親の規範」だ。人間が自然に振舞うことで形成される集団ではなく、努力によって達成される(かもしれない)ものだということだ。普遍的なものではない。つまり、数十年後~数百年後の未来には、また、「家族」や「子供」「親」の理想的な在り方も変化しているかもしれない。

◎翻って2015年は

 しかし、今、私たちが生きているのは、過去でも未来でもなく現在であって、この現在に「家族は慈しみあうもので、親は子供を愛するもので、子供は親を尊敬し敬うもの、それが唯一正しい家族のあり方だという“イメージ”」がまかり通っていることは否定できない。

 そして日本において、「家族」制度は、ある特定の関係だけに特別の配慮を与える制度になっている。具体的に、税金や年金は特定のライフスタイルをとる者だけが優遇されるように設計されており、他の生き方の選択を阻害し、権利を剥奪している。

「結婚した男女が子どもをもち(ときに祖父母と同居し)、夫が賃労働をし、妻が家事労働をする家族」だけが「普通の家族」で、それ以外のライフスタイルを洗濯する人たちを抑圧する制度でもあるといえる。(p58)

 同書では「どのようなライフスタイルをとっても不利益にならない社会制度の構築が必要とされている」ともあるが、まさしくその通りだと首肯する。しかし、では具体的に何をどう変化させていったら良いのか、ToDoリストを作成せよとなったら、あれもこれもで混迷を極めるだろうことは間違いない。

 7月9日の日本経済新聞朝刊では、人口減少で働き手が不足している日本がとるべき対策として、「サラリーマンと専業主婦世帯の配偶者控除見直し」「「子育て世帯への税制面の配慮」「現役労働者世代と引退高齢者世代との世代間格差の是正」、そして社会保障と税の一体化改革を求めると提言している。

 また、ひとつの具体的施策を提案している若いオピニオンリーダーがいる。テレビや雑誌、ラジオなどへの登場機会も多く、1985年生まれの若手論客として注目を集める古市憲寿だ。次回は、7月上旬にリリースされたばかりの古市氏の書籍『保育園義務教育化』(小学館)を読みながら、少子化社会における児童福祉について考えてみたい。

【シリーズ 少子化と児童福祉/次回更新予定日は7月21日(火)です】

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