介護をめぐる家族・人間模様【第53話】

母の認知症疑惑……離婚して地元に戻った一人娘が、「間に合った」と思った理由とは

2015/05/30 16:00

■離婚して20年ぶりに両親との平穏な暮らしが戻った

 そんな一ノ瀬さんに、離婚という大きな変化が訪れた。

「実はもう何年も前から、主人とはうまくいっていませんでした。主人は一言でいえば子ども。息子の障がいを受け入れることができず、現実から目をそらしたまま仕事に逃げていたんでしょう。息子のことで私が手いっぱいでも、主人は自分のことしか考えていませんでした。あるとき親戚に不幸があって、急に実家に戻らないといけなくなり、ほかに方法がなくて主人に1日だけ息子を見てほしいと頼んだんです。ところがその日、大事な仕事があったらしく、キレられました。『俺の仕事と息子と、どっちが大事なんだ。俺の仕事の足手まといになるのなら、早く施設にでも入れてしまえ!』って。仕事と息子、どっちが大事かなんてセリフ、今も言う人がいたんだって、逆に冷静になりました。息子の身の振り方が決まったら、主人と別れたいとは考えていましたが、もうこれ以上一緒にいるのは無理。息子と実家に戻ろうと決心しました」

 決心すると、一ノ瀬さんの行動は早かった。夫が出張に行っている間に荷物をまとめ、息子と実家に帰った。離婚届を送り、あとは弁護士を通してもらうように通告した。夫は離婚したくないと言い張っていたが、最終的には調停に応じたという。

「物事にはタイミングがあるんですね。離婚する時期だったんだと思います。主人が施設に入れろと言った息子ですが、ちょうど養護学校の高等部の卒業で、これからどうするかを考えないといけないときでもありました。調べると、たまたま実家の近くのグループホームに空きが出たんです。それで思い切って、そこにお願いすることにしました。これで私に何があっても、息子は一生安心して暮らすことができる。それが私にとっても一番の安心でした」

 一ノ瀬さんが結婚で実家を離れて20年。再び、両親との3人暮らしに戻った。

「長かったですね。でも実家に落ち着いて『ああ、間に合った』と、しみじみ思いました。離婚するのがこれ以上遅れていたら、両親はもっと老いて、3人で普通にごはんを食べることもできなかったでしょう。私もパートですが、仕事も見つかりました。仕事から帰って、1日のことを話しながら食事をする、そんな平穏な時間が本当にありがたいです。あと何年続くかわかりませんが」

 一ノ瀬さんが心配していた母親の認知症疑惑だが、一ノ瀬さんが実家に戻ると同時に、母親は「浮気」の「う」の字も言わなくなったと苦笑する。

「私が落ち着くと同時に、母も落ち着いたんでしょうね。父とは仲良くやっています。不思議ですね。母も自分たちのこれからが不安で、被害妄想が膨らんだのかもしれません」

 現在、一ノ瀬さんは週末に息子の施設を訪れ、一緒に過ごすことが多い。息子も施設に随分馴染んだようで、こちらも落ち着いている状態だ。

「息子は今でも父親を思い出しては、『お父さん、バカ』と言っています。息子のためにも、もっと早く離婚を決断すればよかったと思っています。ただ、東京にいる主人の両親のことを思うと、ちょっと胸が痛みます。私と息子がいなくなって、寂しい思いをしているんじゃないかと。主人が何もしない人だっただけに、老後は嫁に介護してもらおうと当てにしていたでしょうから。まあ、私が心配しても仕方ないですけどね」

 母として、娘として、妻としてがんばってきたのだから、もう嫁は捨ててもいい。娘でいられる時間も、そう長くは残されていないのだから。

最終更新:2019/05/21 16:01
『家族関係を考える (講談社現代新書)』
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