[連載]ギャングスタのスターたち

男社会のヒップホップ界で、性を前面に出す“小悪魔ビッチ”を確立させたリル・キム

2015/04/07 19:00
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「整形前のほうがよかった」の典型となったリル・キム

――アメリカにおけるHIPHOP、特にギャングスタ・ラップは音楽という表現行為だけではなく、出自や格差を乗り越え成功を手に入れるための“ツール”という側面もある。彼らは何と闘い、何を手に入れたのか。闘いの歴史を振り返る!

【今回のレジェンド】
リル・キム

[生い立ち]
 リル・キムは1975年7月11日、本名キンバリー・デニス・ジョーンズとして、ニューヨーク州ブルックリンに生まれた。専業主婦だった母はおっとりしていたが、元海軍兵士で市営バス運転手の父は厳格で、キムは軍隊のような家庭に育った。一家は治安が最悪といわれる、フルトン通りに近い低所得者向けの公共住宅アパートに住み、キムは兄と一緒に同じアパートに住む従兄弟たちと遊び回りながら育った。
 
 幼少期はオテンバ娘だったが、オシャレ好きな母の影響を受け、ファッショナブルな女子へと成長。化粧を始めたのも早く、家の大きな鏡の前でポーズを取り、人気歌手ダイアナ・ロスのマネをしながら「将来はディーヴァになる」と夢を語っていたという。アパートの別の号に住む従兄がミュージシャンで、家には音楽仲間が入り浸っていたために、キムは自然と音楽に興味を持つようになった。

 しかし両親が離婚することになり、9歳のキムは大好きな母親について家を出たが、生活力のない母は定職に就けず2人は車に寝泊まりする生活を強いられる。数カ月後、家庭裁判所はキムは兄と共に父のもとで安定した生活を送るべきだという判決を下し、母と離ればなれになってしまった。父はそんな娘をかわいそうに思い、毎週新しい服や靴を買い与えるように。キムは派手な服や靴を買いまくり、目立つファッションで学校に行き、中学になる頃には「学校一のディーヴァ」と呼ばれるまでになった。

[キャリア初期]

 女子グループとタイマンを張って見事天下を取るなど青春を謳歌していたキムは、この頃からラップのリリックをノートに書き出すようになる。従兄がDJするパーティーでラップを披露し、ブルックリンやクイーンズの男たちに一目置かれるようになったのもこの頃からだ。高校になると恋人ができるが、彼はまもなく逮捕され禁錮8年の刑に処され、キムは刑務所に通い始める。彼とは婚約もしたが、それを知ったキムの父は大反対。口論や折かんが絶えなくなり、ある晩、キムは殴る父にナイフを向けた。兄が必死に阻止したため刺しはしなかったが、これをきっかけに家出。友人の家を渡り歩くようになり、高校も中退した。小金を稼ぐため、麻薬の渡し役などをして金を稼ぐようになったため、婚約者に面会する回数は減り、破局に。恋に破れ、ストリートライフにも疲れ果てたキムは母親と一緒に暮らすようになった。

 そんな時期に、運命の出会いをする。自分でプロデュースできるラップグループ“ジュニア・マフィア”を結成しようと、地元の若者たちにストリートでラップ・バトルさせ、スカウトしていた新鋭ラッパー、ノトーリアスB.I.G.(ビギー)にキムは自分を売り込んだ。キムのラップは志願者の中でもピカ一で、チャーミングでスタイリッシュ、ストリートの裏表を知り尽くした彼女にビギーは惚れ込み、彼女を実家に連れ込むように。2人はすぐに体の関係を結んだが、ビギーは師弟関係を崩さなかった。キムも彼のことをメンターとして崇めていたが、ビギーが歌手のフェイス・エヴァンスと出会ってすぐに結婚をしたため大激怒。しかし、ビギーは既婚者になっても、キムに対して今まで通り「2人きりのときは恋人、外ではビジネスパートナー」という関係を求め続けた。

ハード・コア
「男運はイマイチ」なんてもんじゃないだろっ!
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