【messy】

「女性の割礼」1億2000万人が行っている現実

2015/06/29 20:00

 6月25日に放送された『クレイジージャーニー』(TBS系)の「マサイ族に嫁いだ女性の語るマサイの世界」の感想ツイートをまとめたtogetterが話題になっています。

マサイ族に嫁いだ日本人女性、赤裸々に語る夜の夫婦生活が驚きの連続!【クレイジージャーニー】

 松本人志、設楽統、小池栄子がMCを務めるこの番組は、独自の目線やこだわりを持って旅する人をゲストに招き、その体験談を語ってもらうというもの。25日は、マサイ族に嫁いだ日本人女性の永松真紀さんが赤裸々にマサイ族の文化を語る回でした。

「マサイ族の男は、年単位ではなく『少年』『戦士』『成人』『長老』と4つの時代で生きている(=自分の年齢がわからない)」
「マサイ族は、子供老人以外はだいたい携帯電話を所持している」

 など日本とは異なる文化や意外な近代化の様相がうかがい知れる、とても勉強になる回でした。その中で、非常に気になる話題がありました。男女への割礼儀式、特に女性に対する割礼です。

 永松さんによると、マサイ族の女性は、女性器の先を少しだけ切る文化が残っているそうです。この儀式によって、少女が大人になったと認められ、結婚することが可能になるとのことです。

 実はこの儀式、番組では紹介されていませんでしたが、人権侵害であり、身体的にも精神的にも傷を負わせるものとして国際社会で問題視されています(女性の割礼は「Female Circumcision」、女性器切除は「Female Genital Mutilation/cutteing(FGM/C)」と呼び、後者は否定的なニュアンスが強く含まれています)。

 FGM/Cを受けている女性は、アフリカと中東の29カ国で推定1億2000万人。おそらく15歳未満の女性の3000万人が未だにFGM/Cの危険にさられています。施術方法は、はさみやかみそりの刃、ガラスの破片などを使用し、麻酔を用いずに行われることが多く、決して衛生的とは言えません(ユニセフ調べ)。

 また内容は地域や民族に異なります。FGM廃絶を支援する女たちの会によれば、主に4つのタイプに分けられるそうです。

タイプ1:クリトリスの一部もしくは全部分の切除を伴う場合もあるクリトリス包皮の切り込み(クリトリデクトミーあるいはスンナ式とも呼ばれる)。
タイプ2:小陰唇の一部あるいは全部の切除。縫い合わせや、閉じる場合もある。
タイプ3:外性器の一部あるいは大部分を切除した後、大陰唇を縫い合わせたり、狭めたり閉じたりする(外性器縫合)。
タイプ4:上記3タイプに分類できないもの。クリトリスあるいは小陰唇を引き伸ばす、クリトリスとその周辺を焼く、処女膜の環を切り取る(アンギュリャ切除)、膣の切除(ギシリ切除)、膣から血を出すあるいは膣を狭める目的で膣に薬草などを入れる、など。
(http://www.jca.apc.org/~waaf/pages/FGM/FGM.html より)

 想像しただけで身の毛もよだちますが、このいずれかの施術を行われた女性が推定で1億2000万人もいるというのが現実です。

◎当事者ですら/だから根絶の声をあげにくい

 当然、FGM/Cにはリスクがあります。

 FGM/Cを受けた女性は、不妊症や膣嚢胞、再発膀胱、尿路感染に罹りやすくなります。また、尿道が閉じてしまったり、月経困難症、性交時の激痛などの症状もでます。さらに出産時の合併症や新生児死亡の危険性も高まります。また施術によって命を落とすこともある。その上問題なのが、多くの場合4~14歳の頃に行われるため、女性器を切除することの意味やリスクを十分に理解した上で行われているとは考えにくいという点です。

 こうしたリスクや問題を抱えるFGM/Cを、国際社会は人権侵害として捉えるようになり、根絶のための活動が行われるようになりました。その成果か、FGM/Cは全体としては減少傾向にあるようです(国によっては根強く残っている)。

 それは決して、FGM/Cが行われている地域の外にいる人間が、一方的に「FGM/Cをやめること」を押し付けたわけではありません。ユニセフにあるFGM/Cに関する記事を読む限り、FGM/Cが行われる地域に住む当事者も、その根絶に立ち上がっています。例えばセネガルにある108村のメンバーが、自ら「FGM/Cを辞めること」を宣言する記事が掲載されています(108の村が約束「女の子にとって害となる慣習は廃止します!」<セネガル>)。その一方で、FGM/Cを行っていない女性への差別もあり、なかなか当事者から声を上げるのが難しい現状もあります。

 異文化について考えるとき、「我々とは異なる文化の中で生きているのだから、口を出すべきではない」とも言われます。こうした問題の是非を考える際には、その文化が本当に望まれているものなのか、歴史的、社会的経緯はどのようなものなのかをきちんと踏まえた上で、当事者の声に耳を澄ませることが大事なのでしょう。
(門田ゲッツ)

最終更新:2015/06/29 20:00
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