[連載]ギャングスタのスターたち

「女性ラッパー=セクシー」を破り、サウンドとラップで成功したミッシー・エリオット

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新アルバムが何度も発売延期になっているミッシー

――アメリカにおけるHIPHOP、特にギャングスタ・ラップは音楽という表現行為だけではなく、出自や格差を乗り越え成功を手に入れるための“ツール”という側面もある。彼らは何と闘い、何を手に入れたのか。闘いの歴史を振り返る!

【今回のレジェンド】
女性性ではなく、ラップで頂点に登りつめた
ミッシー・エリオット

[生い立ち]

 ミッシー・エリオット(ミッシー・“ミスディミーナー”・エリオット)は、1971年7月1日、本名メリッサ・アーネット・エリオットとして、ヴァージニア州ポーツマスに生まれた。とても貧しい家庭で、父から母へのDVが日常的にあったという。そんな悲惨な現実から逃れるため、ミッシーは音楽に没頭するように。作詞作曲もするようになり、「いつか、マイケル・ジャクソンのような有名人になって母親を助ける」と妄想するようになった。

 そんな娘の気持ちを踏みにじるように父のDVは悪化する一方で、14歳の時、父はミッシーの目の前で拳銃を取り出し、母に銃口を向けた。このことで、ようやく目が覚めた母は離婚を決意。母娘2人だけで新しい生活をスタートさせ、生活はさらに貧しくなったが、ミッシーは生き生きとし、学校でも休み時間にラップ披露するようになり人気者になっていった。

[キャリア初期]

 自分のラップに手応えを感じた彼女は、「FAYZE」というガールズグループを結成。本格的に活動しようとプロデューサーを探し始めたミッシーは、この頃、運命の人と出会う。知人から、近所に住む若手DJで音楽プロデューサーを志していたティモシー・モズレーこと、ティンバランドを紹介されたのだ。似たようなサウンドとフローを好み、性格も穏やかで互いの意見をすんなりと受け入れることができる2人は、初対面から意気投合。「オレたちが出会ったのは奇跡だ。神のお導きだ」というティンバランドの言葉通り、2人がタッグを組むと神がかった曲が生まれ、ミッシーは自信を深めた。

 高校を無事卒業したミッシーは、全米で人気を誇っていた黒人コーラスグループ「ジョデシィ」がライブで訪れた時、行動を起こす。「ジョデシィ」のリーダー、ディヴァンテ・スウィングはレコード会社「スウィング・モブ・レコード」を持っており、契約してもらおうと目をつけたのだ。ミッシーは「FAYZE」のメンバーとともに無理やり潜り込み、バックステージで歌を披露。ディヴァンテは、彼女たちを気に入り、「ガールズ版ジョデシィにしてやる」と契約を約束した。

[バッシング・評価]

 グループ名を「Sista」に改名し、ニューヨークに移住したミッシーたちは、シングル「Brand New」をリリースし、トップ100入りとまずまずのスタートを切った。ミッシーのラップは高く評価され、国民的テレビコメディ『コズビー・ショー』で人気を集めていた子役レイヴン・シモーネのデビューシングル「THAT’S WHAT LITTLE GIRLS ARE MADE OF」にフィーチャリングしてほしいと依頼された。大喜びしたミッシーだったが、製作されたミュージックビデオには細く美しい女性が登場し、ミッシーのラップを口パクしていたのだ。後日、「巨体のキミは、イメージに合わなかった」と弁解された彼女は、音楽業界の現実に打ちのめされてしまった。

記事中で何度も「巨体」と言ってごめんね

しぃちゃん



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