[連載]ディーヴァになりたい!

リスクとタブーを恐れず、批判に「はぁ? ねたみ?」と返せるマドンナになりたい!

――自虐、不幸自慢、他人との比較……自分に自信を持てないと落ちてしまうダークサイド。SNSで“あのオンナ”の不幸をチェックして悦に入るだけの日々に、グッバイ・イエスタデイよ! この世を闊歩するためには、自分のことを1ミリも疑わないディーヴァの強さを見習いたい。ディーヴァの爪の垢を煎じて、青汁のごとくにガブ飲みよ~~!

【今回のディーヴァ】
マドンナ

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エルトン・ジョンと長年敵対関係という、人類最大のリスクを冒すマドンナ

■Road to ディーヴァ!

 アメリカ・ミシガン州の敬虔なカトリック教徒の家に生まれたマドンナは、目立ちたがり屋の思春期を経て優秀な成績で大学進学。ダンスの恩師に「アナタならプロダンサーになれる!」とその気にさせられ、わずか35ドル(約3,500円)を手にニューヨークへ渡り、ドーナツ屋店員やヌードモデル、ソフトポルノ女優のバイトをしながら、コネを広げてチャンスを手に入れました。

 1982年にシングル「エヴリバディ」でデビュー。「ライク・ア・ヴァージン」「マテリアル・ガール」で“現代版マリリン・モンロー”と注目を浴び、個性的なファッションやビッチな態度をまねる“マドンナ・ワナビー”が世界中に増殖しました。しかし、「セックスシンボル」など型にハマることを嫌がったマドンナは、チープなイメージを捨て、スタイリッシュで神秘的なアーティストへと転換。『ブロンド・アンビション・ツアー』(90)では宗教やエロティックなタブーにも果敢に挑戦。時代を先読みし、失敗を恐れず思うがままに行動することで、唯一無二の地位を築き上げました。

 結婚、出産などライフステージが変わるにつれ、より芸術性の高いアーティストへ変化し、アルバム『レイ・オブ・ライト』(98)は数多くの賞を獲得。主演した『エビータ』(96)で女優としても評価され、03年には母親として作った絵本『イングリッシュ・ローズィズ』が、ニューヨーク・タイムズ紙ベストセラーにランクイン。ジムをオープンさせたり、娘とファッションブランドを立ち上げたりとマルチな才能を開花させます。家庭を持っても、カバラ教の熱心な信者になっても決して守りに入ることはなく、ここ数年は若きダンサーたちとの恋愛やシワ伸ばしの美容整形、若作りファッションなどに全力投球。35ドルを、純資産額10億ドル(約1,000億円)にまで増やした、正真正銘のスーパー・ディーヴァとなったのです。

■ファッション

 マドンナのファッションは、目指す女性像・肉体の変化とリンクしています。

 80年代半ば過ぎまで、ミニスカートやレースタイツ、へそ出しミニトップを愛用。アクセサリーをじゃらじゃらつけ、メイクも太めの眉に赤の口紅&強めのアイラインと女性らしさを強く意識。丸みを帯びたボディに、「ボーイ・トーイ」というビッチ感丸出しなベルトをしていたのもこの頃でした。

 80年代後半になるとプロ意識が高まり、エクササイズを開始。3枚目のアルバム『トゥルー・ブルー』(86)をリリースした頃は、引き締まった体にミニドレスを着用し、ショートヘアにイメチェン。やがて「エクスプレス・ユアセルフ」(89)のMVで着ていたようなパンツスーツなど、かっちりしたスタイリッシュなファッションを好むようになり、セクシーな歌手から脱皮し、ウーマンパワーを呼びかける歌手へと変身しました。庶民が手を出せないようなハイブランドを着始めたのもこの頃で、90年のツアーではおっぱいを強調したジャン=ポール・ゴルチエのコスチュームを採用。92年にはゴルチエのファッションショーでおっぱいむき出しでキャットウォークするほどゴルチエを好み、93年のツアーではドルチェ&ガッバーナを、95年になるとクラシックな大人のドレスを、『エビータ』(96)の上映会ではヴェルサーチばかりを着用。

肉体改造といえば、キヨかマドンナか!

しぃちゃん

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