[女性誌速攻レビュー]「婦人公論」12月22日号・1月7日合併号

「婦人公論」の老後マネー特集を吹き飛ばす、中村うさぎの“生への渇望”

2013/12/21 14:30

 同じ「老後」をテーマにしても、女は泥臭い「生」に向かい、男はロマンチックな「死」に向かう。その対比に意図を感じずにはいられないこの2つの対談。だからこそ老後の夫を「友もなくケチな暴君」「注意散漫」「加齢臭」「チンピラ化」(読者体験手記「年老いた夫が目障りです!」より)と断罪せずにはいられないのでしょう。妻から見たら、定年後の夫は死んでるも同然なのかも。

■生きている限り、「自分探し」は続く

 しかし老後に怯えたり老後を嘆いたりできるのも、生きているからこそ。そんなごく当たり前のことに訴えかけるのが「中村うさぎ 死線をくぐって、私の『正体』がわかった」です。あまりに突然だった中村氏の緊急入院。危篤状態になりながらも現在は快方に向かっているとのこと。ここには「これまで買い物やホストに依存したり、デリヘル嬢や美容整形を体験したりと、体とお金を使って『自分とは何か』を考え続けてきた」中村氏が死の淵で見たもの考えたことがつづられていますが、これがまた圧倒的に生々しい。「老後の資金1000万円なんて絶対無理……」と希望を無くした方に、ぜひお読みいただきたいインタビューです。

 臨死体験という「究極にメタな体験」を通しても、探し続けていた「自分とは何か」の答えは見つからなかったという中村。「それはもう、わかっているのです。徳川の埋蔵金のように、掘っても掘っても『本当の自分』なんて出てこない(笑)」。しかし、いつかは見つかるのではないかという幻想を捨てきることはできないとも語っています。できないとわかっていても、無意味なこととわかっていても、せずにはいられない。それを「生きる」ことと置き換えると、たとえば結婚や出産などの「大変なのになぜするの?」問題の答えもなんとなく見えてくる気がするのです。

 実際に中村は生死をさまよったことで「(婚姻の)届を出すことの大切さを実感した」そう。「たかが紙きれ一枚のことでも、他人を背負う結婚というのはすごく大きなこと」「本当は、私は誰にも何にも縛られず、自由に生きたい。そういう意味では、たとえば夫は、ハッキリ言って重荷です。でも、この重荷がなかったら、私は糸の切れた凧みたいにどこかへ飛んで行ってしまう。重荷というのは半面、飛んで行かないように押さえてくれる重石でもあるのです」。

 自分を本質的に理解することなどできない。たかだか紙切れ一枚で他人とわかり合うことなどできない。わかっていも、心のどこかで希望を抱いている。なぜ私たちはいつかは捨てたくなるであろう夫と結婚し、手間暇と金をかけて見返りは何もない子どもを産むのでしょうか。無意味で面倒くさいことも「やり続けたらどうにかなるかも」と思いたい。それが「生きる」ということなのか、と中村氏の記事を読んで感じました。懲りないアホさとはすなわち生命力のこと。そう考えれば、老後の心配というのもまた人生のお慰みのような気がしてきました。
(西澤千央)

最終更新:2013/12/21 14:30
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