[連載]悪女の履歴書

ママ友の子どもを殺めた“ママ”の実像――「音羽幼児殺害事件」から現代へ

2014/11/08 19:00
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Photo by alberth2 from Flickr

世間を戦慄させた殺人事件の犯人は女だった――。日々を平凡に暮らす姿からは想像できない、ひとりの女による犯行。彼女たちを人を殺めるに駆り立てたものは何か。自己愛、嫉妬、劣等感――女の心を呪縛する闇をあぶり出す。

[第24回]
音羽幼児殺害事件

 今から15年前に起こった「音羽幼児殺人事件」は、今なお激化が続く“ママ友問題”の原点ともいうべき事件だった。

 1999年11月22日、東京都文京区にある音羽幼稚園で、2歳だった宮川遥ちゃん(仮名)が行方不明になった。遥ちゃんは母親と共に同幼稚園に通う兄を迎えにきたが、母親がほんの一瞬目を離した隙に姿が見えなくなってしまったのだ。

 2歳児の行方不明という事態に警察や関係者が捜索を続けたが遥ちゃんは見つからない。それから3日後の11月25日、1人の女性が「遥ちゃんを殺害して遺棄した」と警察に出頭してきた。驚くべきことに、その女性は遥ちゃんの兄が通う音羽幼稚園に長男を通わせていた主婦・山田みつ子(当時35歳)だった。当然、遥ちゃんや母親とも面識がある。いやそれどころか、当時母親同士は子どもを通じて親しい関係にあったと報じられたのだ。

 ママ友の、子ども殺し――。 

 このセンセーショナルな事態に、マスコミ報道も加熱した。当時、遥ちゃんは有名国立大付属幼稚園に合格していたが、同じく受験したみつ子の長女(2歳)は失敗、そのことを嫉妬し逆恨みした“お受験殺人”だと盛んに報じられていく。この頃、父兄の間では公立学校への不信感などから東京を中心に“お受験”熱が高まっていた。“お受験”をテーマにしたドラマ『スウィート・ホーム』(TBS系)が放映されたのは94年だったが、小学校受験よりさらに低年齢化した幼稚園受験も多くの母親たちの関心事となっていく。同時に“お受験ママ”同士の葛藤、嫉妬なども社会問題化していたため、多くの母親世代もこの事件に大きな関心を寄せたのだ。

 しかし後に、遥ちゃん殺害動機は別のものだったことが判明していく。みつ子は遥ちゃん合格を犯行時点では知らなかった。そして真の動機は “ママ友”へのあまりに理不尽な歪んだ心理だったのだ。

■融通の利かない“良い子”だった10代

 みつ子が音羽の地に移り住んだのは事件の6年前の93年4月だ。静岡県の実家で暮らしていたみつ子だが、文京区にある寺院の副住職だった夫との結婚を機に、この地に移転してきた。その後長男を授かったみつ子は、公園で宮川と知り合った。お互いの長男の誕生月が同じだったことで、2人はすぐに打ち解け連絡先を交換している。

 みつ子は宮川に対し、「柔軟で優しい感じの穏やかな人。友達になれるかな」と感じたと言う。その後も公園やスーパーなどに誘い合わせて行く関係となっていった。宮川はみつ子が東京で初めてできた友人と感じていた。宮川は美人で目立つタイプだった。人柄も性格もいい。一方、みつ子は宮川とは正反対なタイプだった。みつ子にとって宮川はこれまで親しくなりたくてもなれなかった存在であり、もし子どもがいなかったら接点さえもなかったはずだ。みつ子にとっては舞い上がるような素敵な友達と思えたのだろう。あこがれる部分もあったかもしれない。

 しかし、次第にその感情は歪んだものにすり替わっていく。それはみつ子の幼少期からの環境に大きく起因する。

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