「メンヘラ乙」と斬る前に 私の自傷十五年史

突然ですが、皆さんは「自傷行為」と聞いて何を思い浮かべますか?

「ビョーキの人」? 「構ってちゃん」? 「死にきれない奴」? あるいは自傷行為を扱う何かの作品?

私は、「自分のこと」、正確には「昔自分がしてたこと」として認識すると同時に、様々な出来事がぬるぬると頭をよぎります。

という訳ではじめまして、この度「自傷行為」について書かせていただくことになった戸村サキと申します。連載なんて初めてのことですし、ましてお題は自傷行為、心して書かねばなりません。オス。

さて、いきなりガチの自傷トークに入る前に、簡単に自己紹介をさせて下さい。

私は哀愁のチバラキ出身、昭和生まれの三十路で、高校一年の頃から心療内科・精神科のお世話になっており、これを書いている二時間後にも診察の予約が入っております。薬? 飲んでます。入院? 二回ほど経験があります。思えば人生の半分くらい、メンタルの問題とお付き合いをしている計算になります。あー、年取りたくねー。

ここまで読んで、「そんなガチメンヘラが何を」と思われた貴方、まあまあブラウザバックする前に、もう少しお付き合いいただけませんか。

この連載では私の経験談をメインとして自傷行為に関する私見を述べる予定です。

あくまで一人の人間の体験ですから、偏りはあるでしょう。しかし、おいおい詳しく書きますが、自傷行為は世間が思っている以上に多くの人間が、色々な形で行っていることで、その背景には様々な要因があります。

それを十把一絡げに「メンヘラ乙」などと切り捨てる前に、まあ一例だけでも見てみませんか。

今「様々な要因がある」と書きましたが、ここだけ読むと「じゃあ自傷って何なんだよ! どうしてあんなことするんだよ!」と疑問に思われる方もいらっしゃるかもしれませんね。それに対して私は、「傷の数だけ理由があるんだよ!」と逆ギレ気味に応えたい所存であります。

だって私自身、自傷の原因や理由はコロコロ変わりましたし、その度にいろんな誤解(「死にたいから切ってるんでしょ?」)や偏見(「構って欲しいだけだろ」)、心ない言葉(割愛)をぶん投げられてきました。

ですから私はこの場を借りて、微力ながら僭越ながら、自傷行為にまつわる世間一般の認識を、ほんの少しでもいいから変えてみたい、無理でもその試みくらいはしてみたい、そう思って書いている次第です。

もちろん、私が自傷していた頃と今とでは状況が違います。当初はネットも一般化していませんでしたし、スマホもありませんでした。また、自傷行為を扱う何らかの作品などもあまりなかったです。

しかし今は、テレビドラマの中にリストカットが登場したり、自傷する若者がメインの読み物などもあります。その分、「誤解や偏見」が大きくなっているような気がするんですよね。

例えばの話ですが、ある人物の「苦労」や「辛さ」を描写するためにリストカットのシーンを入れる、ですとか、ある種のツールとして自傷行為、みたいなものもあると思います。確かに有効なツールかもしれませんが、それってなんか自傷が「引き立て役」になってるんじゃないのー? と、語尾が伸びる感じでモヤモヤしてしまいます。

また、一部の精神疾患がある程度の知名度を得たことも、その病気や自傷行為が誤解される一因のような気も致します。追って詳しく書きますが、「自傷行為をしているということは“この病気”だ」といった認識ですとか、その逆のパターンですとか、まあまあ結構あるよなぁ、と考えます。

そして、冒頭の質問に対し、もし「今の私のことだ」と思われた方がいらしたら、この連載は「OBの体験談」的に、あくまでも「一例」として捉えていただけたらと存じます。

私は「傷の数だけ理由がある」と思っています。個々の理由も聞かずに「やめましょう!」なんて言えません。だからといって逆に「理由はそれぞれだから、周りの声なんて気にせずどんどんやれ」と言う気もありません。何故ならOBとして、自傷が過去のものになっても、未だに「色々めんどい」ことがあるからです。

私はOBではありますが精神医療の専門家ではなく、素人です。もっと言えば今も自分のメンタルの問題と戦っている身です。

偉そうなことを言うつもりはありません。言えないし。それでも、この一連の文章が、「私のことだ」と思われた方々にとって一つの参考例として読まれることを祈ります。

◎自傷行為の記録と記憶を辿る冒険

さて、枕は終わりました。本題に入りたいのですが、ここでカミングアウトしなければならぬことがございます。

私は精神的な持病のため、記憶があまりありません。幼少期の思い出も、学生時代の四方山話も、バイトの苦労話も、今朝食ったものとかそういう直近の記憶も、どういう訳か私は忘れてしまうんですね。

この症状が出始めたのは確か十七歳くらいの時だったと思います。そんな不便な記憶力の私がこれにどう対処しているかというと、全部書いて記録しているんです。

元々文章を書くのは大好きでしたし、「保存癖」としか言いようのない謎の体質もあいまって、三十路の現在、小学校六年くらいから現在に至るまでの記録がほぼ全て残っています。それは日記であったり備忘録であったりメールやチャットのログであったりブログであったり様々ですが、結構良い情報源です。

先ほど「経験談をメインとして」と言いましたが、全部覚えてる訳ではないので、というか結構忘れているので、記録をもとに書いていきます。

最大の謎は「何故私は十五年近く続いた自傷行為から卒業したのか?」です。

いや、よく覚えてないんです、やめた理由、やめられた理由。もしかすると、この連載を書かせていただく過程で浮き彫りになるかもしれません。その意味で、自傷行為について書くことは、私にとってもアドベンチャーです。

おっと、そういえば自己紹介が微妙に途中でしたね。

高校一年でメンタル系の病院にお世話になるようになり、高校二年で全日制をドロップアウト、通信制高校を卒業後、単身NYに乗り込みました。某大学に入ったのですが、初めての一人暮らしと過酷なスクールライフで病状が悪化、なんやかんやあった後、強制帰国の憂き目に遭い、それから入院しました。退院後はアルバイトをしたりしなかったり、家庭の事情で一人暮らしをしたり、バイトのストレスでまた入院したり、実家に出戻ったり、就労支援機関に通ったりして、現在は東京に住んでおります。

……という話を、自傷行為に焦点を当て、これから連載の中でお話ししていきたいと思います。上の自己紹介はいわば本題抜きのダイジェスト、最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

◎自傷行為という「術」

最後に、私が初めて自傷行為に及んだ時のことだけお話ししたいと思います。

それは小学五年生の時でした。

当時、私は中学受験を控え、ほとんど毎日塾に通い、休みの日は模試を受けると、かなりの優等生、加えてピアノもたしなんでいる、結構良い子でした。

しかし学校では、自業自得なんですけど、いじめ未満の嫌がらせ行為を受けていました。何故自業自得かというと、成績の良さを鼻にかける、ピアノを自慢げに弾く(小学校の女子ってピアノが弾けるとステイタスが上がる、あの現象は何なんでしょうね)、等々、「そりゃ周りも反感持つわ」と今にして思えば納得の態度を取っていたからです。

嫌がらせ行為は、具体的にはよくある感じで、私物を隠されたり捨てられたり、どこかに閉じ込められたり、シカトされたり、まあそんな具合でした。

覚えてないんですけど、やはり辛かったんでしょうね、自傷に及んだのは塾のない日の放課後だったイメージだけ頭に残っています。刃物で膝を軽く。しかし具体的に何か「トリガー(きっかけ)」があったかというと、これが不明なのです。流石に大昔のことなので、どう思ったか・どう感じたかまでは記憶にないし記録もないのですが、「痛みをあまり感じなかった」ような気が致します。

今にして思えば、もしかすると中学受験のストレスもあったのかもしれません。学校では一番でも、塾に行けば当然上が居ます。全国模試なんかやったら上だらけです。でも、成績が良ければ親や教師が褒めてくれます。私は長女だったので、「誰かの期待には絶対応えなければならない」的な強迫観念みたいなものが、子供ながらにあった可能性もあるかなぁ、と今ぼんやり思いました。

ともあれ、私の最初の自傷はこんな感じでした。ほとんど覚えていないけれども、自傷行為という「術」を知ってしまった、という意味では、忘れられないことです。

次回は、中学受験に何とか成功した私が、その学校で何をしていたか、自傷行為の変化と共に、お話しさせて頂きます。思春期に突入し、一般的に自傷行為の開始時期と言われる年齢に達した戸村の運命や如何に。

戸村サキ(とむら・さき)
昭和生まれ、哀愁のチバラキ出身。十五歳で精神疾患を発症、それでもNYの大学に進学、帰国後入院。その後はアルバイトをしたりしなかったり、再び入院したりしつつ、現在は東京在住。最近残念なのは、精神疾患や薬剤についてやたら勉強したのにそれら知識が時代遅れになりつつあること。

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