[連載]ディーヴァになりたい!

自分とイケメン以外は興味ないお気楽者!? 超高飛車オンナJ. Loが愛される理由

――自虐、不幸自慢、他人との比較……自分に自信を持てないと落ちてしまうダークサイド。SNSで“あのオンナ”の不幸をチェックして悦に入るだけの日々に、グッバイ・イエスタデイよ! この世を闊歩するためには、自分のことを1ミリも疑わないディーヴァの強さを見習いたい。ディーヴァの爪の垢を煎じて、青汁のごとくにガブ飲みよ~~!

【今回のディーヴァ】
ジェニファー・ロペス

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「オラオラオラ~ 私はパンピーとは違うのよ!」

■Road to ディーヴァ!

 多くのプエルトリコ系移民が住むニューヨーク・サウスブロンクスに生まれたジェニファーは、母親の勧めで5歳の頃からダンスと歌のレッスンを受けるようになり、アートに触れながら育ちました。カトリック系女子校卒業後には演劇に打ち込み、誰よりも輝いていたため「スーパーノバ(超新星)」というあだ名で呼ばれるほど、当初から華のある存在だったようです。

 高校卒業後、母親が勧めるビジネス専門校に入学する予定だった彼女は、ある晩、「ショービジネスで生きる」という夢を見て、進学はしないと決意。母親と大ゲンカをし、17歳で家を出てダンススタジオに寝泊まりするようになりました。表現力豊かなダンスが認められ、ジャネット・ジャクソン、M.C.ハマーのバックダンサーを務めました。その後、オーディションを受け、人気コメディ番組『In Living Color』の専属ダンサー「Fly Girls」に選出されます。

 女優業にも興味を持っていた彼女は、オーディションを受けまくり、数年間でテレビの脇役から映画の脇役、大作映画の準主役へとランクアップ。1997年、主役に大抜てきされた伝記映画『セレナ』でゴールデングローブ賞にノミネートされ、翌年ジョージ・クルーニーと共演した『アウト・オブ・サイト』(98)でセレブスターの仲間入りを果たします。

 女優として将来を期待される中、『セレナ』の撮影で大観衆の前でパフォーマンスをする快感を知ってしまった彼女は、歌手になると決心。「女優が歌手を目指すと大失敗する」と猛反対するマネジャーと決別し、デモテープを制作。するとソニー・ミュージックの幹部がこれを気に入り、とんとん拍子にエピック・レコードと契約。99年6月にリリースしたデビューアルバム『On The 6』に収められたシングル「If You Had My Love」は爆発的なヒットとなり、Billboard Hot 100で5週連続1位を獲得。アルバムは世界中で700万枚以上を売り上げ、プラチナムレコードとして認定されました。

 その後、ジェニファーは次々とヒット曲を制作。ラティーノ色やヒップホップ色が濃い彼女の曲は大衆受けがよく、ミュージックビデオ(以下、MV)もカッコイイと大絶賛。セクシーなダンスやラティーノっぽい舌っ足らずな話し方は男性の心をつかみ、丸みを帯びた体つきが共感を得たのか、女性からも好かれるようになりました。歌手としての成功を手に入れた彼女は再び女優業にも力を入れるようになり、『ザ・セル』(00)、『ウェディング・プランナー』(01)、『メイド・イン・マンハッタン』(02)、『Shall We Dance?』(04)など話題作に出演。歌手としても女優としてもトップに君臨する、非常にレアなエンターテイナーとなったのです。

 歌手・女優業のほかにも国民的オーディション番組『アメリカン・アイドル』の審査員を12億円を超える報酬で務めたり、番組や香水のプロデュースなどを手がけるなど、ワーカホリックなジェニファー。双子を出産しても、40歳を越えても外見が衰えることなく、第一線で活躍しています。

■恋愛

 初恋の相手と15歳から25歳まで交際していた純愛主義者のジェニファーは、『セレナ』撮影中にマイアミのレストランでウエイターのオジャニ・ノアに一目惚れ。すぐに交際を開始し、映画の打ち上げでオジャニにプロポーズされ、婚約。母親の反対を押しのけ97年2月に結婚したものの、直後からスターダムを駆け上がった彼女はオジャニとの格差に悩まされ、11カ月でスピード離婚。その後、暴露本出版やその映画化などをめぐり裁判にまで発展し、彼はジェニファーにとって頭の痛い存在となってしまいました。

今回のMVでもご自慢のケツがスパークしてまっせ!

しぃちゃん

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