ギャル文化以降の女子カルチャーとは【前編】

「反オヤジマインドの敗北」――ギャル雑誌の衰退が女子カルチャーに残す課題

2014/09/03 19:00

――ギャル誌も方向性が変わっていきました。「egg」が2013年12月号で「オトナカワイイがモテるッ」という特集を組み、萌え袖や困り顔について紹介していて「あ、これやっちゃうんだ」と悲しくなりました。

米原 ギャル雑誌は2006年頃から迷走が目立ってきた。「egg」だけじゃなく、ほかのギャル雑誌も、韓流が流行れば、自分たちのモデルに韓流っぽい格好をさせ、青文字がはやれば、青文字っぽい格好をさせ……。そんなの、いきなりギャル系モデルが青文字っぽい格好をしても、青文字本家の雑誌がすでにイメージを確立しているんだからもう遅いじゃんって話しだよね。

 本来なら、なぜ自分たちの雑誌が多くの女の子に支持されてきたのか、編集部員が頭を付き合わせてその意味を考え、もう一度今に合わせた企画を出すことでギャルマインドやカルチャーを守らなければならなかったのに。日本は往々にして、「こういう格好しなきゃ男にモテない」とか、外見、ファッションのみで語りたがるけど、いやいやそうじゃなくて、マインドの持ち方で決まるんだってことを言うオトナたちがもっといないとダメなんじゃいかな。

――大人がギャル文化を育てることができなかったんですね。

米原 そう。「いまNYLONに広告が沢山入っているらしいから、じゃあ、自分たちの雑誌にNYLONっぽいブランドの広告アプローチできるようNYLONっぽくなろう」って、誰が、そんな雑誌に広告なんて入れるんですかってことだよ。いまや、デキる編集者=NYLONと同じスタイリストを捕まえられる人、みたいになってしまった感があるよね……。要は編集部よりも、営業部や広告代理店の発言力が強くなりすぎた結果、雑誌本来のアイデンティティを見失ってしまった。

――ギャル誌以外にも当てはまりそうな流れですね。広告サイドの発言力の巨大化は、ほかにどんな弊害をもたらしましたか?

米原 本来、ギャル雑誌は、街にいるカワイイ子たちを発掘して、やがてスターにしていく要素が強かったはずなのに、いつからか、一切若い子たちが出られなくなったよね。いまだに初期のギャル系モデルたちが、現役モデルだったりする新陳代謝の悪さ。09年に、モデルの吉田夏海ちゃんが、突然「BLENDA」(角川春樹事務所、14年9月号で休刊)から「PINKY」(集英社)に移動するんだけど、「それって、卒業じゃなくて『BLENDA』が捨てられたんじゃないの?」という状態だったのよ。「ギャル文化は終わっている」という皮膚感覚があったからこそ、彼女は移ったんだと思うんだけど、「PINKY」が廃刊すると、再び彼女は「BLENDA」に戻ってこられた。これは、“自分たちが知っているモデルが出ているから良い”という読者や読者モデルに対してしか、雑誌を作れていなかったからだと思う。そして営業サイドが、新しい子ではなく、クライアントにとってわかりやすい、無難な人気モデルしか提案しないというのも大きな要因。ブランドも、売れる服しか作らないから、どのシーズンも同じような服とモデルが誌面に並ぶ負のスパイラル。誰が面白いと思うんだろうね?

――顔ぶれと服が画一化されていく背景にはそういった構図があるんですね。

米原 「小悪魔ageha」も一緒。もともと水商売やAVに出てる子たちを出すエッジが読者にウケてたのに、だんだん広告が入りだすと、既に人気があって安パイのモデルばかりクライアントに提案するように……。僕はすごく不思議なのよ、なぜみんな同じ失敗を繰り返すんだ。目先の小銭を稼ぐために、将来実るかもしれない大きな文化を捨てる。カルチャーを育てるということをしないんだよね。クライアントサイドとしても同じイメージを全部ばらまくってことだから、それがズレたときに、一瞬にして終わるってことじゃん? 受けてる時はいいよ、でもある日ズレたのよ、それがギャル雑誌。

(後編へ続く)

最終更新:2014/09/10 18:43
『Vivace(ヴィヴァーチェ)』
もう女子はオヤジと闘うのもバカにするのも疲れちゃったかも
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