[官能小説レビュー]

『ジェリー・フィッシュ』に見たセックスの本質、少女らが首を絞め合う意味

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『ジェリー・フィッシュ』/新潮社

 思春期の頃は、女友達を“好き”という気持ちに、どう友情と愛情の境界線を引けばいいのか難しかった。例えば、親友がほかの女友達と仲良くしていると嫉妬心が沸いてしまったり、付き合っている男の子はいるけれど、親友との時間は彼氏との時間以上に大事に感じて、親友との約束ばかり優先してしまったり。

 感情のコントロールが未熟だった10代。雛倉さりえの『ジェリー・フィッシュ』(新潮社)は、そんな少女たちのピュアで残酷な恋心を瑞々しく描いている。

 高校の同級生の、夕紀と叶子。2人の関係が始まったのは、入学式のすぐ後の学年旅行で訪れた水族館だった。1人ぽつんとクラゲの水槽の前に佇んでいた夕紀。薄暗い空間の中で、彼女に声をかけたのが叶子だった。

 1人の世界を確立することで、自我を形成していた夕紀に対して、叶子は決して目立つ存在ではないが、常に友達に囲まれていた。ゆらゆらとたゆたうクラゲの水槽の前で出会った2人は手を取りあい、叶子は夕紀に顔を寄せた。そして2人は、互いの体温を分け合うようにキスを交わしたのだ。

 唇と唇が触れ合うだけの熱を交換し合うような、熱いキス。これは夢なのか現実なのか――夕紀はそんな曖昧な感覚に襲われるが、唇に残されたリップクリームの香りだけが、はっきりとした現実だった。

 好きな本や音楽、好きなものだけを周りに集めて、面倒な人間関係を一切排除し、クラスメイトからは「変わり者」とうわさされていた夕紀だが、叶子とキスをした瞬間から、彼女の世界はがらりと変化する。叶子と手をつなぎ、唇に触れるだけで、夕紀の目の前はぱっと明るくなる。叶子の存在こそが、夕紀の希望となったのだ。

さらに10代の2人は、何の躊躇もなく、危険な快楽の世界に足を踏み入れる。夕紀の自宅でくつろいでいる時、叶子はまるでセックスを求めるように「首を絞めて」と言う。男女であれば、セックスという快楽を共有することで、2人の距離は縮まるが、女同士である彼女たちは、セックスの代わりにお互いの首を絞め合う。生と死の間を彷徨う感覚を共有することで、彼女たちは結びつきを強固にしているのだ。
 
 友情と恋愛の狭間で揺れる2人の仲を阻むのは、“異性”の存在である。同じクラスの祐輔から告白され、付き合い始めた叶子。祐輔に印をつけられるかのようにピアスの穴を開け、夕紀とのお決まりだった2人きりの登下校を減らしていく叶子。そして叶子は、ついに祐輔とセックスしたことを夕紀に告げる。それまで同性として超えることのできなかった壁をいとも簡単に越えた祐輔に、夕紀は激しい嫉妬心を燃やす。どれほど求めても、体でつながることは、永遠になし得ない2人の行方は……。
 
 「男であろうと女であろうと、好きなものは、好き」とでも言わんばかりに、同性という障害をいとも簡単に乗り越える夕紀。そんな彼女を見ていると、本来、人の純粋な愛情は、掛け値抜きに相手に向けられるものなのだ、と思えてくる。

そして、女同士の“生殖”がかかわらないセックスにこそ、私はセックスの本質を見たような気がした。目に見える結合に囚われることなく、人と人がつながろうと求め合い、気持ちよくなる行為。体だけで感じる、表層の快感が伴わないとしても、必ず何かは感じている。首を絞め合いながら、夕紀と叶子が生と死を感じたように。

 この10代の少女たちの物語に、大人が共鳴してしまうのは、固定概念や損得を抜きに、“好き”という感情に正直であってもよいと、許されている気になるからかもしれない。
(いしいのりえ)

少女を羨ましく思った瞬間から、ババアが始まるのよね

しぃちゃん

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