[連載]悪女の履歴書

20歳シングルマザーの貧困と孤立、“虐待の連鎖”が浮かび上がる「大阪2児放置・餓死事件」

2014/08/11 16:45

事件概要等の前編はこちら

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hoto by nSeika from Flickr

■20歳シングルマザーの貧困と孤立

 この頃の早枝はさまざまな問題を抱えていた。実父とは折り合いが悪く、実母は別の家庭で子どももいる。しかも実母は精神的に不安定な状況で、早枝は実母に子どもを預けることなど考えもしなかった。誰にも頼ることができない、学歴もキャリアもない無職の若い女性が、幼い子どもを連れて働くには夜の世界しか選択肢がなかった。早枝は子どもを連れて名古屋に向かい、そこでキャバ嬢として暮らし始めた。

 ここから転落は早かった。

 この時期、前夫や父親に連絡は入れていたが、早枝自身が病気になっても、2人は早枝を拒否する態度を取った。下の男児の1歳の誕生日には、誰からもお祝いのメールや電話はなかった。もう頼る人は誰もいない。泣きながら、市役所に助けを求めたこともある。児童相談所の電話を教えられたが、「今度一度来てください」と言われた早枝は、そのやり取りから「やっぱり誰も助けてくれない」という思いを強くし、その後は行政機関に連絡することはなかった。

 そして10年1月、マンショントラブルにより名古屋を逃げるように去り、大阪へ向かう。早枝は当初、風俗店近くの託児所に子どもを預けようとしたが、スタッフの子どもに対する態度に不信感を抱いた。

「こんなところに預けるくらいなら、子どもを夜寝かせてマンションに置いておいた方がマシ」

 こんな環境のもと、早枝の風俗店勤務の日々が始まった。だが、この風俗店で働き始めてから早枝はホストクラブなどで遊び歩くようになる。両親も、そして元夫も、行政の支援も託児所もあてにはならない。それに加え、前述したように早枝には逃避癖もあったと思われる。

■不安も恐怖も考えるのが怖かった

 2カ月ほどたった3月になると、ホストの恋人の家に入り浸り、マンションには子どもの食事(コンビニで買ったおにぎりやパン)を置いて再び家を出る生活となっていく。その後次第にお風呂に入れることも、おむつを替えることもなくなった。早枝は、現実から逃避したかったのだろう。何も考えたくなかった。そして子どものことも“考えないよう”逃げた。幼い頃から困難なことがあると家出を繰り返したのと同じ様に――。そしてネグレクトされた母親とまるで同じ行動を取っていることも注目に値する。

 さらに恋人のホストとの間に金銭問題が起こると、子どもを置いて再び逃げるように単身でマンションを出てしまう。この時、少ない食料を置いて外出しようとする早枝に子どもたちは「バイバイ」と手を振って見送っていたという。

 その後早枝は地元に帰り、友人たちと遊び、妹と会い、新恋人と一緒に過ごす。SNSで楽しそうな自分を報告し、知人へは誕生日祝いのメールを送ってもいる。残された子どもたちは、母親が置いていったわずかな食べ物しかない。ドアは外に出ないよう粘着テープで止められ、南京錠もかけられた。早枝はこのマンションに引っ越して以降、半年もの間、ゴミを捨てていなかった。早枝と、そして子どもにとっても想像を絶する環境だっただろう。そんな現実から早枝は逃避した。しかし幼い子どもたちはその術を持たない。そして放置され、餓死した――。
 
 早枝はレスキュー隊が2児を発見する前日に、一度マンションに戻ったことがあった。そこで遺体を発見したが、警察に通報することなく、再び男友達とドライブしセックスしたという。相談を受けた友人が警察に通報したことで、2人の子どもは“発見”された。

 あまりに悲惨な事件――。早枝はこれまでも現実に困難が立ちはだかるたびに逃避してきた。いや、困難だけでなく幸せからも逃避してきた。それが当然の生き方だった。早枝は後の法廷で、「遊び回っていても子どものことが頭にあった。でも考えるのが怖くて嫌だった」という趣旨の証言をしている。

 2児が放置され餓死するという重大な結果となったこの事件。しかし、問われるのは早枝だけの問題なのだろうか。繰り返すが早枝の生育過程は決して恵まれたものではなかった。6歳の時、愛人に走った実母にネグレクトを受けた。父親は仕事に熱心なばかりに、早枝の孤独を理解しなかった。保護者からの愛情を知らずに育った子どもは、大人になっても自分の子どもの愛し方がわからない。

『ルポ 虐待: 大阪二児置き去り死事件 (ちくま新書)』
連鎖を止められるのは誰?
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