ユーロライブ総合プロデューサー・堀越謙三氏インタビュー

「渋谷を再びカルチャーの中心に」1980年代から現在へ、“渋谷文化”はもう生まれない?

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Photo by Yoshikazu TAKADA from Flickr

 80~90年代、数々のカルチャーを生んできた「渋谷」。この街から誕生した文化は東京から地方にまで影響を及ぼし、セゾン文化、渋谷系といったスタイルを生み出しました。しかし、再開発が進む現在の渋谷からは、若者文化の発祥地だった強烈な個性は消えつつあります。そんな中、トークライブ、寄席、コント、映画、音楽などさまざまなプログラムで、渋谷区円山町からカルチャーを発信しようとオープンした「ユーロライブ」。80年代にミニシアター「ユーロスペース」を渋谷にオープンし、今回同じく渋谷にユーロライブを立ち上げた総合プロデューサーの堀越謙三氏に、渋谷カルチャーの変遷と新しい文化の「場」について聞いてきました。

――ユーロスペースに続き、ユーロライブのオープンを渋谷区円山町に決めたのは、思いがあってのことでしょうか?

堀越謙三氏(以下、堀越) ユーロスペースが渋谷にあるから、ユーロライブも渋谷になったんですよ(笑)。でも、もともと渋谷にユーロスペースを作ったのには理由があって、渋谷ジァン・ジァンという小劇場があったからです。そこでは美輪明宏、竹中直人、清水ミチコ、イッセー尾形、シティボーイズなどがメジャーになる前に出演していました。ジァン・ジァンをきっかけに世に出て行った人も多い。まさに、渋谷のカウンターカルチャーの震源地であり、渋谷文化の1つの象徴だったのです。

――その当時の80年代は、ファッションや映画の流行も渋谷から生まれていたんですよね。

堀越 ジァン・ジァンもそうですが、公園通りはセゾングループが文化を広げていきました。西武百貨店渋谷シード館にはシードホールがあり、パルコにはパルコ劇場があり、ファッション、音楽、映画、アートなどの流行を次々に発信していましたよ。僕はセゾンカルチャーの影響を強く受けた世代です。セゾンは、シブヤ西武やパルコのCMをはじめ、ADにこだわりをもっていましたね。

 1989年にウディ・アレンをCMに起用して、糸井重里さんが「おいしい生活」というコピーをつけた西武百貨店の広告は一世を風靡しました。そんな勢いに乗って、当時はメディアも渋谷を盛り上げていました。音楽誌「ロッキング・オン」(ロッキング・オン)の渋谷陽一さんなど、すごく影響力を持っていて、「ロッキング・オン」で褒めた映画はお客さんが入る……とか。そういうふうに街やメディアが人を引っ張っていく流れが、今の渋谷には感じられなくなってしまいました。

――そんな80年代の話を聞くと、うらやましい気持ちもありますね。どこから渋谷は変わったと感じますか?

堀越 90年代に流行の中心が公園通りから渋谷センター街に移り、渋谷にガングロギャルが登場してからですね。現在の渋谷は、ファッションはまだ残っていますが、若者文化をけん引する力はなくなっているような気がします。今はワールドカップやハロウィンで騒ぐ場所になってしまったでしょう。

 でも若い人たちも、渋谷がこのままでいいとは思っていない。その証拠に、僕のところに70年代、80年代の渋谷を教えてほしいという人たちが結構来るんですよ。やっぱり自分たちの文化があるっていうことが、うらやましいのではないかと。もう何でもかんでもランキングで決めるのではなく、自分たちの文化がリスペクトされることを求めている。

渋谷に魅せられた人たちはいずこ?

しぃちゃん

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